早いもので12月です。
旧暦12月14日は、赤穂浪士による吉良邸討ち入りの日ですね。
何回かブログで取り上げました。
正確には、15日の明け方。
「忠臣蔵」ですね。
日本三大仇討ちのひとつです。
最も有名ですね。
真相は別にして、
嫌味な部長による嫌がらせに、
ぶち切れた課長と言うところでしょか。
その仇を討った課員達と言う感じでしょうか。
世間でも、こう言うことが繰り返されるので、
仇をとった赤穂浪士に大衆は、喝采をするんでしょうね。
仇討ちをするまでに、
2年の期間を要しています。
大石内蔵助は、討入り前の一年有余、
京都、山科の地に住居を構えていました。
その京都での生活は、
放蕩三昧、遊びほうけていて、
誰もが、「大石内蔵助は腰抜け」と思い、
多くの義士たちも失望したと言います。
120名いたと言う義士も脱落、
最終的に47名。
敵を油断させる計略ですよね。
味方をも欺く。
年月とともに入ってくる大石内蔵助の現状の様子に、
仇も油断、味方は離反。
もう、「恨み」も忘れたのではないかと思われる、
今の暦で1月30日。
最も寒い季節の草木も眠る丑三つ時・・・
ついに仇をとるんですね。
ここを忘れてはいけないと思うんですね。
あら楽し 思ははるる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし
極楽の道はひとすぢ 阿弥陀をそえて四十八人
(大石内蔵助、辞世の句)
「仇を討つ」と言うことは、こう言うことなんですね。