桜の時
うーん、、と思ったのは列車そのものではない。
車両の「色」であった。
ほぼ同時期に運行を開始したJ東社のE5系「はやぶさ」が
メタルグリーンにピンクというビビット全開カラーで登場した
のに比較して、N700系をベースにした「山・九直通用」の
車両は外観的には地味な印象があった。
旅館屋的にはN700系-7000~8000番台車両は非常に
高い評価をしている。
そのものは「レールスター」の発展型バージョンである。
特に指定席座席のグレードは特筆に価すると思う。
直通運転を機にグリーン席を復活させたのも「◎」である。
座席と言えば、E5系「はやぶさ」の「グラン・クラス」という
鉄道車両にホンマに必要なんかい?というハイレベルな
シートが登場している。
が、事実上、あの座席の評価はまだできない。
運行直後に震災の影響を受けて運休を余儀なくされたが、
未だにプラチナチケット状態でグランクラスに座ることすらも
ままならないと聞く。
それとて一日たったの数本の運行である故に、グランクラス
そのものがまだまだジョイトレレベルだからである。
全ての「はやて」がE5系「はやぶさ」に代わり、通常世界に
降りてこないことには「ふーん」としか思えないのだ。
それに、グリーン席に倍するような料金設定も尋常ではない
ような気がしている。
モノ好きな旅館屋でも食指すら湧かぬというレベルなのだ。
(いずれはマがさして乗るであろうが、、、)
話が全然違う向きに行ってしもうた。^^;
直通N700車両の色は青磁に似せた「白藍色」と謳われた。
確かに鉄道雑誌に掲載されるカメラマンの腕を持ってすれば
「きれいな薄青色」に見えていたのだ。
今、20番線にしずしずを入って来た車両を見るにつけ、こりゃ
どうにもこうにも「くすんだ白」にしか見えないのだった。
せめてでもマイルドセブンの箱の色ぐらいには見えるだろう
と思っていただけに、少々がっかりした。
九州に入る車両だけに、おそらくはかの水戸岡氏の色付けも
加わっているには違いない。
優れた内装を見れば、これはJ西社のヘッポコデザインだけ
ではあるまい、というのが素朴な感想である。
元々、新幹線の「白+青」というカラーリングは日本の象徴
でもある「富士山」の色合いそのものである。
子供が描く富士山は間違いなく「白+青」なのだ。
人口に膾炙どころではない。
小さな子供にまで深く浸透しているカラーリングがそのまま
新幹線車両の色合いなのだった。
かつて「レールスター」が「白+青」の基本カラーを捨てた時、
妙にしっくり来ない何かを感じたことがある。
(500系ロケットほど形状が変われば別であるが、、)
白藍色ベースに青のラインを戻したあたりは「原点回帰」に
違いないのだろうが、何かもう一つヒネリがあっても良かった
のではなかろうか?
