何度も書いては消し、書こうと思い立っては先送りにしていたこのエピソードをクリップに残したいかと。

片手間ではなく、出来れば時間に余裕がある時にお付き合いください。。。



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‘今、泣けるアイドル’

そんなコピーをテロップにイシザキさんが盛り込んでくれたのは、確か「未来へススメ!」のデイリー発表動画だったでしょうか?

チープながらも、大好きなフレーズでした。
この話しは、もう少し遡ってヤマダ電機ツアー前半戦の栞を開く懐古になります。

ももいろクローバーは、涙で語れる歴史を幾重にも紡いできた、とボクは想っています。


悲し涙。

嬉し涙。

悔し涙。


流してきた涙の色は、ファンの数だけクロニクルを染め上げてきました。

その中で、

ボクにとっての最初に強く流した涙で彩るイベント…





ソレが『星ヶ丘事件』です。





もちろん、この名称はボクが勝手に呼んでいるだけに過ぎず、いくつもあるイベントやエピソードを、曖昧に美化修正された記憶とmixi日記のレポを頼りに綴る、あくまでボク個人の視点で切り取った‘一面’に過ぎません。
他のファンには異なる捉え方がされていたとしても‘ボクにはこう見えた’を書きます。

そんな、ヤマダ電機星ヶ丘店での「ももいろパンチ」予約購入のためのリリイベの一つを。


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2009年8月9日。

ヤマダ電機なんば店での前日の公演に、遅刻ながらもなんとか参加し、いつもよりも少し余裕をもってレンタカーにて星ヶ丘まで移動したボク達は、夜通しのカラオケを楽しんでその日を迎えました。

当時、小さなグループやソロのファンが、なんとなくお互いの顔を毎回見るから覚え、仲良くはないけども毎回会うからなんとなく挨拶はする、そんな週末の連続でしたね。
しかして、何故かこの日は関西勢と関東&遠征勢に別れ、一階と二階の別々の入り口からどちらが先にイベントスペースにたどり着くか?みたいなちょっとしたバチバチ感があったように覚えていますし、実際に家電が立ち並ぶ店内の一角をムリヤリ広げただけのその場所では、上手と下手に別れて陣取るカタチになったと記憶しています。

ミニライブ→握手会の四部構成。
普段は三公演がベースでしたが、この日は四回ありました。

一部のセトリは、「Hello goodbye」→「気分はsuper girl」→「ももいろパンチ」のお馴染みな流れ。
珍しいといえば、ももパンのイントロ待機で早見さんが後ろではなく前を向いているというコト!
早見さんファンの遊びの一つに後ろを向いてるあかりんの顔が見える位置までいって笑わせたり反応させたりするのが昔ありましたが、星ヶ丘店では全方位にほぼお客さんが見れるような環境で、しかも後方では別の売場のスタッフさんがコチラを見てるから早見さんが恥ずかしがったんじゃないか?と思える中で、まぁ、そんな珍しい陣形があったのもこの日でした。

そして二部と三部の合間、ももクロメンバーは一般のファンに紛れてSKEさんの握手会に参加する~なんて流れもありました。
もちろん、初期メンバーの一人であり、当時48グループの一人として活躍していた高井つき奈に会いに行ってきたんでしょう。
ボク等はソレをヤマダ電機内で待機しながら、偶然に噂で知ったんです。

ボクとしては、百田さんが仲の良かった高井さんに再会できたコトを喜んでるだろうな、と思い、その話しを握手会で話したいなーってのが頭にあったせいか、戻ってきたももクロの三部公演にキモチが入らず、コールもなんだか上の空だったな、と。

いつも通りの中盤戦、
いつも通りの楽曲、

…のはずでした。

何曲目かすら覚えていませんが、「最強パレパレード」披露の最中、一瞬のざわつきがあり、静寂が訪れます。


なんだろう?と向けた視線の先に、




有安杏果の倒れた姿。




どうしようもなく心配するキモチと、相変わらずのタチの悪いドッキリであってくれというキモチが、入り交じったままボクやボク等は動向を見守るしかありませんでした。

即座に歌は止まり、杏果ちゃんはカワカミさんに担がれて控え室に消えていきました。
少し経って、ちゃんと歩いて戻ってきた本人が伝えた理由は「貧血」、真実がどうであれボク等は涙ながらに深々と下げられた彼女の頭にそう説明されるしかなかったんです。

ミニライブは中止されたものの特典握手会はそのまま開催され、何を話すべきなのか?も分からず足踏みしていると仲間の一人が‘無理して出てきてくれたのに行かないのは失礼だ’と促してくれて、列に並びました。

