彼の退院の7日の早朝3時半頃腹痛があり、とりあえず落ち着いたので、
彼を迎えに行った。その後家路にたどり着き、普通に過ごす予定だった。
三日から腹痛で彼の入院の初日、6月5日かかりつけの病院の内科を受診しました。そこで原因がまともにわからなかった。7日は、紹介状を書いてもらうのに1週間かかるとの事、明日でも良かったのですが、できるだけ早く済まそうと思って、電車に乗るも、腹痛が………意識がだんだんと薄れていく中で、私は意識を失って電車の椅子に横倒れになっていた。自分の声で目が覚め、何を言っていたのか記憶もなく、横にいた女性が声をかけてくれ、乗務員さんと、えらいさんの様な方が声をかけてくれ、自分の顔が、真っ青になっているのがよくわかり、血の気もひいて、全身汗がびっしょりで、大丈夫ですかと、声をかけてくれるも、自分でどうにかしなくちゃと思い、必死に病院にたどり着くも、また意識が遠のきそうになり、しんどくて、彼に電話をしました。早く内科受診しなっという言葉で、我に返り、しゃがみこんだまま、物凄くしんどくて、腹痛が辛いのですが、応急室に連れて行かれ、点滴を打たれ、そのまま入院する事となったが、彼の言っている病院は、信頼のできる病院なので、そっちの方で入院をしたいのでお願いしますと言いましたが、この状態で私の身体を動かすのは危険で、急きょ入院する事となりました。昼前から翌日の夕方からいまで、ずっと点滴をやり続け、貧血もあり、鉄剤を二本点滴でうってもらい、エコー、診察で判明した病気が、右卵巣出血に伴う腹腔内出血上腹部痛、貧血と、説明され、肝臓のまわりの方まで出血があったみたいです。固まった血と、サラサラの血が混じっている様で、全身状態の急変を認めた場合、緊急手術となる事も稀にあります。と言われびくついたけど、今の技術の発展は物凄いので、切ったりとかはしないみたいなことを言っていました。吐血剤、安静、血圧、貧血状態で経過観察で、2日間はずっと車椅子生活。三日目は、高熱と、大変な生活を送っていたわけですが、それ以上に、彼に大感謝です。彼の副作用も出てしんどいのに、毎日家事、お見舞いに来てくれたり、励ましてくれたり、彼の優しさに涙が出ました。すごく心強くて頼りになる存在だなって改めて実感しました。
知人に、「袖ふれあうも他生の縁というけれど、たぶんあなた方も深い縁でむすばれているのでしょうね。今誰のためにベストをつくせばいいのかなあといつもそのことが心にあります。
あなたは、そうではないかもしれませんが、子宮や、卵巣のトラブルは自分が女性であることを嫌だと思ったり、コンプレックスに思ったりしている人に起こりがちとも言われているようです。万が一心当たりがあったら、そんなもの私にはいらないって、心から捨てて、女である事を喜んで生活しましょうね。」という事を言われました。
私の友達の妹も良性のチョコレート腫瘍?かで来月から入院らしいです。女性特有の検診は、日本でいうとわずか2割、「恥ずかしい」だとかの理由らしいです。欧米では八割を占めているようです。初期段階ですと、良くなる確率もぐんと増えるのですから、私も、今回の病気を気に。短くとも、年に一度は検診を受けようと思うようになりました。いずれにしても、保険は入っているのがベストだと思います。手遅れになる前に、病院に行きましょうね。
入院の間、HYの時をこえをずっと聞いていました。沖縄へ行くまえは、やはり、昔の忘れてはならない平和の願いが込められた曲を聴いたり、うたったりしますね、良い曲なので一度エイサーの動画歌詞付きをきいてみては?あ~、早く元気になって沖縄へ行きたい。今月いっぱいは、安静にして下さいといわれているので、来月には行けると思います。
今日は、お見舞いに毎日車で彼を乗せて下さった方にお礼に形で、五苑の焼き肉を食べに行きます。レバー嫌いなんですけど、鉄分豊富なんですよねぇ、嫌いとかいってる場合じゃないね、命を頂いているんだから、今日は美味しくレバー、頂いてきます。ちなみにホルモンもあまり好きではないです。やっぱりカ・ル・ビ