11月9日~20日

前回書けなかったことを書いてみようと思う。

実は、パパリンの脳内に白血病細胞がいるかもしれないと言われていた。


もし見つかったら、脊椎注射か骨髄注射をして、

脳内の病細胞を殺す治療に入る。でも、脳というのは

異物をブロックする力が強いので、注射ではあまり効果が無いらしい。

すると、残る治療法は放射線しかないという。

その場合、体に当てられる放射線の限界量が決まっているので

ある一定の量を浴びたら、それ以上は出来ないとのこと。

リミットまでの時間は約3週間。そして、それで効果が出なければ

あとは静かに時が来るのを待つのみ、と言われていた。


先生からマミリン、マミリンから私と妹に報告があったんだけど

ホント、絶望的な気持ちになって、3人で悲嘆していた。

でも、検査の結果、脳は綺麗な状態で、病細胞はいなかった!

書いてみるとあっさりしたもんだけど、実際は非常に苦しい。

あと1ヵ月くらいで、最悪のことが起きるのではないかと

毎日胸がつまる思いで仕事をしていた。一体自分には何ができるのか、

パパリンが何をして欲しいか、マミリンや妹と何を相談しようか考えた。


とにかく、脳はクリアしたので次の治療に入れる。

とはいっても、マミリンが体調を崩してダウンしたりもするので

全てがうまくいっているわけではない。ひとつ問題が解決すると

また何か困ったことが起きる。しょうがないか。

メールを見れば、いろいろなことを思い出せるけど

まとめて書くと、まとまりがなくなりそうなので、かいつまんで。。。


ちなみに今日は12月14日(金)、久しぶりにブログに触れた。

あまりに毎日が忙しくて、更新は難しかった…。



さて、11月21日~12月13日までのこと。

21日から、1クール目が始まった。白血球の数値は約9000。


【病院での抗がん剤:約1ヵ月&自宅でのグリベック治療:約3週間】

で、1クール。これを、これから4クール行う予定。

少なくとも、来年の7月中旬くらいまではかかる。

今までの抗がん剤治療と同じくらい、もしくはもっと強い副作用が出るらしい。

パパリンが耐え抜いてくれれば、家に帰れる!!!


27日頃から、白血球が急激に下がり始めた。食事は加熱食品のみ。

生野菜、果物、お刺身は一切NGなので、サンドイッチを買うのも大変。

白血球は300→100と、どんどん下がる。

白血球を上げる点滴を3本打ったけど、上がってくれない。

鼻血が少し出たので、マミリンが先生に報告したら

血小板が下がっていたので輸血をしたという連絡が。


29日、個室に移動。熱は出ていないけど、これからどうなるかはわからない。

30日、ベッドの周りにはビニールシート、大型空気清浄機が入った。

週末に会いに行ってみたら、「頑張れば家に帰れる」と気持ちは前向き。

本当はマミリン以外の入室は禁止なんだけど、こっそり入ってみた。

腿から足先にかけて、赤紫の湿疹ができている。プツプツ、ではなくて

1センチくらいの湿疹が、ほとんど隙間なくある。お腹の辺りは小さな赤い湿疹。

痒いけど、掻くと傷ができるかもしれないので我慢していた。


12月1日の夜から39.2℃の発熱。2日の朝に、パパリンが電話をかけてきて、

「当分、子ども達とは会えないから来なくていいよって伝えて」と言われたらしい。

パパリンには会えなくても、デイルームでマミリンに会えるので、病院には行く。

3日に再度血小板輸血。今回は製剤ではなく、本当の血を入れた。

精神的にかなり辛いようだけど、4週間くらい白血球が上がらない人もいるみたいなので

ぐっとこらえて乗り切ってくれるのをただただ祈る。

4日、熱が下がったという連絡。ひと安心。熱はパパリンの大敵!


