お知らせ

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Amazonと楽天は新たに補充されたそうです。

 

皆さまのおかげで、良い評価を頂いています。

 

ありがとうございます。

 

二冊目の方にも注力していますので、よろしくお願いします。

 

 

「ハー哲」の続きもあるのですが、今回はレアリス風のスタイルで、また人生哲学とは異なった形式で読みやすく綴った本を制作しています。

 

自分本来の生命の輝きを取り戻す、という根底に流れるテーマは同じです。

 

 

また自費制作の「泉の真実」も、ちらほらと問い合わせが入るものの、やはり再販に関しては、年明けてしばらくはかかりそうです。

 

せっかくお声をかけて頂いているのに、すぐに応じられず申し訳ありません。

 

代わりに、先日新曲をアップしましたので、そちらをお聞きになってお待ち下さいませ……。

 

(書き溜めた曲はまだ数十曲はあるので、今後も少しずつあげていく予定です。

 すいれいのありあは、今回歌ものにしてみました。歌い手さんがいないので、ボーカロイドに初挑戦。

予算の都合で、素人ですが二曲ともノーアレンジのままアップしてます(苦笑)。

 あしからず……。)

 

 

 

 

 

 

 

―――――(お知らせ)―――――

 

 

※ノンデュアリティと生命の輝きをテーマにした〈もう一つのWEBページ〉 を立ち上げています。

 

 

「今に在ることの奇跡」――ハートへの哲学が書籍化されました!→ Amazonへ

 

 

楽曲の一部を公開していますので、興味のある方はどうぞ。→ YouTubeへ

 

 

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苦しみからの自由

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今回のお話会でも、空や平和の境地を追求しすぎた結果、かえって日常のバランスが崩れてしまうという話題が出ました。

 

これまでも同様のご質問は多くありまして。

 

やはりノンデュアリティでは「自己=無」という説明が多いことから、虚無主義的な深い誤解が生じてしまっているようです。

 

たしかに自己の本質は「無」なのですが、不思議なことに、その「無」にはいくつかの異なるバージョンが存在します。

 

自己の本質は「無」というよりも、無や有という限定を超えた「無限性」なのですが、その辺り、もう一つのブログで記事を書いていますので、興味のある方はお読みください。

 

こちら

 

今回は、もちゃんこさんから頂いたご質問にお答えしたいと思います。

 

>その「自分」があることによって苦しんでいる人は、どうしたらいいですかね?
>この世界の中での「自分」が気に入らないからこそ、「自分はいない」というノンデュアリティ(?)の思想に傾倒していく人も多いと思うのですが。


>以前ユウさんは「瞑想中だけは安らげるという人と出会ってきた、それは瞑想中は悩みの思考から解放されているから。でもそれだと日常では、悩みの元である思考形態や価値観そのものは変わっていないので苦しみは続く」みたいなことを書いてましたよね。
>つまり思考を変えてしまえば(あるいは思考の温床である環境を変えてしまえば)いいのかもしれませんが、思考や考え方、価値観、自己イメージなどを変えるってなかなか難しくないですか?

 

 

一つ大事なことは、「苦しみをなくそうとする必要はない」ということです。

 

だって、苦しみをなくすことは出来ないから。

 

仏教でいえば「生、老、病、死」がそれに当たるでしょうけど、そこから脱出出来た人は誰もいません。

 

お釈迦様でさえ、そうです。

 

偉大な覚者と言われている人でも、最後はがんで亡くなっていたりと、人生における課題や苦しみは当然やってきます。

 

その出来ないことに執着すると、それがまた苦しみを肥大化させます。

 

意識の変容がもたらすものは、苦しみをなくすことではなく、苦しみの中にあってなお幸せに生きるための在り方です。

 

何か超越的な方法があって、自己の意識を完全に外界から遮断することが出来れば、ひょっとしたら苦しみをなくすことは出来るかもしれません。

 

でも、その裏には依然として「苦しむことへの怖れ」があります。

 

何も完全無欠な状態ではないんですね。

 

苦しみがなければ、それは「不完全」です。

 

「完全」とは、喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも、全てを含んでこその「完全」です。

 

全体に開かれることは、苦しみだけをのけ者にすることではなく。

 

苦しみがあるからこそ、喜びもまた存在出来る。


どれかを無理に除去しようとすることは、それもまた生に対する分断を招いてしまいます。

 

苦しみは悪いものではなく、それもまた必要な調和の一部であると分かれば、自然と目の敵にすることもなくなっていきます。

 

 

とはいえ、それはただ苦しみに甘んじるということでもありません。

 

生き物であれば、不快を取り除こうとするのは自然なこと。

 

苦しみを放っておくというのではなく、生の全体(調和)の中に位置づけていく、ということです。

 

ではそのために、いかにして日常の悩みごとと向き合っていけばいいか。

 

おっしゃる通り、思考、つまりものの見方を変えていくことです。

 

そうすることで、より自由な、ニュートラルな視点からものごとを眺めることが出来るようになります。

 

そのために本の中では、「考える」ということを書きました。

 

