$Tomorrow is another day.



集中できる時間がまた少し増えたので、
小説とかルポとか読みやすい読み物から少しずつ脱して、
ほそぼそと勉強をしはじめたわけですが。

なんというか、基本的な知識が全然ないなぁ、と。

歴史も知らなければ政治の仕組みも経済の仕組みもわからない。

論理的に考えることや表現することについても体系的に知ってるわけじゃないし語彙も少ない。


感じることや思うこと、言いたいことはあるんだけど、

自分の意見や判断に自信が持てない。

的確な語彙が出てこない。

感情でものを言ってる。

震災のこととか
原発のこととか
恋愛のこととか
自分のこととか
未来のこととか。

頭が働くようになるのに伴って
そーゆーのを考えることが最近増えていて。

でも、上手く考えがまとまらない。

すっきりしない。

でも、考えたいし、アウトプットしたい。
せめて自分で納得できる、自分に対しては説得力のある意見を持ちたい。


だから、とても苦手な新書にも挑戦するようになったのです。
ほんとにちょっとずつだけど。
いきなり挫折したらいややし。







で、書にふれ人にふれ社会を取り巻く問題にふれ、最近しょっちゅう思うこと。


これから、「考える力」「選ぶ力」って、必要不可欠な時代になるんじゃない?


ってこと。


フリーライドが損をする時代になるんじゃないかなーって。




中学生くらいからずっと、なんとなく、「選ぶこと」を重要視してきた。

自分の人生なんだから、自分で考えて道を選んで、
その結果どうなっても自分の責任。

「こうなりたい(orなりたくない)から、今この選択をする」っていう、
そんな感じの考え方。




で、新たに最近よく思うのが、

そうやって個々人が「選ぶこと」によってこの世界は成り立っていて、
この世の中はその選択の集合体だ、ってこと。

と、

いまの社会は、私たちより一世代以上上の一人一人が選んできた結果生じたものだ、ってこと。




んー、うまく違いを表現できないけど、前者は「私たちの今この瞬間」「明日とか明後日の近い未来」で、
後者は「現在=過去のオトナの選択の結果」っていうイメージ。
(うわぁ全然うまく言えない…)


つまり、今のこの問題山積の日本を作ってきたのは今の40代以上の世代だから、
あたしたちの世代も彼らと同じような選択の仕方をしてしまったら
あたしたちの子供が大きくなる頃にはもっと暗い社会になっていると思うんだよね。

そして、彼らがどういう選択をしてきたのかというと、
「自分さえ良ければいい、自分がいかに得をするか」
っていう思いを判断の中心にした選択やったんやと思う。

我田引水ってやつ。

ここからは想像でしかないけど、
その頃は中央集権が機能していて、「国のことは政府に任せれば問題ない」っていう認識をみんな持っていて、実際に社会も明るかったから少しの不手際や無駄は気にならなかったろうし、大事なところには幕がかかっててそれを庶民が見ることはできなかった。
庶民に求められたのは、経済活動。
たくさん働いて、たくさん稼いで、たくさん消費しましょう、っていう。

一人一人が豊かになることで国全体が経済発展するっていうことが、官民関わらず実感を伴って語られていたんだと思う。

だから、みんな素直に経済活動にいそしんで、「日本の発展を支えてきた」。


でもじゃあさ、今のこの現実は何なんだろう。

失業とか非正規とか若年ホームレスとかフリーターの高齢化とかニートとか
年金未納とか生活保護受給者の増加とか過労死とか。

ほんとに暗い。

誰がこんなふうにしたの?


そこに言及せず、「最近の若者は…」とか言う人たちなんなの?

内向き?
草食?
夢がない?
根性がない?


