隆慶一郎 『捨て童子・松平忠輝(下)』 (講談社文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。


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 1993年1月発行の講談社文庫。徳川家康の第6子である松平忠輝にスポットを当てた伝奇ロマンの最終巻である。

 中巻では、大久保長安の野望により忠輝に謀反の疑いがかけられる恐れがあるとして、家康と伊達政宗により、忠輝をイスパニアへ亡命させる計画が進行するところまでが描かれていた。しかし忠輝本人は、異国を見聞したいという希望を持ちつつも、福島藩の藩士や領民に危難が及ぶことを避けるため、亡命を拒否する。家康は策を練り、秀忠の家老である大久保忠隣の非を取り上げ、大久保長安の罪が忠輝に及ばないよう、秀忠を牽制した。 

 しかし秀忠は、自分にない能力を多々持ち合わせている忠輝が憎くてたまらない。柳生を使って、傀儡子の集落を襲撃させた。忠輝は才兵衛と二人だけで柳生屋敷に忍び込み、道場を焼き、秀忠と柳生に打撃を与える。このくだりは、忠輝の面目躍如で、実に痛快だ。

 秀忠は将軍としての実権を握るために、大御所の家康が邪魔である。しかし、大坂に豊臣秀頼がいる限り、幕府の安泰は望めないし、大坂方との戦となると、家康に頼らなければならない。秀忠は秀頼を討つために最大限の策を弄し、いよいよ大坂の陣へと雪崩れ込んでゆく。

 そして、夏の陣。忠輝の福島藩も出陣するのだが、忠輝本人は、秀頼との友誼を重んじ、戦場へ出なかった。影武者を立て、自身は傀儡子の一族に交わって、傍観に徹したのである。いよいよ大坂城の落城というところまで来て、忠輝は単身で秀頼の許へ出かけ、千姫の救助を手伝い、秀頼の最期に立ち会う。せめてもの友情を示すこのあたりの描写は、歴史に照らしてどうなのかと疑問もよぎるけれど、忠輝の心情がよく出ていて、心を打たれることになる。

 秀忠は、忠輝が戦場を抜け出したことで罪を着せようとするが、忠輝は巧みに逃れる。しかし、大坂への行軍の途中、旗本が福島勢の先陣に割り込み追い越して、福島勢に無礼討ちされた事件があって、そのこと自体は軍法に適った措置であったのだが、執拗な秀忠は見逃しにはしなかった。旗本といえば、将軍の直接の部下なのであり、忠輝追及の絶好の口実となり得るのだ。それを知った家康は、敢えて忠輝を勘当する処置をとり、謹慎させることで、秀忠の魔手が忠輝に及ばないように防御せざるを得なかった。

 大坂城の落城と忠輝の謹慎でこの物語は幕を閉じてもよさそうなものだが、おまけのように、もう1章が設けられている。いよいよ家康の存在が邪魔になった秀忠は、家康の鷹狩りの場を柳生に襲撃させ、暗殺を目論むのだ。しかも、柳生には傀儡子の装束を纏わせ、忠輝の仕業と印象付けようとする。もちろん、その情報を得た忠輝はしっかりと備えをし、逆に柳生を完膚なきまでに叩くのである。伝奇ロマンの幕切れを飾るには格好の痛快シーンが展開することになる。

 家康は駿府城の黄金の一部を忠輝に与え、忠輝を慕うキリシタンが地下に潜伏rするための資金とさせた。秀忠の将軍としての器量に不安を抱く家康は、忠輝が無言の圧力を秀忠に与え続けることを望んで、死んでゆくのである。そして忠輝は、配流のまま80余歳まで長命を保ち、秀忠の暴走を押さえ、徳川幕府の安泰をもたらしたのであった。

 壮大な構想力と言えるのではないだろうか。自然児といえる忠輝と、欲の権化ともいえる秀忠を造形し、狸親爺と呼ばれる家康にも特殊な光が与えられている。そこへ、柳生と忠輝の迫力溢れる闘争が加わり、息つく暇もないほどの読み応えとなる。何度も書くようだが、これは文句なしの面白い小説である。

 著者の作品に接するために、あまりに早い死を惜しまずにはいられない。

  2013年8月31日  読了