いわば思考によって思考を制す、抱いている観念の奥にある本質を見つめることで、その幻想性から抜け出すというものです。

 

とはいえ、これだけでは「頭では分かっているんだけど……」と、思考の次元で滞ってしまう可能性もあります。

 

 

そこでもう一つ「感じる」ことを推奨したわけです。

 

不安や欠乏の奥には生命に対する不信があり、それは世界との分離意識によって引き起こされます。

 

自己と世界の奥に流れる生命とのつながりをもう一度感じ取ることで、分離の幻想から解き放たれることが出来ます。

 

人生の悲壮感は、抱いている深刻さに比例します。

 

生命に対する信頼を取り戻すと、世界は輝きを取り戻します。

 

苦しみをわざわざなくそうとしなくても、それもまたOK! な日常がやってくるというワケです。

 

 

(ていうか、「もちゃんこ」て!!)

 

 

※最近、もう一つのブログがちょこちょこ更新されてると気付いたアナタは鋭い!

今後は、いちアーティストとして、より自然なスタンスで、ノンデュアリティや生命につながる在り方を発信していきたいと思っています。

アメブロでは、また別の表現手段を計画中ですが、確定次第またご報告します。

 

 

―――――(お知らせ)―――――

 

 

※ノンデュアリティと生命の輝きをテーマにした〈もう一つのWEBページ〉 を立ち上げています。

 

 

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先日、地球ひろしさんとのお話会を開催した。

 

少人数で、かなり学んでいる人たちばかりだったので、話がとても進めやすい面があったけれど、よくある代表的な質問も改めていくつか頂いた。

 

その内の一つが、「自分はいない」というもの。

 

ノンデュアリティの説明は、この「自分がいない」という究極的な在り方を軸になされることが多い。

 

でも普通の感覚で言えば、ここが一番分かりづらく、理解しがたい点でもある。

 

 

 

実は、この日の夜、再び「自分はいない」体験が訪れた。

 

当日、僕はなぜかラマナ・マハルシという聖者のことが気になっていた。

 

インドの聖者だということは知っていたが、本を読んだこともなく、これまでまるで接点がなかったにも関わらず、急に気になり始めたのだ。

 

そこで、会の後の懇親会で、スピリチュアルに詳しいひろしさんに尋ねてみた。

 

曰く、近代のノンデュアリティの源流のような聖者で、現在各国で活動している人の多くは、この方のお弟子さん筋であるとのこと。

 

その時は、ふーん、という感じで収まったのだけれど。

 

 

その日の夜、就寝前に横になっていると、またこの聖者の名前が気になり始めた。

 

すると突然、「ただ在る」という感覚が自分の中に広がり、その限りない静寂の中に音なき音、静謐かつ荘厳な生命のエネルギーがあふれ出てきた。

 

これまでの純粋なチャネリング状態に近いもので、最近感じている感覚と同質の、でももっと純度と密度を高めたような、輝くような素晴らしい平和の感覚に満たされた。

 

そうしてしばらくすると、再び「自分がいない」体験が起こったのだ。

 

でも今回違ったのは、次の瞬間、写真を眺めるように、その「自分がいない」状態を反芻出来たこと。

 

それにより、はっきりとこの状態を顧みることが出来た。

 

やはり、「自分」がなくなるわけではない。

 

その「自分はいない」という体験をしている、根底にある主体者としての「自分」は存在している。

 

そうでなければ、「自分はいない」ということすら言えなくなる。

 

そもそも、カタチなき「無極」としての自分は、カタチないゆえに変化することはなく、永久不変であり、けっしてなくなることもない。

 

それは、これまで話してきた通りだ。

 

ただ、この状態においては自分という観念あるいは感覚が消え去っている。

 

通常、無意識に抱いている「世界」とそれを体験している「自分」という彼我の構図が消え去り、ただ「起こり」だけがある。

 

「世界」は、背後にある宇宙自然の叡智の顕れであり、それは「自分」だってそう。

 

その自ずからなる「起こり」という視点において、両者は統合される。

 

それが「自分はいない」という言葉で表されている内容で、いわば自分という“自意識”が抜け落ちた状態だ。

 

逆を言えば、「自分」という感覚が失せているだけのことで、それ以上でもそれ以下でもない。

 

その「自分」があるかないかは正直どちらでもいいこと。

 

どのみち、「起こり」があるだけだからだ。

 

むしろ、自分があるかないかにこだわることは、それ自体が二元的な発想であり、ノンデュアリティとは関係がない。

 

だから、自我を失くすことが究極なのでもなんでもなく、自我意識があってもなくても、どれも等しく究極であり、素晴らしい叡智の顕れなのだ。

 

それが今回はっきりと分かった。

 

大事なのはむしろ、今に寄り添い、生命の流れと共にあること。

 

そこに意識の変容の要があることが、改めて強く認識された。

 

 

ノンデュアリティの誤解により迷っている多くの人たちに、この事実が広まるように、この体験が、このタイミングで、起こったように感じる。

 

是非とも、ここにシェアしたいと思います。

 

 

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