もしそうだとしても、それって仕方ない。

物心ついた時にはバブル崩壊してました。
右肩下がりの日本しか知りません。
一生懸命勉強しても将来が保証されるとは限りません。
正社員になったら過労、非正規だったらワーキングプア。
年金は今の高齢者を支え、自分たちは受給できるかさえ分かりません。
主力有権者は高齢者だから高齢者迎合の政策が充実してますね。
ゆとり教育で育って社会に出たら「ゆとり」差別をうけました。


この現実の中で前向きになるのってなかなか難しいよ。


日本は、なるべくしてこうなったんだと思う。




責任はいろいろなところにあると思うけど、

既得権益の保持に躍起になって本来の役割を忘れて、官僚依存、経験主義で動く行政を野放しにしていた政治家も、
社会貢献という看板を掲げながら、社会に雇用の場を提供する、という債務を忘れたかのように、ひたすら利益を追求して人をコストとしかみなさず使い捨ててきたような企業も、
そいつらを容認して、フリーライドを決め込んで日本の未来を考えることを放棄して目の前の遊興にふけってきた一般市民も、

みんなに責任がある。




思うに、
きっと、本質的に「マジこいつ悪ッッ!」って人は少ないとは思う。
みんな、自分や自分の家族とかの近しい人のためを思って選択をしてきたんだろう。


でも、未来のこと、自分の孫が生きていく社会のことまで考えて選択してきた人なんてきっとホントにわずかなんだろう。

気づいて声を上げた人はいたのかもしれないけど、聞く耳をもたれなかったのだろう。

目の前の豊かさの前には、不確実な未来のことなんて霞んでしまうもん。






ここまできて、やっとその時の各々の選択の結果が、不確実だった「未来」が、見えてきたんやと思う。













自分の人生は、自分だけのものじゃないんだよね。

一人一人が自分の人生の選択をすることが社会を形成して、そうして未来につながっていくんだから。


だから、私は「自分の人生なんだから自分の好きなようにする」ってもっともらしいことを言って、国民の義務も果たさないような人はやっぱり好きにはなれない。

基本的にはどんな人生もすばらしいと思うけど、やることはやっているのが大前提。








こんなときだから、みんなが考えないといけないし、行動してかなきゃいけない。

文句言ってても何もいいことないよ。




私は、後世に負の遺産を残したくはない。

孫の世代に老害なんて言われたくない。

100年後の日本人に理不尽な苦労をさせたくない。




できることなんて少ないしどれも小さいし、
社会に与える影響なんてほとんどないかもしれないけど。

でも、こうやって考える力、選ぶ力がゆとり世代がもってるはずの「生きる力」なんだと思う。







だから、働くのマジめんどいって思うけど、頑張らなくちゃ。


23歳とかもう置きにいく歳だとか思ってたんだけどなー。



どうやらまだ、始まってもいないみたい。




またもミスチル。
光と影なら、影の歌。

ALIVE

さぁ行こう
夢はなくとも
希望はなくとも
目の前の遥かな道を
やがてどっかで
光は射すだろう
その日まで
魂は燃え

(…)

誓いは破るもの
法とは侵すもの
それすら一つの真実で
迷いや悩みなど
一生消せぬものと
そう思えたなら
僕らはスーパーマン

こわいもんなんてない
胸を張ってたい

そして君と

さあ行こう
意味はなくとも
歩みは遅くとも
残されたわずかな時を
やがて荒野に 
花は咲くだろう
あらゆる国境線を越えて
社会人になって、一年と一ヶ月。
(あれ…半分近く寝てるゾ…)

この4月から社会人になる友達や後輩がたくさんいる。


なんとなく、一年経って感じていることを、少しでもエールとして伝えられたらな、

と思いPCに向かってみます。



震災で社会の空気がちょっと変わってしまったけど、

今年入社の人たちはきっと10世代と同じような環境の中で仕事について考えたと思うので、

そういった面で役に立つ部分があればいいなーと思います。

書きたいことが多すぎて長くなること必至。

さらに、自分自身の反省でもあるので、当然大いに偏っております。

ので、興味のあるところだけ読んであとは読み飛ばしてくださいな。w



あ、なんか、時間術やプレゼンスキルとかの仕事術とか、
職場のコミュニケーションに関しては、
しかるべきサイトがたっくさんあるのでそちらをドゾ。

これとか→
新社会人が仕事を覚えるために、今すぐ読むべき良記事15つ
(あたしも今日見つけたんだけどね。参考になるね。)



