こんばんは。
先ほどまで、インターネットで調べものが終わって、もうお風呂に入って寝ようと思いました。
でも、シャワーに打たれながら、やっぱりその時に思ったことを綴るというのは大事なことだと思い、一度閉じたパソコンを今再び起動させました。
今日のブログの内容は、とても濃い内容になる気がします。
余計なことは何一つ書かないつもりです。
内容としては大きく2つ、、、かな。
そんな2つにまつわる覚悟と決意―――。
来年である2019年、一人暮らしを始めることになりそうです。
実は、一人暮らしを考えたのは今回が初めてではありません。
実際に、以前にもブログに書いた記憶もあります。
当時、一人暮らしをしたいと考えた理由は主に3つ。
1つ目は、通勤手段として母に毎日送り迎えをしてもらっている状況に危機感を抱いたこと。
2つ目は、通勤時間が長いために体力的にと精神的に少なからず自分に対して負担になっているのではないかということ。
3つ目は、今住んでいる実家が築40年ものであり、バリアフリーには程遠い環境であり、特に冬になると病的に冷え込んで体調を崩しても仕方がないほどの生活環境であること。
ただ、結局今は一人暮らしをしていないということは、そういう理由がちゃんとあったからです。
「急いでする必要もないか。」
「仕事に慣れてからの方が良いか。」
でも、12月に入り、そんな悠長な考え方は吹っ飛びました。
もしかすると、今の私はなかなか笑えない状況にあるんじゃないかと。
背後から突然、そして静かに首にナイフを突きつけられたような感覚を覚えることがありました。
母が健康診断か何かの検査に引っかかったそうで、2019年1月に検査入院をすることになりました。
引っかかったのは腎臓だったか肝臓だったか忘れたけども、麻酔を伴う検査をするらしい。
ちなみに、私の祖父は肺がんで亡くなっていますが、検査でがんが見つかってから亡くなるまでわずか約1か月でした。
これまでも母は何かしらの検査に引っかかったりとか、似たようなことがありました。
でもその度に何ともなかったようで、母自身も何ともないとは思うけど念のため検査するだけだし、と言ってはいますが。
―――冗談じゃない。
私はどうなるんだ―――。
今ここで母が亡くなりはしなかったとしても、いつまでも車を運転できるほど健康でいられるかどうかは分からない。
母が車を運転できなかったら私には父がいるのでは?と普通は思うのでしょうが、大変悲しすぎることに私の父は全く頼りになりません。
父は自分の生活に影響のあるレベルのことが起こらないと行動をしない人間なのです。
・「なんで通勤に1時間近くもかかるところに就職したんや!そんなんでしんどいって・・・何言うてんねんな!近場もあったやろ!」
(ちなみに、就職活動中にいろいろと探しましたが実家の近くには障がい者である私を受け入れてくれるところはありませんでした。私は就職活動で社会の地獄に突き落とされて、そこから神経をすり減らしながら死に物狂いで実力で掴んだのが今の職場なのです。父はその現実をなかなか認めたくないようです。)
・「そんなんやったら辞めたってええんやんか。辞めて起業したらええやんけ。」
(ちなみに、「起業って簡単に言うけど、起業して生きていこうと思ったら、少なくとも社長は寝る間も惜しんで仕事をせなかんのやで?知ってんの?残業しなくていいって言ってもらえてる今の職場を考えたら、どっちがしんどい?」と言い返すと、返事はありません。要するに、絵に描いた餅を偉そうに言っておいて現実味が無いのです。そんな親の言いなりになっていたら、人生がいくつあっても足りません。これまで似たようなことがある度にどれだけ母に救われたことか。)
・「冬になったら寒いからなんとかしてほしいって?そんなんこの部屋(=この家)に住んでるからそうなるんやんか。しゃーないやろ、それくらい我慢せえや!」
(このセリフにはさすがに、病気の体で寒さに弱い私が悪いのであって、父や実家は何も悪くないんだから、ぎゃーぎゃー騒いで人のせいにするなと言われているのだと受け取り失望しました。)
そんな父と今の家で2人で暮らす???
