最近、よく耳にするニュース。

それは【幼児虐待】


あまりにも酷すぎる・・・

あまりにも痛すぎる・・・

あまりにも悲しすぎる・・・


ガクリ


そんなニュースが気になっているこの頃。

電車で見た今日の光景は、

とある母親と娘のやり取り。


子どもは必死に「トイレに行きたい」とか、

「何か食べたい」という訴えをしている。


それに対し、冷たい母親。

あれは躾の域を超えている・・・。


「うるさい!」とか「静かにしろ!」は当たり前。

「車掌さんに怒られるだろ!」とか、

「我慢しろ!」とか、

頭ごなしに子どもの要求をピシャリスリッパ


その間も子どもは、

母親の足を両手で抱きかかえるようにシッカリしがみつき、

泣きながら必死の訴え。


けれど要求は受け取ってもらえないどころか、

無視をされたり、怒鳴られたり。


そんな光景を目の当たりにし、

ふと思った。


3~4歳くらいの子にとって、

当然親は絶対的な存在。

トイレに行きたいとか、何かを食べたいというのは、

生存していくために欠かせない要求にも関わらず、

親には冷たくされ、邪魔扱いされ、

要求を満たしてもらえない・・・一体誰を信頼しろと言うのか?

一体誰を信頼して生きていけばいいのか?


この子が小学生になって、

万が一イジメられたとき。

母親は味方になってくれるだろうか?

・・・今日のやり取りからは、

とうてい味方になってくれそうもない雰囲気だった。


あぁー心が痛い・・・沈


それでも生きていかなくてはならないわけだから、

この子にとっては棘の道かもなぁ。。。


つい先日もファミレスで痛々しい親子のコミュニケーションを見た。

親も子どもとどう接していいのか模索しているのかもしれないけれど、

コミュニケーションのノウハウやら方法やら、

うんぬんかんぬんの前に、

愛情が欠如しているように感じる失恋


世の中全体が愛情不足なんだなのぉー


そんな親も親からの愛情をもらえてなかったのかもしれない。

けれど悲しいスパイラルよね、これn--*


愛情や信頼のやり取りが軽薄になってきて、

人間関係が崩壊してゆく現代。

私はこれが一番の社会問題だと思ってます。


この危機感に気づいている人はどのくらいいるんだろ?

発信力・・・うん、とても大事ね。


発信しないと、何も寄ってこない。

発信しないと、何も伝わらない。

発信しないと、孤独になる。←これ、最近気づいた。


発信した者勝ち王冠・・・なのよね。



誰かと同じことをやるのは、

おもしろくないと考えがちな私は、

誰も耕していない畑を発見したい人。


新しい畑を見るとウハウハする体質。

誰も踏んでいない雪に一目散に飛び込んでいく人。

新製品には思わず手を伸ばしちゃう人。

それが私なんです。


自分的に「これ、新しいきらきら。」と思って飛び出し、

世間を見渡した時に既に存在していると、

一気にテンションはLow矢印矢印

その瞬間、もうやる気は失せています。


でもさ、ふと思うのが、

例え誰かが開拓していた畑だとしても、

私が創ったら全く同じ畑になるとは限らないのよね。

むしろ違う畑にすることは如何様にもできるし、

そもそも同じ畑になるわけがないのよ。


そこでLowになるのは、

多分・・早いんだよね。


どんな野菜を植えるのか、

どんな植物を育てるのか、

それこそ私の色だったり、センスだったり、個性だったりするわけで。


畑に沢山の彩られた植物たちを見て、

「あ、これが私なのね」とか、

畑に彩られた植物たちを見せて、

「このセンスが私なんです」としてもいい。


そっちのほうが伝わったりするんだろうね。

だからひとまず畑を創って

発信していくしかないんだな。


私の場合、自分との闘いだ。。。(ひとりごと)

随分とご無沙汰にしてしまいました・・・ブログ。

無法地帯・・イカン、イカンア セ



さて、今日の話題は許せない人。

あなたの中には“許せない人”がいますか?


そりゃーさ、人生数十年生きていれば、

許せない人の一人や二人はいますよね。


許せない人って、

その人の何が(若しくはドコが)許せないんだろうか・・・?