【初心は忘れてしまうもの】

みんな今どんな気持ちなんかなー。


あたしは「よっしゃやったる!」って感じだったなー。w


4月のこの、スタート時点ですべきことって、

就活の時に散々考えた「自分はこの会社でどうしたいか」の再確認だと思っていて。

もちろん、面接向けにきれいに仕上げた志望動機なんかじゃなくてね。

自分の人生においての、その仕事の持つ役割。


私の人生にとってこの会社はどういう位置づけなんだろう?

会社に求めるもの、求めないもの、それぞれなんなんだろう?


その会社で何を身につけどうなりたいのか。

その会社を通してどう社会と関わっていきたいのか。


その問いに対する答えよって働き方ってかなり違ってくるんじゃないかな。


あたしは、「修行」っていう想いが強かったから、

とにかくがむしゃらにやったろうって思っていた。

(その一方で、どこかで「プライベートも大事にしたい」

なんて思ってしまっていたあたり不器用だなーバカだなーと思う。)


もともと会社にずっといる気はなくて。

5年くらいでやりたいこと見つけて辞めよー

やりたいことが見つかった時のためにしっかりお金貯めよー
短期間でいろいろ経験しよー

会社の成長スピードに乗っかればいろいろ身に付くやろー
とりあえず最初はごりごりやるかー

という思考回路でした。


こんな単純じゃないにしても、就職するって決めた時点で、

自分と会社の間に何らかの位置づけがされているはずで。

それをしっかり持って、そして入社後も持ち続けることが

すごく大切で、すごく難しいことなんやと思う。


初心なんて簡単に忘れちゃうから。

なんせ社会は想定外のことばっかりだし、

人間は楽な方に流れてしまう生き物だし。


初心なんて忘れた方が思い悩まず楽に生きれるのです。


それに初心に執着することで弊害が出たりもするから

一概に「初心忘るべからず」と言えるとは思わないのです。





【「やりたいこと」と現実と】


会社で働いてしばらくしてきっと多くの人が思うのは、

「社会ってこんなもんなのか」

ってこと。

社会や会社に対する軽い失望。

私たちの世代は、なまじ「自由」「個性」「生きる力」「夢」

なんてキラキラした(それでいて軽薄な)言葉に囲まれて育ったから、

ただでさえ思考がふわふわしがちだと思うんだよね。



それに畳み掛けるように大学生には「就活」っていうモラトリアムイベントが待っていて、

それをクリアーすると“なんか間違った全能感”が身に付いたりする。


身の丈に合わせず、外の価値観に合わせた「理想の自分」を「つくり」、

そして「なりきる」。

自己分析自己啓発自己暗示。


「こんなふうに生きてきた俺」

過去の美化、大いに結構。


「夢持ってる俺/可能性にあふれた俺」

自分の未来への過大な期待、まぁこれも本人の自由でしょう。若いし。


「この会社でこんなふうに活躍する俺(もちろんプライベートも充実ッ☆)」

ここ。ここが問題ね。

この、いよいよ始まろうとしている直近の未来の「俺」。

これが具体的なほど、危険やと思う。

(はい僕のことです妄想大好きですむしろこんなの僕だけですねすみません)

いくら具体的に思い描いてみたところで、

実際に働いたことがない学生の想像力の及ぶ範囲なんてたかが知れている。

でも「就活」市場も内定先も、
年単位で目標持たせたり行動宣言させたり、
学生の妄想をさらに助長するようなことばっかする。

やから皮肉なことに、
大人たちの言うことを素直に聞いて、真面目に「就活」して、
考えて考えて考えた人ほど、これが具体的。



そんな妄想実現するわけない。


いろいろ思い描くことが無意味だとは思わないけどね。

でも、妄想は妄想でしかない。

そこに気づいて、「こんなもんか」って諦観する。

それができたら大人の仲間入り。

そんな風に思います。





【会社人間はおもんない】


だから、いくらしっかりしたキャリアビジョンを描いていても、

どこかしらの会社に入社したら、自分の意志でできることってほんと少ない。
(もちろん会社にもよりますが)