そんなものは私にとったら死んだも同然かもしれません。
ちなみに、そんな父の職場は、私と同じ市内にあります。私と同じく、一時間近くかけて通勤しています。
もし、私が、私のような病気や障がいをもっている子どもの父親だとしたら、今と将来を考えて一家転住だって考えそうな気がするのですが・・・。
面倒くさがりで自分に関係のないことに興味がない父にはそんな発想と勇気はありません。
子どもがどんなに苦労していようと、父にとってはそこまで興味がないのです。
だから、今この状況で私が母を失うわけにはいかないのです。
仮に、母を失ったとしても、私はいま以上にしっかりしないといけなくなります。
なぜなら、私に関することはすべて母が把握していて父はほとんど何も知らないからです。
体調が悪くなった時の入院の手続きも、人工呼吸器の業者との連携も、その他何もかも、母がやってくれていたことをすべて私が自分でやらなければなりません。
自分のことは自分でやるべきでしょうし、私もそうしたい気持ちはありますが、いくらなんでも急には無理です。
だから、どうやら悠長なことは言ってられないみたいなのです。
12月の中旬ごろからでしょうか、私は将来のことが気がかりで頭がいっぱいで悩むようになりました。
一人暮らしって簡単に考えるけども、本当にそんなことができるんだろうか・・・。
元気な時はなんとかなるとして、体調を崩したら・・・?
でも、私の性格上、深刻に悩んだ時点でもうすでに答えは出つつあったような気がします。
将来に不安をかかえながら笑って元気に過ごせるわけがない。
どの道、今住んでいる実家はもう私の代では住むことができず、住み続けるのならリフォームをしなければならない。
車いすでしか移動ができないこの私が、公共交通機関からかなり遠い今の実家をリフォームしてまで住み続ける意味はあるのか?
確かに、不安は山積みです。
一人暮らしというのは人によっては憧れを抱くものであったり、夢のある話なのかもしれませんが、今の私にとっては楽しみよりも不安の方が大きすぎます。
一人暮らしをしたらやりたいことはありますが、楽しみが1割で不安が9割です。
もし失敗したら?上手くいかなかったら・・・?
心配性の私ですから、そんな考えばかりがいとも簡単に頭を支配してしまいます。
でも。
今が変わるときなのかもしれない。
大きすぎる一歩を踏み出すときなのかもしれない。
ついこの間、死に物狂いで就職をしたというのに、まだ私は頑張らなくてはいけないのか。
でも今までも大なり小なりいろんな困難を乗り越えてきた実績は確かにある。
そんな私が、一人暮らしをやりもしないで怖気づいて、目に見えない抽象的な不安に怯えて、それでいて何もしない現状維持をするのにも絶望を感じて過ごしているなんて。
俺らしくない。
なんとも俺らしくない。
じゃっく様をなめるんじゃねえ。
中学時代の恩師が知ったら、大きな口を開けて「はあ?くよくよ悩んでんじゃねーよ。」と笑われるかもしれません。
「お前さん次第で、お前さんの人生はバラ色になるんだぜ。」という漫画やドラマ染みた恩師のセリフを思い出します。
やるしかないのかもしれない。
そういうときなのかもしれない。
仕事はどうするんだって?
それが、ありがたいことに、今は人間関係も当時を思えば全然苦しんでいません。
仕事自体にも慣れることができ、今では仕事を自分から見つけて取り掛かったり、先輩に頼まれてお手伝いをしたりする余裕もできるようになりました。
12月からは、係長の「じゃっくさんをなるべく成長させてあげたい」というありがたいご提案により、閑散期限定で再び窓口に出るようにもなりました。
しかも、前回とは違い、歩行に負担がかかrないような導線の配慮もしてもらえています。
年が明けたらまた繁忙期がやってきますしどうなるか不安ですが、なんとかしたいという思いがあります。
それに、一人暮らしを始めるとしたらやはり繁忙期が終わってからになりそうですが、そのころには私は2年近く仕事をしていることになりますし、仕事にはもう慣れているはずです。
この1年でこれだけ成長したので、向こう1年の自分の成長にも期待は持っています。
もっと言うと、一人暮らしを躊躇してさらにもう1年先延ばしにしたら、、、今度は異動が待っています。
異動するとなると、また人間関係を新しく構築しなくてはなりませんし、仕事も慣れないことばかりのはずです。
そんなことになると、一人暮らしどころではなさそうです。
また、考えたら即実行に移してしまいたくなるのが私の性格で、実はこのことを課長や係長などにも相談済みです。
もちろん、父のことなんかは話していませんが、将来のことも考えて一人暮らしをしたいという思いは打ち明けました。
私にとっては意外な反応でしたが、特に係長は前向きに話を聞いてくださいました。
誰一人、「ええっ!大丈夫なん?!一人暮らしできるん!?」なんていう反応はなく、むしろ、「あ、そうなんや!じゃあ、アドバイスをすると~。」とか、「いつまでも親は頼れへんし、そら、じゃっくくんの言う通りやな。ええんちゃう?」みたいなありがたい前向きな反応でした。