5日、マミリンからのメールで、白血球数が2200まで上がったことを知る。

急に上がることもあるんだなぁ…。薬ひとつで細胞の数値を変えられるというのは

医療の面では素晴らしいけれど、なんだかちょっと怖いなぁとも思う。

炎症反応の数値は高いから、まだまだ油断はできない。


6日、内科部長が来てくれて、治療が順調であると教えてくれた。

うまくいけばグリベック=自宅治療に入れる。あとひといき。

熱も下がったし、報告を受けたことで気分も上向きになったようで、

やっといつものパパリンに戻ってきた、とマミリンが喜んでいた。


8日、病院に行くけど会えない。デイルームで編み物をしていたら

マミリンから写メが届く。久しぶりに笑っている顔を見れて良かった。

「会えなくてごめんね~家帰ったら会おうな」(byパパリン)だって。


10日から病院でグリベック治療開始。退院の日も近い。

マミリンいわく、「金曜に骨髄注射が終われば帰れるかも」とのこと。


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そして今日・14日、ついに退院しました!

荷物がたくさんあるので、会社を午後半。

妹は先日まで風邪で会社を休んでいたので

今頑張って行かないといけないので、出社。


昨日までめげていたらしいんだけど、

今日は気持ちを切り替えたみたいでまぁまぁの調子。


餃子が食べたい、というので中華屋さんに寄る。

すでに15時。お腹が減っていたので

沢山食べたいなぁ~と思っていたら

入店して10分くらいでパパリンの具合が悪くなってしまい

「何でもいいから早く食べて」と言われたので

マミリンと急いで食べて、すぐお店を出た。

鼻水が止まらなくて、頭と胃が痛くて

どうしても横になりたかったみたい。かわいそう…。


家に着く。階段を上るのも大変そうで、一段上るごとに

声を出して力を入れている。全然力が出ないから悔しそう。

帰ってきてからずーっとパパリンは眠っている。

来年7日まで病院には行かなくていいんだって☆

また病院に戻らなきゃいけないから、それを考えると

憂鬱になるみたい。けれど、クリスマスもお正月も

家で過ごせるなんて思ってもみなかったから

ラッキーだと思わなくちゃいけないかな、と思いつつ。



10月27日(土)~11月8日(木)