徹底的にカラーリングにこだわり始め、何だかF1のマシン
みたいになってきている東社の新幹線軍団に比較すれば
おとなしめではあるが、しっとりと静けさを漂わせる感じの
直通N700と言えなくもないのだが、、、^^;
そしてベースが白系であるが故に、
「さくら」の列車カラーである「ピンク」がズバ抜けて映えて
いるとも言える。
白藍という色はきっと使い方の難しい色なのであろう。
そして三文デジタルカメラマンの腕では、白にしか写らない
色に違いない。
そうこう思いながらふと感じたのは、
「新幹線というのは、やっぱり『白』なのだなぁ、、、」
であった。
わずか15分のインターバルで、再び「さくら」は西に向かった。
限られた編成数で新大阪-鹿児島中央を行き来しているので
なかなか慌しいのだ。
うーん、日の光を当てても、やっぱり白にしか見えない、、^^;;
マイルドセブンの箱の色ではなかったのだった。
それでも多分、きっと、、
「さくら」にあやかって薄いピンクにしなかっただけマシである。
旅館屋はおそらく「トイレットペーパー」を思い浮かべていたに
違いないのだ、、、
CHE.R.RY
この時差野郎っ!!(」゜□゜)」
と言われようが何しようが、ようやくホンモノを見たのだ。
それも新大阪駅、入場券入場にて、、、^^;
このクソ忙しい中、そうでもせんと「さくら」に出会うことなど
ありゃせんのだ。
※見に行くヒマはあったんかいな?というお言葉もなく、、
何だか四六時中工事しているような気がする新大阪駅。
またまたホームの増設らしいが、このまま増設が続けば
駅構内が江坂付近に達してしまうど。
御堂筋線改札から、いつものエスカレーターを登る。
見通しを遮るものは工事の防護板であったりで、殺風景な
ことこの上ない状態である。
九州新幹線に直通する列車を迎えるにあたって、反対側の
ターミナルが工事のまっ最中というのもなかなか哀しい。
まぁ、工事そのものは東海道新幹線に関連するモノでは
あるのだが、、
改札を抜けると、本来は正面にぶら下がっていた列車の
案内掲示板が側面に、、、^^;
「さくら」のピンクの文字。
そして、博多や岡山ばかりだった行先表示に燦然と異彩を
放つ「鹿児島中央」の5文字。
旧き良き時代のマニアにとっては「西鹿児島」ではないのが
少々残念なところである。
まだお目にかかってはいないのだが、どうやら新大阪には
本当に「さくら」が来ているらしい。(あたりまえやがな、、)
20番ホームに向かう。
今回の九州直通でほぼ専用ホームになった感があるが、
実際には何となく場末のムードが漂う。
それにしてもピンクの「さくら」の表示が目立つ。
東海道・山陽新幹線にはなかった色使いなので、この色は
たいそう目立つのであった。
1時間に5~6本運転の山陽新幹線のダイヤの中でも、
「さくら」のピンクが際立っている、、
はずなのだが、やはり赤の「ひかり」には敵わない。
拡大してみたが、オレンジの「みずほ」と並べられて
しまうと目立ちにくいことこの上ない。
元々が「ひかり・のぞみ・こだま」の「赤・黄(橙)・青」という
三原色に対抗しているので、余程にショッキングなピンク
でもない限り映えはしないだろう。
ピンクが悪いと言っているのではない。
列車名そのものが「さくら」である。
列車カラーをピンク色にせんでどーするねん、という極めて
当たり前の判断である。
むしろグリーンやパープルを使われたほうがブキミである。
平日、昼下がり。
ホーム上はそれでも結構な待ち客の数である。
8両というライトな編成ゆえに、長い新幹線のホーム上では
乗客が凝縮されている感じなのだ。
発車15分ばかり前。
西の方からまばゆいばかりのヘッドライトを灯した折り返しの
「さくら」がしずしずとホームに入線してきた。
うーん、やっぱりなぁ、、、^^;
というのが素朴な第一印象なのだが、そのあたりは次話にて。
^^/
第71話 「功罪」②
風呂にも入れればミルクも飲ます、、
オムツだって洗うぞっ、、^^;
てな具合に、すっかり親バカしている。
ミニダンナは齢4カ月を超え、「あー」だ「うー」だとなかなか
にぎやかに育っている。
、、まずは近況まで、、m(_ _)m
遡れば2月のいつ頃かに「新幹線開業による功罪」と題し
話をした、、ような気がする。
本当にいろいろなことが起こってしまったここ数ヶ月だが
そのアップも遠い昔のような気がしている。
もうすっかり開業から3カ月経っているが、未だ「さくら」に
お目にかかっていない。
東京と長崎を結び、孤高の存在であった「さくら」は今や
すっかり増殖し、1時間に1本の割合で九州・鹿児島方面へ
向かっているはずである。
「さくら」だけではない、「みずほ」だって増殖した。
北の方では「はやぶさ」もその機会を伺っているらしい。
概ね九州新幹線の利用は好調であるらしい。
未曾有の震災さえなければ、もう少し上乗せが効いたに
違いないが、それは言うまい。
堅実に行き来していれば、利用は徐々に増えるのだ。
さて、その「新幹線一本列島化」による、今度は「罪」の部分。
旅館屋的にはこれしかないと勝手に思っている。
「『時刻表』がつまらなくなってしまったこと、、」
宮脇俊三翁を師と仰ぐ「時刻表テツ」にとって、新幹線が
延びる度につまらなくなっていく「時刻表」を嘆いてきた。
いや、重量は増え(何故かっ?)価格も1100円ばかりする
巨大な書籍になっているのだが、中味が足らない。
何が足らないのか?