理不尽や矛盾だらけなのはもう、しゃーない。

思うようにできない・ならないのは当たり前。


誰かがつくった組織という箱の中にいるんだから。


だから、これはものすごく偏った個人的な意見だけど、

全力で仕事、なんてしない方がいい。

よっぽど楽しくない限り、目の前の仕事に盲目的にならない方がいい。


仕事の外の、自分だけの世界を広げることを忘れないでほしい。

人間関係でも趣味でも副業でも、何でもいいんだけど。


会社人間はやっぱりつまらないと思う。

本人も、周りの人も。

いろんな社会人を見て、少なくとも私はそう思ってしまった。

自分の仕事のことを会社の言葉でしか話せない人って、なんだか「見えて」しまう。

「見えて」しまうような人は私の価値観ではおもんない。

(もちろん仕事外でよっぽど面白いことしてたら別やけど、そこはなかなか両立しがたいと思う)



でも、自分の世界を拡げるのには、ひとつ大きな落とし穴があって。

そもそも「自分の世界」ってなんなのさ、っていう。


それがない人は、逆に仕事にしゃかりきになってほしいと思う。

頑張って頑張って頑張って仕事をした先に、きっと何かが見えるから。


一生懸命に何かをしていたら、必ず、何か思うところがある。

しょうもないと思っていたその仕事に、意義を見出せるようになるかもしれないし、

ちょっとした違和感から見えてなかった自分に気づくかもしれないし。


意義を見出せたのなら、それってすごく幸せなことだと思う。

あたしなんかが何と言おうと、誰に何と言われようと、

自分は確かにその仕事に誇りを持っていて、その会社をささえていて、そうして日本をささえているんだ、って。

そうやって思えたら、ほんま素敵。


一方で、違和感を感じて、そこから何かが見えたのなら、それもめっけもん。

その違和感を解消するにはどうしたらいいのかって考えるのは、きっとものすごく楽しい。

自分で自分の人生を考えるってことだから。


人生に彩りが増すこと必至!笑





【ゴールの再設定】

そうやって一生懸命仕事しながらいろいろなことを考えて、

違和感と闘って、

それで「やっぱり違う!」と思ってしまったら。


個人的には、自分に嘘をつきながら仕事するのは精神衛生上良くないと思うから、

区切りを設けることをお勧めしたいな。


自分をだましだまし続けて、それでいつかその会社を変えようって言うのなら、

それってすごくかっこいい。けど、すごく難しい。


自分をだますのに慣れてしまうと、そういう気概は薄れていくと思うから。

(それも「オトナ」の一つの特徴かもしれない)





