今日は8月6日
今日は、8月6日。
広島に原爆が落とされてから63年目の日。
末っ子の私の父の、一番上の兄と、二番目の兄が、建物疎開に出て原爆で死んだ日。
だから、私は、その伯父達の顔を知らない。
私が通っていた小学校の担任の先生のお兄さんも、建物疎開で亡くなられた。
90になる先生のお母さんは、今でも心に傷をうけておられる。
子どもの頃、黒い雨にうたれたけど、被爆者健康手帳をとろうにも
もう、
それを証明してくれる証人がみな、故人になっておられて困っておられる方も知っている。
私の、一番の親友のお父さんも原爆で一度に両親を失った。
親友のお父さんは、いまだに、一切原爆の事を語ろうとされないそうだ。
原爆は、私にとって、全然過去じゃない。
直接経験してない私には、偉そうな事は言えない。
でも、
自分の子ども達に、少しでも原爆のこと、平和の事を受け継いでもらいと、思っている。
それが、義務だと思っている。
だから、子ども達がある程度大きくなった頃、8月6日に原爆の日に平和公園に行った。
平和公園にいって、ものすごく違和感を覚えた。
原爆ドームの前をビールを飲みながら楽しそうに横切って行く、海外から来た2人連れの男の人。
慰霊碑に祈りを捧げる人の方が慰霊碑の前まで行くのに、遠慮しなければいけない位置で、なんだか盛大にテレビ中継までされて行われている
クラッシック演奏のイベント。
伯父の為の灯籠を流そうとしたとき、
順番待ちの列が出来ていて、その最後尾に『最後尾はここです。約○○分待ちです。』という、
プラカードが出てた事。
なんだか、原爆の日という名前を借りた、お祭りみたいだと思った。
慰霊の日に思えなかった。
ショックだった。
私が子どもの頃は、こんなんじゃなかった気がする。。。。。
そして、
私が、原爆の日に限らず、一番辞めて欲しいと思ってるのは、
原爆ドームや、慰霊碑の前で
ピースをして写真を撮る事。
平和公園に行く機会があって、そういう人たちを見るたびにすごく、心が痛むし、腹立たしくなる。
慰霊碑は、苦しんで、苦しんで、亡くなった人たちの名前が、納められている、
いわばお墓のようなところ。
絶対、写真を撮らないでって、言ってるんじゃない。
みんな、お墓の前でピースして写真を撮ったりしないと思う。
しかも、見知らぬ人のお墓の前で。。。
原爆慰霊碑や、原爆ドームの前で、写真を撮る時は、
原爆で苦しんでいった人たち。
今も、後遺症で苦しんでいる人たち。
被爆二世、三世。。。。。
その人達の事を考えた、行動をしてもらいたいと私は思う。