気付けば11月の1/3が過ぎようとしている。

最後のブログ更新から13日分たまってしまった…。


書くことはたくさんあるし、書こうとは思っても、書けなかった。

書いて残すことは、少しずつ消えてゆく記憶の補強をしてくれるし

できるだけ実際に起きたこと、考えたことに近い状態で

後日見直すこともできるけど、そういうことをしたくなかった。


書くことが無意味に思えたからかもしれない。

仕事でも文章を書いているので、うんざりしていたのかもしれない。

書くのではなく、心に留めておきたかったからかもしれない。

書くには辛すぎたからかもしれない。


ただ、言葉にしたら現実になりそうで、とても怖かった。

今も怖いから、書けない。

でも、1年くらい経って「書いておけば良かった」と思うかもしれない。

それはわからないけれど、今の自分の気持ちを尊重しようと思った。


パパリンは、これからの抗がん剤治療に前向きだ。

社会復帰した場合にどういう生活をするか、

退院した後、過ごしやすいように家の1Fをリフォームするならどんな風にするか、

体調が良くなったら家族4人で温泉に旅しよう…ということを考えている。


最近、月~水まで2泊3日の外泊が認められて家に帰ってくると、

食べたいものをマミリンにリクエストして、満腹になるまで食べている。

お寿司、牡蠣鍋、すきやき、ラーメン、餃子 なんでも食べるし、

朝なんてお腹が減って起きるくらいだ。少しずつ体重も増えている。


体力がなくなってしまったので、軽くバランスを崩すだけで

自分の体を足で支えられなくなってしまい、転んでしまったこともあったけど

体調が許す限り病院の敷地内を散歩して、環境の変化に慣れようとしている。

友人が来れば2時間も3時間もデイルームで話すこともできるし、

マミリンが食事を作れないときは、自分で売店まで行って食べたいものを買う。

時には食堂でカツカレーを食べているようだ。


美味しいか美味しくないか、そんなことはたいした問題ではない。

そりゃ、食事だけが楽しみだから、美味しい方がいいけれど。

今は、ベッドから起き上がることができて、食事を摂りたいと思い、

それを行動に移そうという気持ちが起こり、実際に自分の足で歩くことができる、

そのこと自体が重要。パパリンが病気になって、つくづく想う。


起きて、食べて、通勤して、仕事をして、疲れたなぁと思いながらもまた電車に乗って、

眠いなぁと思いながらも夕飯を食べて、面倒くさいなぁと思ってもお風呂に入って、

何も考えないうちに床に着く。健康で、深刻な悩みが無いからできることだ。

それは当たり前のことではない。そして、お金では買えない。

そんなことわかっているよ、と思うかもしれないけど、本当はわかっていないと思う。

日々、生活をしていれば不満も出るし、ネガティヴな気持ちも起こる。

くだらないことで怒るし、あとから考えたら笑っちゃうようなことで涙する。

でも、そんなことさえを感じるのも、元気でいるからできることかなと思う。



いつだったか、パパリンはマミリンにこんなことを言っていたらしい。

「出口が見えない真っ暗な道を、今歩いていて、

どの方向に進めばいいかわからないから、

先生に手を引いてもらって前に進んでいるような感じだな。

俺の後ろから、お前と子ども達がついてきている…」


確かに…。


長くなったのでもうやめよう。明日もポジティヴに生きるのみ。

命があるだけ幸せです。今日も幸せでした。

愛する家族とおばあちゃん、友人たちが平和に暮らせますように。

世界平和を祈ってはいるけれど、まずは自分の周りから。

10月24日(水)

今日はパパリンが病院に戻る。

マミリンはパパリンを送ったあと、買い物をして帰ったらしい。

家に着いたのは21時過ぎ。倒れないか心配。

休む暇がないとはまさにこのこと。

心からほっとするときが無いに等しいだろうな…。


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10月25日(木)

夜、マミリンとメール。

パパリンは解熱剤のおかげで精神的に良さそうとのこと。

デイルームに行く気も起きたし、売店にも行けたって。

主治医がメンタル面もケアしてくれるので助かる。

パパリンも、「全てを先生に任せているから」と信頼しきり。

先生の言うことを全て受け入れて実行している。

微熱に苦しむパパリンに、マミリンが解熱剤を薦めても

断ってきたのに、先生に説明されたら「飲みます」と。

赤ちゃんにも処方できる薬だから大丈夫らしい。


平熱→精神的に安定→ポジティヴになれる→家族も安心

このサイクル、最高☆


ただ、明日は脊椎からリンパ液を抜いて検査をする。

白血病細胞が脳に隠れていると怖いから

脊椎から投薬して悪いやつらをやっつける。

背骨に注射…想像するだけでも怖い。

検査結果が良好であることを祈るのみ。


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10月26日(金)

土曜日、何時くらいに病院に行くかを連絡。

早めに行って早めに帰ることに。

毎日20時までいるマミリンは休息が必要、

ということをパパリンが気付いてくれたのは本当に良かった。

できるだけ側にいたいけれどできないときもある。

難しいけれど、たまには思い切らなくてはいけないのかな。


台風が近づいているので、体調が崩れないといいな。


10月23日(火)

今日の夕飯はおでんらしい。


パパリンは解熱剤を飲んでいるので体が楽みたい。

外泊をしても必ずカテーテルのお掃除をしてもらいに

病院に行かなくてはいけない。マミリンの運転で

病院に行った帰りに…なんと…


おすしを食べたそうです。

なんてこと!!!

10貫しか食べられなかったとは言っていたけど

外食しただなんて。はぁ~よかった。

健康な人にとっては当然ってことも

できなかったから、なおさら嬉しい。


夜、温かい食事に挑戦してみようということになり、

マミリンが生ラーメンを作ってくれた。

1玉は食べきれないので、私と半分こ。

これまでは、お味噌汁や食事の臭いを嗅いだだけで

気持ちが悪くなっていたのに、今夜は大丈夫みたい。

全部食べていた。味はあまり感じないらしい。

この先、冬が来たら温かいものを食べたいだろうし

体を冷やさないようにしなきゃいけないから

温かいものを食べられたのは、

一歩どころじゃなく五歩くらい前進したようなもの。


食事が終わっても4人で笑って話ができたし。

あまりに表情が穏やかで、皆も楽しそうにしていたから

病気発覚以前の家族に戻ったみたいに感じた。

この状態が続けばいいのになぁ。


10月22日(月)

朝8時、マミリンからメール。

検査結果次第で、今日から2夜外泊できるらしい。

明日、実家で一緒にご飯を食べることに。


15時過ぎ、パパリンの様子を伺う。

あまり話さないようだ。疲れているのかな、

それとも考えすぎて話すことがつらいかな。


マミリンは疲れてしまったとのことで、

夕寝をするって。ゆっくり休めるといいね。