昨年末、車を買い替えて、新車には一丁前にナビだのETCだの付けてみたが案の上、滅多に使わない。それよりも問題はCDを入れるのが面倒になったことで、いちいちナビ画面を開閉しないとならない。車中の音楽は俺にとっては重要な意味を持つ。夜ごとのつまらない仕事へ向かう前の気分調整であり、日常のささやかな娯楽の一つだ。だからといってカーオーディオに凝ったりはしていないのだが。
だって最近の車は純正オーディオのままでも、極上ではなかろうが昔のようにダッシュボードの上からひび割れたサウンドが聞こえるわけでもなく、つまり音質はさほど悪くないのだ。
とにかく、CDの出し入れの手間を解消すべく家電量販店へと出向いてSDカードを買った。これにお気に入りの音源を入れておけばいい。データ容量をどの程度にするかを考え(そこでは16か32かの選択でしかなかったが)とりあえず16GBにした。足りなければ32GBのものを再び買いなおせばいい。
普段、SDのデータ容量などを気にする機会がないため、写真が、音楽が、動画が、どれほど入るのかを知らずにいた。ただ、以前にipod nanoを旅行用に買ったが大して曲数が入らずにがっかりした経験はある。
帰宅して、早速入れておきたいCDをSDカードへと送信し始めてみて気がついた。16GBには驚くほどの音源が入る。どんどんお気に入りのアルバムが入っていく。逆に言えば、いくらCDの音源を転送しても16GBは埋まっていかないのだ。
常備しておくべき楽曲群、例えばビートルズの全アルバムやジェシー・ハリスといった個人的に思い入れのあるアーティストを入れ終えると、俺は残りのスペースをこれまで聴いてこなかった音楽で満たすことにした。それは主に国内のアーティストである。例えば槇原敬之とか、最近で言えば星野源とか。他にも多くのアーティストのアルバムをTSUTAYAで借りたのだが羅列しても意味がないので割愛する。どんなに容量があっても個人的な趣味に合わないもの、例えば(ファンの方には申し訳ないが)矢沢永吉とかB’zといったアーティストに手は伸びなかった。
中でも「ゲスの極み乙女。」には感心した。演奏技術の高さとアレンジの巧みさ、そしてどの楽曲にも含まれるフックとなるメロディーラインの美しさとパンチ力には唸った。歌のないインスト部分は、まるで70年代フュージョンのようだ。「魅力がすごいよ」というアルバムが気に入ったので新しくリリースされる「両成敗」を発売日に入手した。CDにはツアーチケット予約券が封入されていた。一旦は面白がって申し込んだみたが、ジジイが一人で出かけていって前後左右を若い女子に囲まれるのも厳しいので、申し込みは結局キャンセルした。
その後、すぐに例の騒動が起きた。不倫云々は音楽自体とは関係のない話だ。初回限定盤には特典DVDが付いていて、中で川谷氏一人だけがバスガイドの女装しているのだが、そのナルシストぶりというか独りよがりで多分にキモいところが楽曲制作の肝であるのだから今後もゲスっぷりを極めていって欲しいと個人的には思っている。
とにかく、そんな16GBのSDカードを埋める作業の中で出会ったアーティストの中で最も気に入ったのが「ゆらゆら帝国」である。もちろんバンドの存在は知っていたが楽曲に触れる機会がほとんどなかった。60年代モチーフの3ピースバンド、例えばクリームとかジミヘンあたりを意識した音だろうとルックスから勝手に判断していた。
実際に聴いてみて驚いた。例えば、先に述べたようにファズの効いたギターサウンド主体のバンドであることも間違いではないが、後半へいくに従って面白い方向へと音楽も変化していく。デビューアルバムの「3X3X3」と、最高傑作と称されるラストアルバム「空洞です」を比べると同じバンドのサウンドとは思えない。しかし、その中には共通してバンドの中心人物である坂本慎太郎という人の世界観が流れている。その歌詞の描き出す世界に、ギタープレイに、つぶやきや歌声に、美大出身である彼の手がけるアルバムのアートワークも含めてすっかり魅了されてしまった。
「誰の真似でもない、独自の世界観の提示」こそがアートと呼ぶに値するための必要条件である、と俺は考える。だが、これがなかなかに難しい。
ゆらゆら帝国の音楽には確固たるオリジナリティがあった。しかも、それは嫉妬するほどにカッコ良かった。
バンド解散後のソロアルバムも含めて全ての音源と映像作品を入手した。今、それらを楽しみながらバンドの辿った足跡を探求している。
しかし、こんなに凄いアーティストがいたんだな。同時代に生きながら、その魅力に気づかずにライブにも行けなかったことは残念ではある。けれど悔やんでも仕方がない。いや、むしろこうしてSDカードが縁で出会えたことに感謝すべきなのかもしれない。
