話題の本ですよね。
とても読みやすかったです。
娘が毒親である母親を殺してしまう話です。
どんな毒親かというと、「家から通える国立大学の医学部」に娘を入れたい親です。入れたいというか、それ、1択なのです。
ヤフートピックにもあがっていて、コメント欄読みました。
「いい年した大人が母親とか関係ない」とか
「母と一緒に暮らさなければいいのに。働いて自立したらいいのに」とか
「私立に入れる経済力がないなら目指すべきでない」とか
ありました。
毒親育ちを自称してる私ですが、最近は私も反省したり本当に毒親だったのかな、と考えることもありましたけどね。
でも、この本を読んで、このヤフコメを見て、やっぱり毒親育ちだな、と実感しました。
ヤフコメの人たちの言うことは毒親育ちじゃないから思うことなんだよなー、と。
アルバイトひとつ、させてもらえない。
就職させてもらえない。
就職してても一人暮らしさせてもらえない。
経済的がないから私立がダメなんじゃない、この母親の希望は「国立大学医学部」だからそれ以外はダメなんだ。
文中にあった、
「毎日をやり過ごすために神経をすり減らす」という娘の言葉。
まさに、そうなんです。
医学部とか、そういう大きなものから、放課後友達と遊んでいいか、のような小さなものまで、母親の希望を予想し、自分の希望と違うと予想されたら、嘘をついたり、さまざまな妥協案を出したりして、やり過ごさなければならない。
同時に、殺された母親の描写で私のやっていることと同じこともあったりして。
私ももちろん毒親なんだなー、と思ったりもする。
毒親は連鎖する。
例えば「子どもが疲れたと言うな」とか「暑いときは、心頭滅却すれば火もまた涼し、と唱えろ」とかね。
わたしはやりますし、やめるつもりはないですし。
理由は「疲れた〜」とか「暑い〜」とか言う言葉は聞いていて気持ちのいい言葉ではないからです。
私もつかいません。
大人で使ってる人、います?
もちろん、「今日は昨日より暑いね」みたいな会話はOK。
話、それましたね。
多少の毒親エッセンスはあれど、進路などには影響ないような親子関係でありたいな、と思います。
本は、もう、あっという間に読める読みやすさですからオススメです。