生めよ増えよ地に満ちよ....?だったっけ。


神様は全て祝福して言われた。


アダムには、動物を見せて名前をつけさせられた。


動物を見ると、みな雌雄があって繁殖する....


そんな環境から学ばせてから、アダムにも、自分にも相手が必要だと悟らせる..


そうしてから、神様はエバをアダムの体から造られて与えてくれた...


聖書の内容を凝縮したのが、ウェストミンスター信仰告白書だったかな、


うちの牧師様は、聖書の内容の核心、本当に基礎になることをしっかり教えてくれる...


それがたとえ、じいちゃんばぁちゃん、老人たちが居眠りしながら聞いていたとしても、


その老人たちは、農作業で疲れてしまったり、耳の聞こえない人も多いし、


字が読めない人も多いー_-....あぁ、それなのに、


適当にあわせて、賛美歌を覚えて歌ってたり、聖書も、適当に聞きながら字を何とか


読んだりしている.....(ふっ、素晴らしい信仰ではないですか??^^;;)


私としては、自分が外国人の立場であったとしても、その読めない人達に


ハングルを教えてあげたい!聖書をまともに読んでほしい!!...思わずにはいられない><


(思っただけですけど)


話がそれましたが、


牧師様が聖書の結婚観について話してくださいましたが、


今のこの時代では話をしようとする自分も、実はとてもしんどいとおっしゃってた。


あまりにも性が自由奔放なこの時代にあって、神様の結婚の基準というものが


どれだけ理解されるのか..といったところだろうか。


ましてや、今、離婚や再婚浮気なんてざらだからね^^;;


でも、聖書の中で神様は、一夫一婦制を十戒、つまり律法としてお与えになった。


しかし、その前の、律法が与えられる前の時代はどうか?


アブラハムも、ヤコブだって、一夫多妻...なのは間違いありません。-_-


つまり、神様は、その時代はその当時の人々の慣習を大目に見ていたということなんでしょう..


神様は、何か強制的にされるのではなくて、少しずつ計画されながらl歴史的に関わって


こられたということでしょう....


律法が与えられてからも、それを守りきれない民たち。それで、モーセは仕方なく


離婚するときの方法まで記す羽目になっています。


だからといって、神様は、モーセをひどい目にあわせたりなんかしませんよね。


アダムとエバの堕落は、何度も言いますが、神の権威を認めなかったこと。


それは十戒を見ても、まず第一に記されていることから見てもわかりやすいと思います。


統一のように、男女の関係だったら、十戒にもそれを真っ先に訴えたはず。


しかし、イエス様が言われた、肉体の関係がなくても、異性をそのような思いで見ることも


姦淫とすると、私たちはそのことひとつだけとっても罪びと間違いありませんね。


でも、統一の場合は、恋愛しないで文さんの選んだ人と我慢してささげて、ついでにお金もささげれば


それで救われるということだったでしょう??


うそをついて人や家族をだましても、罪でないと教えられていた。


ある意味ではあたってることも少しあるけれど、完全に聖書を利用して都合のよいように洗脳されてた。


統一に来た人は、まじめだと思う...


上はとんでもないのに、何でかな^^;;


日本人だからなのかな?韓国に来た日本人女性って、今更ながらある意味では本当に


すごいと思う.....。馬鹿がつくほど。^^;;





統一で洗脳されたのは、夫婦は、死んであの世に行ってからも永遠だという


ことでしたよね??^^;;


でも、今は、あの、誤家庭の子女様たちも自由自在に離婚再婚をしでかして


いるわけで、これは全くもって、死後に霊界で誰といるかなんて、


これっぽっちも考えてないし、文さんの言葉を何も信じちゃぁいないよ、ということですよね?^^;;


洗脳されてるのは、純粋な日本人だけなんですかね??><


ある意味では、すごいことですよね、永遠の夫婦なんて、ちょっと素晴らしく聞こえたりもしないでもない...ー_-


自分の父母の、けんかする姿なんか見てきたりしたら、仲のいい夫婦に憧れたくもなるわけだし。^^;;


ま、でも現実的に言ってしまうと、一人で生きていくよりは、誰かと力を合わせて


生きていくのが必要だから、結婚するんじゃないかと思うし、結婚したら、お互いに対する


礼儀をわきまえているんだったら、ある程度うまく生きていけるのでは?と今はそう思います。


統一で祝福を受けると決めた時から、酒タバコをせず、(タバコしてます^^;;)