杏果ちゃんにはもちろん、どうしても他のメンバーにも「大丈夫?」と心配する言葉をかけてしまいます。


そんな握手会の最中に、





早見あかりが崩れます。





話しかけた時もなんだか虚ろな感じがあったのは確かでしたが、こちらはちゃんとした説明もないままに‘杏果ちゃんが倒れたショックからの精神的なもの’とスタッフさんが話してるのが噂で回ってくるに留まりました。

当時が今よりもハードだったとか辛かったとかは簡単には言いたくありません、今だってきっとボク等には想像できないくらいハードであり辛くもあるでしょう…

それでも、体調不良で休演されるのと、すぐ近くで倒れられるのは全く別次元でした。

三部が一応終わり、本当にこのままラストの四部があるかどうかも分からない不安とざわめきの中で、ボクは仲間に‘四部が中止されずに本当にあったら本気で頑張ろう’と提案だけしてイベントスペースから離れました。

百田さんに伝えるちょっとした一言を考えるのでアタマいっぱいで、倒れるくらい頑張ってるメンバーがいるのに声だしとかも前夜のカラオケ余韻含めて中途半端で、どうせいつもと変わらない公演の一つに過ぎないだろうと声を疎かにしていた自分が情けなくて、ファンとして欠かさずイベント追って支えたつもりになってても結局、こーゆー時には何もできない自分が悔しくて。

一人でうつむいていました。

顔も上げずにいたボクを見つけてくれた同じように毎回顔を合わせる知り合いが、何も言わずに隣に座ってくれて、少しだけその話を聞いてくれました。

心底悔しいという想いを言葉にして誰かに話すというのは、ここまで感情の波が押し寄せてくるのかという程、泣きました。

仲間に伝えたコトと同様に、四部があったらチカラを貸してくださいと逃げるように頼んでその場も離れます。

まぁ、普段から人様にマトモに見せられるような顔をしてはいませんが、この時はぐしゃぐしゃに泣き散らしていて同情さえ買えてしまうような不細工面だった訳ですよ(←


また独りに。

時間はさほど経過していなかったものの、泣ききったせいか落ち着いたのもあって、mixi日記を書き終えたのがこの時でした。

タイトルは『応えるコト』。

自分の中で、自分が何もできないファンでしかないけど唯一あの時にはできたコト。
無理を押して公演に臨んでくれる6人のために‘声’を出すコト。
周りの誰かよりも少しでも大きく、周りの誰かよりも一回でも多く、コールを叫ぶコト。
ソレしかできないならソレが‘応えるコト’だ!と自身に言い聞かせて…


そして、四部の公演は行われました。

なんかもう朝にあった東西のバチバチなんか嘘みたいにあの場のファン皆が本当に一つになって盛り上げてくれてて、泣くのも忘れて叫んで楽しんでる自分がいましたね…
しかも、五曲中の四曲は杏果ちゃんがパフォーマンスに加わるという、当時の5→6移行時としては最大限の公演でした。


…コレがボクが残す‘星ヶ丘事件’です。


何度も書きますが、ももクロには語られないクロニクルがファンの数だけ存在します。
この記事を眼にし、ボク以外のあの日の誰かが残すレポを掘り起こす検索をしてみるのも佳いでしょう、特に早見家や有安家の誰かが書いていれば、二人の状態を更に正しく知るコトができるはずです。


時折、新しく知り合うモノノフさんに、


‘大変な時期のももクロちゃんを支えてくれて感謝しています!’


と、言われるコトがあります。

有り難くも、困ってしまう自分がいます…

ファンの存在の意味はあったとは信じたいですが、どこまでいってもイチバン頑張ったのはメンバーなんですよね、書くまでもないですが。
きっと逆の立場でボクがそんな発言をしたら、貴方はそう思って困るはずなんです。

そして…そう思うなら、どれだけ大変だったかをメディアで紹介される‘大変な時期だった’で終わらずに、体験者の声を掘り漁るようにしてほしいです。
古参ファンには興味を持たずとも、その眼に映っていたその頃のあの子達には興味を持ってほしいです。

あとは…コール、です。
モノノフマナー会議でも、世代による差があるコトを実感できましたが、ライブの演出がどこまでファン側の自由度を侵食されようとも、ボク等の声はボク等だけのモノであり、何のために叫んでいるのか、誰に向けて叫んでいるのか、は、ふと意識できるようであってくれたら、と願います。

進化する規模に追い付けない老兵の戯れ言に過ぎませんが、それでも、同じももクロを好きで居続けた一人の意見の一つとして。。。




相変わらず長くなりました。

読んでくださってありがとうございました。

***

そんな記念日のイヴ。