内視鏡を一応説明すると
肛門から細いカメラを入れて大腸の中を見るものです。
そのカメラ映像がそのままモニターに映ります。

まず入りがけすぐの位置で
ポリープ発見された。

次に奥まで進み問題部分発見。
狭窄といって大腸がまわりから浸食され狭くなっている。
色も黒い。
こりゃー黒だなと確信した。

それぞれの箇所を手術用にマーキングして終了した。

検査が終わり担当した内視鏡の先生
「これはたぶん悪性ですよね?」と訪ねてみた。
「確定的なことは言えませんが間違いないでしょう」

この時から察しはついていた。

つづく
内視鏡検査の前日は腸をからっぽにするため、食事抜きになった。
そして当日の朝から下剤2ℓを飲まなければいけない。

これが微妙な不味さ。
前日母親から聞かされてはいたが「薄いポカリスエットみたいな味」は
言い得て妙だと痛感。

1.2ℓぐらいまでは平気で飲めていたのだが
それ以上が進まない。
少しは飲んで少し休んで。
「全然減らねーw」

と気合いで多く含むも飲み込めない。
最後はどうにか気合いで2ℓ飲みきりました(´∀`)

いよいよ内視鏡へ

つづく
視神経炎発症と同時期にお腹が痛い事が頻繁に起きていた。
便の出る腹痛というよりも
お腹が張って苦しいという感じ。

眼科入院中にその事を相談し検査となりました。
まずは、CT、MRIを行いました。

診断結果は、大腸に何かあるという事でした。
次に内視鏡検査で詳しく見るという事になりました。

この時まさかとは思ってました...

つづく
一回目のパルスが終わった時点では
全くといっていい程効果が見られませんでした。

9月8日に第二クールに突入しました。

この時は、まだ初期のスマホでmacbookがあれど
ネットができない状況だったので
眼科に入院していた時は、体は元気そのものだったので
一日中本を読んでました。

食事だけが唯一の楽しみでした。

つづく
9月3日より大学病院の眼科に入院した。
これからパルス治療を1回3日を2クール行う。

左目は、ほとんど見えない状態となっていたが
体はどこも痛くないので暇を持て余してしまった。

この時はまだ初期スマホだったためネットもできず
本を読むのを楽しみに毎日生活していました。

食事だけが唯一の楽しみでした(・∀・)

つづく
左目は、日に日に視界が狭くなり1週間後には
ほぼ色が認識できなくなりました。
病院での診断結果は突発性視神経炎

原因不明の病気らしい。

治療には入院を要すると言われましたが
すぐには都合が付かずに9月3日からの入院になりました。

8月末にて少し会社を休む事になりました。

つづく

眼科から紹介があった大学病院へ向かった。
土曜日のため比較的人が少ないように感じた。

そして診察になった。
「んーんこれは」
またかいその反応は( ´Д`)=3

入院しての治療が必要かもしれません。
取り替えず今度CTとMRIの予約を入れますので
詳しく調べた方がいいです。

という説明を受け
帰宅したのであった。

実はこの時、妻と子供3人は岩手へ旅行へ行っていた。
夜妻から電話があり眼科どうだった?
と聞かれ、まーそのうち治りそうと適当に答えておいた。

旅行が盛り下がっては僕的に嬉しくなかったのだ。

つづく
目が霞んで視界が狭くなってから3日経過していた。
視界はどんどん悪くなり
左目の半分を遮るようになっていた。

8月18日に近所の眼科を受診。
何やらいや~な雰囲気。
案の定先生から「いつからこうなの?」「なんですぐ来なかったの?」
と質問攻めに合う。
(すぐ休めるなら休んでるよ)と心の中で思いながらも
仕事だったので...と。

すると先生すぐにどこかへ電話。
「急患なんだけど一人診てくれ」と言ってました。
すぐに紹介状を書くから〇〇大学病院へ
今から行きなさいと言われました。

やばいのか?僕の目は....。

つづく
視界が悪くなったと同時期に腹痛が頻繁に起こるようになった。
特に朝方に痛かった。
腹痛といっても便が出る腹痛とはちょっと違った。
ガスがお腹に溜まる感じだった。
ガスが出ると楽になり、しばらくするとまた痛くなる。

激痛という痛みではない所が今思えば厄介でした。
自分なりネットで調べ
近い症状は急性胃腸炎
だと思っていた。

つづく
平成24年8月中旬ある日の事。
何か視界が悪い。
目の病気にあまりなった記憶がない。
どうも左目の上の方が霧がかって見える。
おかしい。

と思っても急に仕事を休んだりできないのが飲食店の常。
デスクワークだったら融通が聞くのかな?
なんて思ったのはもう何度目か。
という訳でその日も普通に仕事。
正直いうと「そのうち治るだろう」と思っていたのです。

そんな風に考えていた3日後
当初、上の方だけ霧がかっっていた目の視界は
半分以上を覆うようになっていた。

つづく