お久しぶりです。
3月の通院以来、更新していませんでした。
このまま放置するのも、性格的に気持ちが悪いので、その後の経過です。
結論から言うと、3月を最後に通院していません。
3月の時点では、7月の誕生日が来る前に、最後にもう一度採卵したいと考えていました。
でも、5月に引っ越しが決まり(同じ都内です)、お金がたくさん掛かり、ばたばたして新しい環境で生活をスタートして過ごすうちに、治療をするのが色々な意味で現実的でなくなりました。
治療代は、5年間で約500万円。東京都と渋谷区からの助成金があったので、本当はもっと高額だったはず。
ここまでやったし、もういい加減良いかぁ・・・と自然に思えました。
子供を産み、育てることができない人生が決定したんだなと考えると、何とも言えない気持ちになりますし、全く悔いが無いかといえば嘘になります。
ただ、悔いと言っても、これ以上治療を続けたかったという意味では無く、過去の事に対してです。
結婚が35歳と遅かったので、なるべく早く検査だけでも行けばよかった・・・。
当時は、今みたいに妊活が一般的では無かったし、重い腰を上げたのが38歳。
でも、当時フルタイムで働いていたので、検査はなんとかできましたが、すぐに治療をスタートできず、自分でもまだそこまで切羽詰まってなかった。
仕事をパートにして、39歳で人工授精からはじめて、3院目でKLCへ行き、ここで4回目の採卵(40歳)で胚盤胞凍結できて移植、はじめて陽性。心拍確認迄行くが、9Wで流産。
今思えば、この時が最後の妊娠可能な状態だったんだろうな。
その後、何度採卵しても、胚盤胞にならない。
でも、胚盤胞にさえなってくれれば、また着床してくれるはず・・・。この考えは間違いでした。
他の方のブログを見ていると、胚盤胞になって何度移植をしても、陰性。
その上、アラフォーだと(私もそうでしたが)、心拍確認迄いっても流産という方が、たくさんいらっしゃる。
つまり、私は胚盤胞という難関をクリアーしていないのだから、それ以前の問題だったんです。
2つ目の後悔、同じ病院で同じ治療を漫然と3年位続けてしまい、途中で転院すれば良かった・・・。
44歳でFCTへ転院して、注射をばんばん打ってみたけど、その割には採卵数は増えず、質もいまいち。
KLCで胚盤胞にならず移植できない状態が数年続いていたので、FCTでは凍結胚2個移植もやってみましたが、陰性。
せめて、転院する時期がもう少し早ければ、もしかしたら・・・という気持ちと、FCTで凍結胚を何度移植したとしても、どうせ結果は同じだったという気持ち。
「たら、れば」という言葉は、言うのも聞くのも嫌いなのですが、妊活に関してはつい考えてしまいます。
パートは、治療代で貯金が減るのを少しでも食い止めようと、ストレスフルの中がんばってきました。
何度も辞めよう!と思いましたが、妊娠したら辞めるのを目標になんとか4年間続けてきました。
でも、4月頃から通勤するのがだんだん精神的にきつくなって、7月にはかなり症状が悪化し、週3日出勤することになっているのに2日がやっとという状態になり、心療内科への通院すると、適応障害とのこと。
9月末で退職する事になりました。
ということで、妊活終了しました。
私の経験が、妊活を考えている方、妊活中の方の少しでも参考になれば幸いです。