思うところがありまして、ブログを移動いたしました。
新しいブログは → コチラ
http://yosojidodo.blog116.fc2.com/
になります。
このブログは当面このままの状態で維持して、
あちらのほうへ、新しい記事をUPしていこうと思っております。
*ブックマークされている方、ぜひ変更をお願いいたしますm(u_u)m
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医師や弁護士と結婚したい、と言う女性。
決して、珍しくはありません。
誰しも、まわりに1人や2人思い当たるのでは。
もしかしたら自分自身がそうだったり。
初心貫徹して、そのお相手を見つける人もいるし、
そうでない人もいる。
医師や弁護士の魅力は、そのステータス感、エリート感。
頭の良さそうな感じや、ある程度以上の収入、
その上、人のためになる社会性の高い仕事。
人に自慢でき、親も満足しそうな感じ。
そういうところが、世の女性に魅力なのだろうと思います。
しばらく前、知り合った女性にも、「弁護士と結婚する」
と決めていた人がいました。
子供の頃、なにかのドラマか映画かで、カッコイイ弁護士を見て
その職業に恋をしてしまったそうです。
その魅力について、とうとうと語られた記憶があります。
若くて、美人で、とても頭のいい女性だったので、そのうち、
素敵な弁護士の夫をつかまえるに違いないと思っていました。
その女性と、しばらくぶりに会う機会があり、
その後、どうなったか、話を聞きました。
彼女は、弁護士のオトコをつかまえてはいませんでしたが、
なんと、弁護士になるための大学院に通っていました。
優秀な女性なので、そのうち、本当に弁護士になってしまうでしょう。
彼女は、とてもイキイキして見え、
「自分が弁護士になりたかったんだと気付いた」と言いました。
このお話で、もしかしたらいろんなことが考えられるでしょう。
いやみっぽく考えるなら、
「結局、弁護士の男をつかまえられなかったから、代償行為よ」とか
「結局、弁護士の卵に目をつけようとしてるんじゃない?」とか。
でも、私にはわかります。
女性が○○(という職業の人)と結婚したい、と考えるときに、
その心の一部に、確実に、その職業自体への憧れ、
もしかしたら、自分が男だったら、なりたかったかもしれない職業、
という思いが紛れているということ。
それに気付いたら、そして、そのチャンスがあれば
自分がなってしまえばいいということ。
女性の悪い癖に、よそ様の新郎様をアレコレ言う、というのがあります。
まあ、男性にも、よそ様の新婦様をアレコレ言うことがあるでしょうが
それは置いておきます。
結婚式や、結婚しましたハガキなどで、知人友人の旦那さんを見て
「うーん」と思ったこと、誰しも一度や二度じゃないはずです。
口に出すかどうか、出せる環境かどうかは別として
「なぜこの人?」という不思議な感想を持ったり、
独身であれば、「妥協するぐらいなら一生独身でいい」
という不遜な感想を持ったり。
社内結婚などでは、旦那さんのことがよく知られているわけですから
その批評は、さらに熾烈をきわめたりします。
本人のいないところで「あの男は、ないよな~」などの毒舌。
正直、恐ろしいと思ったこともあります。
しかし、みんなの意見を否定できない自分もいる。
そんなとき、人の目を気にしての結婚相手選び、
という意味がわかったりします。
見た目、経済力、キャラクターなどにおいて、
人に羨ましがられるような、
いや、羨ましがられるまではいかなくても、
バカにされないような相手がいいなという心理。
趣味悪いわねえ、なんて言われたくないという心理。
批評は、決して本人の耳に入るものではなく、
言われるのも結婚時の一時期に過ぎないのですが
人はそんな場に何回か居合わせると、
趣味悪いわね~なんて言われない相手を、と
思うものなのかもしれません。
ちなみに、この年まで独身の女性達の中では、一般に
お金持ちで見た目があれ?・・・・って人よりは、
貧乏なイケメン君のほうが、何倍も好評のようですが、
そこには一体どんな心理が働いているのでしょう。
独身は、気楽だ。
自分ひとりの面倒を見ていればいい。
好きな時間に、好きなことができる。
心配しなきゃいけない子供もいないし
責任を持たなくてはいけない相手もなし。
自分ひとり、自分の責任で生きていく。
楽です。
きわめて楽です。
一方、既婚。
誰と共に暮らす楽さがあります。
どんなことも、助け合って分担することができる。
世間的に、認められるという、楽さもある。
将来が、なんとなく安心していられる、
孤独にならないような気がする、
そんな気持ちの楽さもあるでしょう。
こちらはこちらなりに
楽です。
結局のところ、どっちの楽が好ましいか、
その決断のような気もします。
「なれるとしたら、どんな動物になりた~い?」
子供の頃から、繰り返し聞いた気がする質問です。
猫好きの人なら、「猫」と答えることもあるのではないかと思います。
のびのびと気ままに生活し、飼い猫であれば飼い主に可愛がられ、
快適な環境で、餌をとる苦労もない。
ぬくぬく、だらだら。
いいなあ、おまえたちは・・・
と私も何度思ったことか。
しかし、猫好きの私であっても、「どんな動物になりたいか」
という質問に、「猫」と答えた記憶はありません。
たいがいは、大空か、大海原の動物、
野生の動物です。
そこにある苦労はもちろん、想像でしか理解できません。
過酷でしょう。
空腹に耐え、餌を探さなくてはならないでしょうし、
結局、飢えで死ぬこともあるでしょう。
外敵にいつも怯えていなくてはいけないかもしれない。
それでも、飼われるより野に暮らしたい。
ペットより野生動物がいい。
これは、頭で考えてのことではなく、動物的本能的な感じがします。
となると、やはり、猫や犬という人は少ないのかも?