って考えてみたことはありますかはてな ブラウン


一概には言えないけれど、

許せない人がいると思っている人は、

「相手が自分を傷つけた」と思う傾向アリためいき


しかし、

誰も自分を傷つけることが出来ない

のが真実。


ちなみに・・・私がこれを知ったとき、

衝撃カミナリが走りましたよ、そりゃーもう。

この真実を体感が伴って理解するまでに、

どれほどの時間がかかったことか・・・。


それはさておき。

相手の行動や言動によって、

自分が傷つくというのは当然あります。

けれど、傷つくのはあくまでも自分の選択なんです。


誰かに「ブス」と言われました。

傷つくも自分次第、傷つかぬも自分次第。


「あの人が私をブスと言ったことで私を傷つけたわ。

あぁーヒドイ!あの人はヒドイ人だわ!」

と考える人もいれば、


「あの人は私のことをブスだと思っているらしい。

まぁ、これも個性だし愛嬌があって自分は好きだからいっか。」

と考える人もいる。


要するに自分で「傷つく」選択を無意識にしているわけです。



話は戻り・・・

もし許せないと思う人がいるならば、

それは自分が自分に許していないものを知るチャンスにもなります。


相手のルーズなところが許せないのであれば、

自分が自分にルーズを許していない。

相手の自己中心的なところが許せないのであれば、

自分が自分に自己中心的な部分を許していない。

相手の批判的なところが許せないのであれば、

自分が自分に批判的な部分があることを許していない。


自分のなかで

・こういう人間であってはいけない

・こんなこと考えてはいけない

・こういう人でなければいけない

など、制限があればあるほど、

許せない人は周囲に増えてくるもの。



人には醜いところも、

汚いところも、

悪いところも、

弱いところもあって当然。

それが人間ですからね。


それを自分に許すだけで、

見えてくる世界が変わってくるから。


もし許せない人が現れたとき、

ちょっと立ち止まって考えてみよう。

「この人のドコが許せないんだろうか?」と。

そして、自分に聞いてみよう。

「自分に許していない部分ではないの?」と。


許すことができた時=受け入れることができた時


これが思った以上の成長になるんだな希望の芽

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私の場合、後編のほうがタメになったひらめき



私は、とにかくタフです。

これは昔からよく言われます。


フットワークも軽いし、

とにかく、出没おばけ*頻度が高いんです。

要するに一言でいうと、『行動派』


私からすると動きまくるのは日常茶飯事のことで、

なんの目的で自分が動くのかをあまり考えたことありませんでした。


しかし、そこをあえて考えてみました・・・考える人

自分が当たり前のようにやっている行動って、

人からすると不可解に映ることもありますね。

なぜ自分がその行動をとっているのか、

なぜ自分がそういう考えを持っているのか。

これを考えるというのは、自分探しの大きなヒントとなり、

自分を知るのに分かりやすく、近道。

自分を知ると、自ずと役割が見えてきたり、

進むべき道が見えてきたりします未知との遭遇

だから、あえて考えてみました考える人


すると・・・

私にとって“出没する”=要するに現場に足を運ぶというのは、

とても価値のあることだと思っていることが判明ひらめき


私は昔から“生の感覚=Live感”が大好きキラキラ

ワクワク・ドキドキするし、

その場にいないと体験できないことなんて、

山ほどあるわけですうさぎわくわく

むしろその時、その場でしか味わえないことだらけ。

同じ時間を自宅で過ごすことも出来るし、

同じ時間を外に出て新しい体験をすることも出来る。

ぜーんぶ自分が決めています。


その瞬間瞬間を、

「どこに身を置くことが自分にとって一番幸せであるか」

人は選択しています。

なので、私の場合は外出することで、

自分の経験値を上げることが、

より自分の人生を豊かにするのではないかと思っている節があり、

行動に出ることを選択していますダッシュ


出来事・未知の世界や新しい人との出会い・体験・発見・可能性・・・など、

『その場にしか起こらないこと』がたくさん眠っている宝の山キラッ

それをリアルに感じることが大好きで、

そこに価値を感じているのです白熊


その考え方が根源にあるため、

私はなるべく多く外に出て、

より多くのものを実際に見て・聴いて・触って・感じたいと思い、

よく現場に足を運びます棒人間


自分の欲しいものは、自分で発見しに行く!!!!!

人生は宝探しである!!!!!

それが私のモットーイェイ!


今はバーチャル世界が幅を利かせてきましたが、

やはり私はリアル世界が大好きです。

そして何よりも現場主義ペタ


私は自分のこの生き方に、

実はだいぶ誇りを持っているみたい偉い人

・・・ということが、最近わかりました電気


これからも現場主義を推奨していきますわよ応援する棒人間