QuoVaDis yukihito

QuoVaDis yukihito

普段の生活の中で気づいたことを、僕というフィルターを通して、皆様に発信させていただくブログです。自分の道を歩いていけるように頑張ります。大切なモノをここに残して行こうと思います。忘れないために。

Amebaでブログを始めよう!
生きていると

「正解はなんなんだ....」

と思うことがあるけど、世の中には正解はない。

正解は「こうだったら良いのにな」が自分の中に明確にあって、それを実現するためにどうすればいいかなーって考えるのが正解。

そのために文字にして書く。

そして現状を文字に起こす。

そうすれば現実と理想のギャップがわかるから、何をすればいいか自然とわかる。

そしたら酒でも飲んで、サッパリしてから行動すればいい。

変な奴の相手をしてる時間なんかない。

クソに時間取られて、大事な人の時間を削らないように。

自分に言い聞かせながら。

自分が触れる情報が全然関係ないところで、有機的に関係して意外な力を発揮する。

イヤだと思うことが後で役に立ったりする。

ただフリースタイルは恥ずかしいわ!
白波

大学生の大群に揉まれながら電車に乗っていたが、駅に着く頃には空いていた。平日の湘南など誰もいないだろうという私の予想に反し、幾人かが下車した。

駅から出れば、潮の匂いがと思ったが何の匂いもしない。浜に出るまでは我慢しようと地下道を抜けると鼻を刺すような乞食の匂いであった。文字通り出鼻を挫かれた訳である。

待ちに待ったとばかりに腰を落ち着けた。しかし波が小さい。白波を立てる海を見にここまでやって来たと言うのにあんまりではないか。

浜は静かで良かったものの、私が望んだ波音まで小さくてはいけない。元来海好きの私が思うままに海を目にし、波音に包まれて官能的になろうにも、これではあんまりだ。

しばらくすると、耳が慣れたか風が出てきたか、波が立ち始めた。私が思うよりもずっと、緩やかに音を立てた。私は日々の目まぐるしい生活の中で時間の感覚が早まってしまったのかもしれない。ゆっくりとした波音に心を預け、しばし考えることを止めた。

かなりの時が経ったと思い、時計を見れば十分しか進んでいない。私は大いに満足し、ずっとこのままでいたいと思った。

左に目をやると女が一人で座っている。大学生であろう。モッズコートにデニムのワンピ、黒いリュックと量産型そのものである。吐き気がしたが、一人で海に来るのは感心だった。しかし写真を撮ってそそくさと帰ってしまった。

その女ばかりではない。通る人は写真を撮っては、どこかに消えてしまう。なんと悲しい人たちであろうか。私は気の毒なスマホの奴隷から海に目を戻した。

ポケットから本を取り出し、読もうとしたが何故星の王子様なんだと思った。こんな時こそ三島や夏目ではないかと考えたが、前日の私が判断したのだから仕方ない。数ページめくり、また海に戻した。

少し早いが腹が減った。コンビニで済ませるのは味気ないので、高くつくが海鮮にした。小汚いがアジのたたきとシラスが私の胃袋を離さなかった。出てくるとかなりの量があり、すべて食べられるか不安になった。それだけでなくガリも多くあった。生姜は大好きで殺菌作用から刺身との相性は抜群なのだが、これほどの量となると厨房の衛生は良くないのだろうか。瞬く間に丼が空になり、お吸い物のフタを開けた。下に溜まった味噌がキノコ雲さながらに巻き上がり、みるみる広がった。

たらふく食べた私は海に戻ろうとした。しかし駅から多くの人が降りてきた。もはや私が望んだ浜辺はなくなったかと沈みながら、浜辺に腰を下ろした。黄色い声と波音が合わさり、それはそれで私に元気をくれた。

もう帰ろうとばかり腰を上げると、波が大きく立ち始めた。背中を押されたような気になった私はまた来ようと約束し、電車に飛び乗った。寄るはずの鎌倉など忘れてしまった。
過去にある心理実験があった。

ここに10枚の写真がある。

そのうち9枚はあなたの思い出の写真です。

1枚は、合成で作り上げた存在しない遊園地に、あなたの姿を合成した写真がある。

すると80%の人が、この「ウソの写真」を見て、この時のことを覚えていると答える。

そして残り20%の人は覚えていないと答えるが「本当に思い出せませんか?もっとよく考えてください。」と質問すると、


「思い出した!」と答えた。

まさに驚きの結果だ。

存在しないはずの記憶を思い出す行為を私たちは簡単に行なっていることになる。

つまり過去の記憶など、あやふやなものなのかもしれない。

もちろん、家族と過ごした掛け替えのない思い出は素晴らしいが、

過去を悔やむような思い出は存在せず、あなたが勝手に作ったものである可能性が大いにある。

つまり過去を悔やむことに意味はない。

今を生きる。それだけなんだろう。
最近メモを取りまくっている。

メモを取る内容だけど、それは気になった情報だけじゃない。

「なに!この子かわいい!なんて女優?へー、アン・ハサウェイかあ。」カキカキ_φ( ̄ー ̄ )

(ちなみにアン・ハサウェイは基本的に映画ではぐちゃぐちゃのキッタナイ感じになるけど、インターステラーでは最後までちゃんとかわいい数少ない良い映画。)

という風に得た情報だけじゃなく、

「オレってなんで感情を表に出せないんだろう。」カキカキ_φ( ̄ー ̄ )

と、ふと思い立つ疑問をすべて、ノートやメモに書き込む。全部。

そうすると驚く事に、寝ても夢を見なくなりました。(あくまで個人の見解です。)

夢は脳内を整理すると言いますが、全てをアウトプットするので、整理するものがなくなっているのかもしれませんね。

なんか盛大に成長してる気がする。

あくまで個人の中で追求していくのが楽しい気がする。

他人とは意見交換とかでいいと思う。

みんなで1つの結論にたどり着くのも楽しいと思うけどね。

メモる習慣でSNSをまったく活用しなくなった。

今までの備忘録から、本来の情報発信に変わった気がしますね。

もっといい「つながり」を意識したシェアが出来ればいいね。

不満はネットじゃなく、アナログでいい。

良いことだけシェアすればいい。

散文になりました。

ではまた。