まじめに教会に通い、家族仲良く暮らせるならと、その程度で私個人としてはよしとすることにしたので、


相手に高い理想を掲げなかったのは、正解だったかなと思います。^^;;


相手の悪いところを、かなり無視して生きています。^^;;


自分としては相手に最善を尽くしているつもりなので、これで嫌われるんだったら、しょうがないですけどね。


でも、自分の夫婦関係として、生きているうちに、本当に、心もひとつになりたいと思う人も


当然いるでしょう。そう思うのもちっとも無理ではないし、自然の感情だと思います。


でも、本当にそう思うなら、統一での祝福結婚を選択したこと自体が、間違っていたというほかありません。


統一の祝福は、そういった純粋な恋愛感情とは、程遠いと思うからです.....


なので、かえって、誤子女たちが純粋なんですね??


自分の心から好きな人と一緒になるために、恥も何も恐れないからです....^^;;




聖書でイエス様がおっしゃられるのはこうです。


復活の時に、人は天使のようになるのであって、とついだりめとったりしないと。


統一の教えと、このイエス様の言葉と、どっちが信じられますか??^^;;


私が言いたいのは、誰が何を信じるかは私にはどうすることもできない部分ですが、


間違った教えに巻き込まれていると、自分自身が何か苦しく、すっきりしないのではないでしょうか、


ということです。^^


一度、聖書で語られている内容も、目を通してみて、自分自身の心にどう響き、


どんな影響があるのか、試されることをお勧めします。


下の住所は、もっと詳しく説明してある箇所なので、どうぞ参考にされるともっとわかりやすいと


思います。関心のある方はのぞいてくださいね。^^


http://www.yokohamashiloh.or.jp/reihai/message/shiloh_message130127en.htm













マタイによる福音書12章43節から


12:43  汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。

12:44  そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、

     そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。

12:45  そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて

      中にはいり、そこに住み込む。

      そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。

      よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。


よくご存知の聖句ではないでしょうか??^^;;


イエス様がこられる前にすでにユダヤ人たちは、律法によって、自分たちを


清く保っていると思っていました....


ところが、イエス様から言わせればそれは、ユダヤ人たちは律法を間違って解釈しているのであって


律法は、それを必死に守ろうとしても、決して100%完璧には守れないようにできている?


つまり、人間の力では限界があることを知らせるためのものであったというわけなんですよね...^^;;


だから、律法を本当に守ろうとするならば、守れない自分を正直に見つめて


神の前に自然に頭が下がり、悔い改めるようにと与えられたんですよね....


堕落している人間が救われるには、イエス様という犠牲が必要でした。


それなのに、当時、ユダヤ人たちはそのイエス様を殺そうとするほどに憎んでいたんですよね。


自力で、自分の心の家を掃除するわけですが、結局、汚れた霊の力はもっと強く巧妙になって


その人間におそいかかるというわけでしょう。


私の表現では,ちっとも理解できないという方のために、関心のある方は


ここをご覧になってください。^^;;


http://www.j-e-s-u-s.org/shoei/2009/20090823.htm


とってもわかりやすいです。




今の世の中は、情報の時代じゃぁないでしょうか??


どんな情報も、ネットで探せるし、本もたくさんあります...


しかし、その情報のあふれる大洪水の中で、聖書という書物こそが、ノアの箱舟のような


役割を果たしていると思えてならないです....


必死にこの情報の海をさまよいながら生きている私たちではないんでしょうか。


あの本はどうだろう、この内容はどうだろうと。


でも、どれも、聖書の二番煎じのような気がしてなりません。なぜなら、聖書はそれほど、古くからある


書物なのですから、当たり前といえばそうではないでしょうか?^^;;


そうそう、汚れた霊といえば、統一を通過した皆さんは、きっとそれとなく、「清平の悪霊」なんかを


イメージしたんではないでしょうか?


ここで言っているのはそうではなくて、自分自身の中に沸いてくる、「醜い思い」のことを


表現しているんですよね。神様が人間にはすべてよいものを与えてくださいましたから、


神様が与えなかった、神様が望まなかった悪の心ですよね。


どうそ、上の住所に行ってみてくださいね。^^