坂本慎太郎は俺の二歳下だ。まだまだ彼の音楽に触れる機会は残されている。
だって最近の車は純正オーディオのままでも、極上ではなかろうが昔のようにダッシュボードの上からひび割れたサウンドが聞こえるわけでもなく、つまり音質はさほど悪くないのだ。
とにかく、CDの出し入れの手間を解消すべく家電量販店へと出向いてSDカードを買った。これにお気に入りの音源を入れておけばいい。データ容量をどの程度にするかを考え(そこでは16か32かの選択でしかなかったが)とりあえず16GBにした。足りなければ32GBのものを再び買いなおせばいい。
普段、SDのデータ容量などを気にする機会がないため、写真が、音楽が、動画が、どれほど入るのかを知らずにいた。ただ、以前にipod nanoを旅行用に買ったが大して曲数が入らずにがっかりした経験はある。
帰宅して、早速入れておきたいCDをSDカードへと送信し始めてみて気がついた。16GBには驚くほどの音源が入る。どんどんお気に入りのアルバムが入っていく。逆に言えば、いくらCDの音源を転送しても16GBは埋まっていかないのだ。
常備しておくべき楽曲群、例えばビートルズの全アルバムやジェシー・ハリスといった個人的に思い入れのあるアーティストを入れ終えると、俺は残りのスペースをこれまで聴いてこなかった音楽で満たすことにした。それは主に国内のアーティストである。例えば槇原敬之とか、最近で言えば星野源とか。他にも多くのアーティストのアルバムをTSUTAYAで借りたのだが羅列しても意味がないので割愛する。どんなに容量があっても個人的な趣味に合わないもの、例えば(ファンの方には申し訳ないが)矢沢永吉とかB’zといったアーティストに手は伸びなかった。
中でも「ゲスの極み乙女。」には感心した。演奏技術の高さとアレンジの巧みさ、そしてどの楽曲にも含まれるフックとなるメロディーラインの美しさとパンチ力には唸った。歌のないインスト部分は、まるで70年代フュージョンのようだ。「魅力がすごいよ」というアルバムが気に入ったので新しくリリースされる「両成敗」を発売日に入手した。CDにはツアーチケット予約券が封入されていた。一旦は面白がって申し込んだみたが、ジジイが一人で出かけていって前後左右を若い女子に囲まれるのも厳しいので、申し込みは結局キャンセルした。
その後、すぐに例の騒動が起きた。不倫云々は音楽自体とは関係のない話だ。初回限定盤には特典DVDが付いていて、中で川谷氏一人だけがバスガイドの女装しているのだが、そのナルシストぶりというか独りよがりで多分にキモいところが楽曲制作の肝であるのだから今後もゲスっぷりを極めていって欲しいと個人的には思っている。
とにかく、そんな16GBのSDカードを埋める作業の中で出会ったアーティストの中で最も気に入ったのが「ゆらゆら帝国」である。もちろんバンドの存在は知っていたが楽曲に触れる機会がほとんどなかった。60年代モチーフの3ピースバンド、例えばクリームとかジミヘンあたりを意識した音だろうとルックスから勝手に判断していた。
実際に聴いてみて驚いた。例えば、先に述べたようにファズの効いたギターサウンド主体のバンドであることも間違いではないが、後半へいくに従って面白い方向へと音楽も変化していく。デビューアルバムの「3X3X3」と、最高傑作と称されるラストアルバム「空洞です」を比べると同じバンドのサウンドとは思えない。しかし、その中には共通してバンドの中心人物である坂本慎太郎という人の世界観が流れている。その歌詞の描き出す世界に、ギタープレイに、つぶやきや歌声に、美大出身である彼の手がけるアルバムのアートワークも含めてすっかり魅了されてしまった。
「誰の真似でもない、独自の世界観の提示」こそがアートと呼ぶに値するための必要条件である、と俺は考える。だが、これがなかなかに難しい。
ゆらゆら帝国の音楽には確固たるオリジナリティがあった。しかも、それは嫉妬するほどにカッコ良かった。
バンド解散後のソロアルバムも含めて全ての音源と映像作品を入手した。今、それらを楽しみながらバンドの辿った足跡を探求している。
しかし、こんなに凄いアーティストがいたんだな。同時代に生きながら、その魅力に気づかずにライブにも行けなかったことは残念ではある。けれど悔やんでも仕方がない。いや、むしろこうしてSDカードが縁で出会えたことに感謝すべきなのかもしれない。
坂本慎太郎は俺の二歳下だ。まだまだ彼の音楽に触れる機会は残されている。