さらにさらに、以前に就職活動をしていた時だけという短い間でしたが、今の職場をすすめてくださったりして当時お世話になっていた、障がい者支援をされている2つの機関の方とtも再会をして相談に乗ってもらいました。
「いいと思います。」
「僕らもサポートさせてもらいますんで!」
「十分時間はありますから、これからしっかり準備していきましょう。」
と、前向きに話を聞いてくださいました。
ここまでブログを読んでくださると、なかには気づかれた方もいらっしゃるかもしれません。
そう、、、どうやら、あとは私の心の持ち方と努力次第のようなんですよ。
1つ目標が定まったら、あとはそれに向かって知恵を絞りながらストイックに努力をするだけ。
塾にも家庭教師にも頼らず、学校の授業も足手まといに思うほど、独学で乗り越えた大学受験を思い出しますね。
それでも、不安は大きいですよ。
これまでの人生で一番大きな不安かもしれないですよ。
それに、今までよりも自己管理をする範囲が大きくなるし、障がい者支援の方とのやりとりも、母ではなくて私がやらないと意味がないってことを考えると、今まで以上にしっかりしないとな。
でも、まぁ、やるしかねぇんじゃないの。
明るい未来を感じられずに絶望に打ちひしがれるよりは、たとえ苦労をしたって困難にぶつかったって、夢を持って自信を持って生きている方が私らしいと、私自身はそう思うのです。
描いた夢はそう簡単には諦めたくないですね。
諦めの悪い私ですから。
なんだかんだとありつつも、2019年にはなんとか実現する可能性が高いんじゃないかと、そんな気がします。
さて、1つ目が長くなっちゃったけど、2つ目の決意といきましょうか。
こっちは、具体的な話は何にもないし、「こうありたい」っていうただの願望だけど。
自分の性格、なんとかしないとなーってね。
もっと、喋りが得意な人間になりたいと思う出来事が、あったんですよ。
それもう、悔しくて悔しくてね。
前から同じことを思ってはいたんだけども、やーっぱりだめだよ、今のままでは。
こんな喋りが下手な自分が嫌いです。
人生にお疲れモード真っ最中ならそんなに無理しなくていいけどさ。
でも、少なくとも、変わりたいと思うことができているうちは、変わろうとアクションしていいと思うんだよね。
そうでなきゃ、人生つまんないよ。
ウチの実家と同じで、いつまでも同じでいられるわけにはいかないんだ。
時代は変わる、社会は変わる、価値観は変わり、常識は変わる。
時代の変遷期には新しいアイデアや技術が生まれるし、それらはすべてたった1つ、「より便利にするため」に生まれると思うんですよ。
まぁ最近は便利になりすぎて、逆にナントカって言うこともありそうな世の中でもありますけど、「変わる」とか「新しい」とか「前例がない」ってそんな悪いことばかりじゃないと思うんですよ。
少なくとも、私たちのような難病患者とか障がい者なんて人間は、何にもしてないのに無条件で相当なハンデを背負ってんだから。
無条件で不便な暮らしを強いられてるんだから。
便利を追求したって、「逆にナントカ」なんていう心配はたった1つもありゃしねーんだから。
歩くのがしんどくなったら車いすを使うし、目が悪くなったらメガネをかけるし、家が住みにくいんなら住みやすいようにすりゃいーんだよ。
もちろん、どんなアクションを起こすにしても、周りの人間の理解は絶対条件だけどね。
あー、そんなスケールのでかい話をしているけども、聞き上手だけじゃなくて話し上手になりたいんですよ、私は。(笑)
じゃあ、話し上手になるために、具体的に何をするかって?
さぁーね、何をすりゃ話が上手くなるんだろうね。(笑)
これから模索します。(笑)
しかし、、、これもまた勉強なんだろうか。。。
本当に人生っていうのは勉強ばっかだなー。
以上、2つが私の覚悟と決意。そして、2019年成し遂げたい目標です。
私のアメーバブログのメインタイトルは「夢と挑戦」ですが、ちょっと夢だなんてファンシーな気持ちじゃないなあ。
空回りしてエンストしないように気をつけて頑張ります。
あ、そうそう。
重たいことばっかりだったらやっぱり人生しんどいね。
何か楽しいこともしないとね。
というわけで、任天堂スイッチを買います。(笑)
年末年始の6日間は久しぶりにテレビゲームで遊ぼうかなと。
それに、2019年はボイス付きでドラクエが発売されるとかなんとか。
娯楽も充実してないと人生やってらんないですね。
またまたまたとてつもなく長いブログになってしまった。
しかも、もう朝の4時ですね。。。
さすがにもう寝ます。(笑)
あんまり気張らず、でも、やるべきことはやるべき時にしっかりと。
焦って横断歩道を渡ることないように、右見て左見てもう一回右を見て。
浮足立たないように、割に合わない不安に苦しまないように、着実にいこう。
すべては、自分の明るい人生のためにね。