区切りを設けること。

つまり、その会社での自分なりのゴールを設定し直すってこと。

期間的なものでも、職階的なものでも、金銭的なものでも。

で、ゴールの先を具体的に思い描いてみる。

これって結構楽しい。

いまの会社にいることの意味だって一つ増えて、

自分で作る、自分の未来につながる経験になる。


と思うんですよ。


その通りには行かないかもしれないけど、その都度その都度軌道修正することに意味がある。

軌道修正を重ねるほどに、具体的に、現実的になるもんだと思うし。




辞めることすらも選択肢として常にもっておいていいんじゃないかなーと思うんです。

入社前に考えていたゴールと全然違っていたって、3年経ってなくたって、

次に何するか明確じゃなくたって、いーじゃんって思うんです。



その先に会社で働き続ける以上の意味を見出せるなら、ね。


こわいかもしれないけど。

稼げる道ではないかもしれないけど。







【しゃかいなんてこんなもん】

まぁなんし、一番言いたいことはですね。


社会なんちゅーのは、なにがあっても不思議じゃないよ、ってことです。

同期もたくさん辞めたし、あたしは病気なったし、そもそも働かない道を選んだ友達もいるし。


もうお決まりのコースなんて存在しない。

40年も同じフィールドにいるって、もはや希有になってしまっているんじゃないかな。

インターネットによって社会がフラット化してきて、

国内はおろか海外への垣根や、世代間の垣根がすごい勢いで低くなっていってる。

そんな時代なので、親の世代の価値観なんて古いし、社会構造だって変化し続ける。

それもこれまで以上のスピードで。


そんな中にあって、会社に頼るのって、むしろリスキーかもしれない。

なんというか、底に穴があいてる船に乗って、ひたすら排水作業をしてる、みたいな。

一生懸命に働いてても、突然の嵐で会社ごと沈没とか、なりかねない。



だから、一億総中流時代の王道を盲目的に信じてしまうのは、

楽だけど、これからの時代ホンマに危険やと思う。


社会人として、いろいろな「常識」を学び取り、

経済の仕組みとか組織の構造とかお金の威力とか、そんなんを身を以て知る一年にできたら、

来年からの社会人生活はもちろん、人生全体の充実につながると思う。


自分のこと、社会のことを考えながら働いてほしいなぁと勝手ながら思うのでした。


日本立て直さなきゃいけないからね。



がんばれ新社会人!!

(わたしもがんばりまーす)



最後に名曲をば。



生きてる証を
時代に打ち付けろ
貧弱な魂で
悪あがきしながら
何度へましたっていいさ
起死回生で毎日がレボリューション
人生はフリースタイル
孤独でも忍耐
笑いたがる人にはキスを
そしていつだって I say yes.
I'll be there

いやーほんと名曲。

$Tomorrow is another day.




なんだかなんだか、昨日からにわかに暖かくなった。



気づけばもう4月。

びっくりする。

あたしが(主に)寝てる間に冬が去って春が来ちゃったっぽい。




桜のつぼみがほころびだして、次第に春の気配が濃くなってきてる。

と思ってたらもう満開に近いような場所もあって。



なんだかちょっとセンチになった。


今年は誰かと一緒に桜を眺めることはできないなぁーって。







私の家の最寄り駅は、名鉄瀬戸線の小幡駅。
(「おばた」って読むよ)

名古屋の中心、栄町まで直通15分。


この通称瀬戸電の車窓からの景色が、この時期ホントに出色で。

5分くらいなんだけど、線路の両側が桜並木になってる箇所がある。


桜の季節に瀬戸電に乗ると、

まるで桜のトンネルの中を走ってるみたいな気分を味わえる。


一度窓の外の景色を見てしまったら最後、トンネルの出口まで目が離せなくなる。


車窓に惹きつけられる。

おもわず顔がほころぶ。

見とれてしまう。

なんにも考えたくなくなる。

その景色に浴していたくなる。

全力でその景色に向き合わないと享けきれないくらいの、

強烈な、

「いい景色」






自分一人でこんな感動を味わうの、もったいないなーって思う。

だから、誰かと共有したくて。

誰かと一緒に受け止めたくて。

一緒に見とれたくて。





実家に戻ってから、一人でとりとめもない時間を過ごすことには慣れたけど、

こうやってきれいなものを見つけると、やっぱり少しさみしくなる。


せっかくこんなきれいなものを見つけたのに、この感動を共有できないなんて。


あたしの心が動くように、きっと誰かの心も動く。

その、心の動きを、感じたいなぁと、思う。


はっと息をのむ感じとか。

そのあとやってくるぽーっとしたふわふわ感とか。


それを共有できたら、一人で感動するより、もっと幸せな気持ちになれる気がする。









この季節は、やっぱりなにかの「始まり」の気配が濃い。




いろいろあったけど、なんだかんだで2年目です。




桜を見て、


きれいなものを、たくさん誰かと共有できる、

そうやって、いろんな人と、

非言語な意思疎通ができる一年にしたいなぁ、と、


そんなことを思いました。