綾瀬、亀有、金町、柴又に次いで訪れた高砂(京成高砂駅)は京成本線、北総鉄道、金町線、また都営浅草線に直通する押上線への乗換もできる東京東部屈指の一大ターミナルといってよいのですが、たくさんのバスが乗り入れ、乗降客でごった返すような感じではなく、スーパーや団地、住宅街が近接した、落ち着いた感じの私鉄沿線の駅らしい雰囲気でした。そんな京成高砂駅の南口の目の前に青和信用組合はあります。封筒には車に乗ったり、水に戯れたり、犬を連れて散歩するなど、いろいろな人(40人近く)が描かれている、ほのぼのとしたイラストです。イラストの下にはロゴマークと組合名のロゴがあり、マークの方は円の下方の円周上にある3点から同じく円周上の最高点(上方中央)にある1点に線が集まっていくようにみえます。線は弧のように直線ではなく、弧を左右反転させたように緩やかな曲線で結ばれて、あたかも一本道を遠近法で表したようでもあり、飛行機が通り過ぎた後の気流のようでもあり、鉄塔を下から覗いたようでもあり、アルファベットの〝A〟を意匠化したようにも見えます。裏面には出納メモと支店一覧が載っています。

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第一勧業信用組合は亀有で偶然見かけ訪問しました。はじめはかつて存在した第一勧業銀行のカラーも書体もソックリであったため、一勧をパロディにしたインチキな金融屋かと思いました。しかし信用組合とあるので、その由来を後で確認したところ、歴史もあり大信とならび都内では有数の規模である信組であることを知りました。己の無知を恥じ入る次第です。
もともと日本勧業銀行の職域信組としてはじまり、地域信組へ転換。勧銀が合併し第一勧業銀行の誕生に合わせ、第一勧業信用組合と名称を変更し、その後に破たんした同業を吸収、事業譲渡をうけるなど業容を拡大し現在の形に至っています。第一勧銀がみずほ銀行に統合された後も、親密ではあるもののみずほ銀行に吸収されることなく、第一勧業の名を守り続けています。封筒は下方に紺色と赤の太さの異なるラインが引かれ、第一勧銀と同様の明朝体で組合名が記されています。裏面には出納メモがあります。

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共立信用組合は都内大田区大森に本店があり、大田区内を中心に支店が展開されています。三田にある大東京信組を訪問した後、都営浅草線で中延へ向かい中原街道から一方通行の駅前通りを少し入ったところに共立信組中延駅前支店がありました。封筒は信組共通デザインに下方に組合名があります。


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私にとって「大東京」という言葉から連想されるのは昔モーニングという週刊マンガ雑誌に連載されていた「大東京ビンボー生活マニュアル」という知る人ぞ知るマニュアルとは名ばかりの叙情に溢れる貧乏生活を描いたマンガですが、こちらの〝大信〟こと大東京信用組合は都内有数規模の信用組合です。春の信金信組巡りでは都営地下鉄三田駅の近くにある支店を訪問しました。いくつかの信組から引き継ぎ、事業譲渡をうけ、支店や出張所は47に及び、総資産は5000億円近いようです。
封筒は白い封筒に下方に緑の横線が引かれ、その下には〝心・ふれあい〟というフレーズとロゴマーク、組合名が、裏面には支店一覧が記されています。今度の9月で60周年を迎えるようで、封筒にも何か変化を期待したいところです。

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信用組合は協同組合による金融機関とされ、これを構成する組合員の特性により3つに分類されます。
信用組合の営業エリアに住んでいる住民、事業を営んでいる中小の事業者および従業員、役員を対象とする「地域信用組合」、同じ事業を営む関係者を対象とする「業域信用組合」、同じ職場に勤める人たちを対象とする「職域信用組合」があります。都内にはいずれのタイプの信組もありますが、地域信組について言えば、墨田区、台東区、江東区など東部に多い傾向が見られます。北部信用組合もその一つで、都営浅草線浅草駅出口に本店があります。ホームページはないので概要はよくわかりませんが、信用組合のデータによると、現在足立区など4支店があるそうです。封筒は小さいものは共通デザインのものに下部に組合名、中型のものは共通デザインに下部には信用組合とだけ記されています。


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