SmiLe 骨肉腫との闘い。

SmiLe 骨肉腫との闘い。

15歳から骨肉腫。
肺転移、胸椎転移、肝臓転移,腸骨転移をしながらも生きてます。

現在、腸骨と肝臓の転移をしておりますが、自宅療養中です。

日々、支えてくださる皆様に感謝して。。。

(コメントは、承認制です。ご了承ください。)

Amebaでブログを始めよう!
今日この谷地中美江さんのブログを書かせていただいたのは、生前美江さんが「私がいなくなったら、このブログを通して唯ちゃんが見てきた私の姿をみんなに伝えて欲しい」と約束をしたので、更新させていただきました。
このブログのタイトルも美江さんから託されました。
正直美江さんがお空にいってからだいぶ時間があいてしまって、その間ずっと何を伝えたらいいかわからなくて、ここまできてしまいました。
ごめんなさい。
それに美江さんが生きてきた証を私が簡単に言葉にしていいのかという気持ちもありました。
でも美江さんと約束をしたので、私が見た美江さんの姿を皆さんにお伝えしたいと思います。

美江さんは自分の死が近いと知ったとき、ずっといっていたことがあります。
「私は死ぬのは怖くない。ただ周りのみんなが泣いたり、悲しんだりすることが辛い」と…
死ぬのが怖くないはずないのに美江さんは皆さんのことを思っていました。
そして最後まで病気と戦っていました。
一生懸命生きていました。
美江さんに最後に会ったのは亡くなる14日前で酸素マスクもしていて、起きていることも辛いはずなのに、私の最近の生活の心配や車で帰る私を心配して、お別れする最後まで「気を付けて帰ってね」といってくれました。
食べることもしゃべることも辛いはずなのに、最後の最後まで自分のことより人のこと。

美江さんと出会ったのは今年の4月で丸8年、9年目を迎えようとしていました。
出会ったところも病院で出会ったときはすでに美江さんは病気と戦っていました。
抗がん剤治療を終えた直後で病棟ですれ違っても辛いはずなのに辛い顔一つ見せずに「もうちょっと落ち着いたら、唯ちゃんの病室に行くからね。そしたらまた話そうね」といってくれました。
年数的には短いですが、美江さんと濃い8年を一緒に過ごしたと思っております。
思い出はここには書ききれないほどたくさんありますが、全部大切な思い出でずっとずっと忘れることはありません。
美江さんは出会ったときから、いつも私の心配をしてくれて、そばにいてくれました。
私はそんな美江さんのそばにいられたことを幸せに思います。
そしていつも自分のことより人のことを思う優しさがある美江さんのことを尊敬します。
美江さんと出会えて、本当に良かったです。

美江さんは青い空が大好きでした。
きっと今はその青い空の上から皆さんのことを見守ってくれていると思います。
そして美江さんは最後まで骨肉腫のことを皆さんに知って欲しいという強い思いを持っていました。
このブログを読んでくださってる方々が骨肉腫という病気を理解して、少しでも多くの世の中の人に知ってもらえたら、美江さんは空の上から喜んでくれていると思います。

まとまりのない文章ですみません。
何か少しでも皆さんに伝われば嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


友人   土田 唯
皆様、通夜式(4月1日)、告別式(4月2日)に来ていただきまして誠にありがとうございました。
美江も、感謝していると思います。

住職様より、戒名をいただきました。
父親の私が言うのも何ですが、非常に素晴らしい戒名です。
写真を添付させていただきます。

3月29日午前5時25分、谷地中 美江さんが息を引き取ったという連絡がお母様からありました。

葬儀の日程が決まっておりますので、この場をお借りしてお知らせ致します。
通夜式 4月1日(水)18時00分より
告別式 4月2日(木)11時00分より
場所 東武レクイエム聖殿春日部
住所 埼玉県南埼玉郡宮代町川端4ー535ー1
電話 0120ー028ー432(フリーダイヤル)
0480ー31ー1901
FAX 0480ー31ー1904

※なお、人数把握の関係で、通夜、告別式、火葬場へお越しいただける方は谷地中美江さんの携帯に直接ご連絡お願い致します。

友人 土田 唯