知音(ちいん)
人はひとりでは生きていけない事を表す言葉は多いが、
”知音 ”
という言葉もその一つ。
昔、中国に琴の名手がいた。
その友人は鑑賞の名手で、
奏者の曲をよく理解してくれた。
奏者が琴を弾いて、高山に登った境地を表そうとすると、
友人は、
「すばらしい。泰山のように堂々とそびえたつ気がする。」
と評する。
流れる水を表現しようとすると、それを聞いた友人は
「ああ、すばらしい。まるで黄河や揚子江のように広々としている。」
と評する。
あるとき、奏者はため息をついて言った。
「君の琴を聴く耳は、何とすばらしいのだろう。私の表現しようとする境地を君は完全に聴きわける。私の琴の音は君の耳を逃れることができない。」
ある年、不幸にしてその友人が死んだ。
奏者は琴の弦を切り、それからというもの二度と琴を弾かなかった。
奏者の名を伯牙という。
ここから
”伯牙絶弦 ”
という語も生まれた。
音楽を理解すること、転じて自分を完全に理解してくれる真の友人。
自分を理解し評価してくれる人がいなければ、人は何事もなし得ない。
この故事は、それを語っている。
私にはこのような知音はいない。
・・・・・・・
いや、
一匹いました
来夢ちゃんが(笑)