幹線のページが細切れにされ、重みがなくなったのだ。
日本が誇る長大幹線のワンツーを例に見てみよう。
まずは西の雄である「山陰本線」、、、
元々、長さの割りに本数の少ない路線ではあったが、京都と
下関を米子にて二分する構成は魅力的であった。
例えば、京都-米子間では「まつかぜ」、「出雲」の特急群に
「だいせん」、「白兎」等の急行群。
いずれも劣らぬ長距離列車ばかりで、時刻表を縦に串刺す
様は見ているだけで楽しかった。
特に福知山からすっと現れるクイーン「まつかぜ」の黒太線は
惚れ惚れとするような重厚感があったのだ。
今やその区間は京都-福知山、福知山-鳥取、鳥取-米子に
3分割されている。
何だか幹線同士を結ぶ支線のような雰囲気になっている。
13両もの長大編成で山陰本線の頁に登場する「まつかぜ」は
現在はたった2両のローカル特急と化している。
もっとも2両編成でも7往復すれば14両分の効果はあるので、
13両で1往復(※6両の鳥取回転列車もあったが、、)するより
フリークエンシーでも輸送量でも優れている。
西山陰の時刻表上の雰囲気は今もそれほど変わっていない。
米子-下関間が同じ頁で表現されている。
米子-出雲市間だけやたらに「やくも」が跋扈し、以遠に向かう
「まつかぜ」や「おき」の数は激減する。
見た目がケータイ画面の3本アンテナみたいな感じは、昔から
余り変わっていない。
つまり、列車本数はそれほど変化していないのであろう。
西の雄が山陰本線とすれば、東の主は東北本線。
こちらは山陰本線以上に時刻表上は悲惨である。
上野-黒磯、黒磯-仙台、仙台-盛岡、盛岡以遠という分断
であるが、切り刻まれているのもともかく盛岡以遠については
既に東北本線名義でなくなっている。
東北本線の頁は、かつての時刻表の「花形」であった。
上野を基点にして青森、盛岡、仙台、秋田、山形方面へ向かう
特急列車群、、
「はつかり」、「やまびこ」、「ひばり」、「つばさ」、「やまばと」と
いった名優がキラ星の如く行き交う様は、大動脈の名に恥じぬ
見ているだけでワクワクするような状況であった。
今や東北本線を貫通するどころか、一箇所でも通過するという
昼行特急の姿は皆無である。
寝台列車ですら「北斗星」と「カシオペア」の両雄のみである。
時刻表上に表現されるのは、細切れにされた普通列車と快速
列車の大群である。
「読む楽しさ」が時刻表から年々消えていっているのだ。
「時刻表テツ」にとっては、これは「罪」以外の何ものでもない。
正に新幹線が招いた災いなのである。
新幹線を動脈に、支線区が毛細血管のような位置付けとなって
時代が流れている。
もはや裏幹線を串刺す特急列車など、存在価値そのものがなく、
新幹線連絡を主とした短距離特急ばかりである。
それはそれで現代の日本の「安・近・短」の時流にすっかりと
マッチしているのだが、、、
それはさておき、↑この色の新幹線ではなく、薄いブルーが
美しいとウワサの超特急に早く出会いたいのだが、、、^^;;
奇跡の地球(ほし)
いやぁっ、と思う間に3カ月も経過していた。
ご心配なく。
店をたたんだワケでもなく、世を儚んで隠棲していたワケでも
ないのでございます。^^;
忙しかったのよ、ホンマに、、、(-_- ;)
世間的には未曾有の大震災とそれに関連する事故がらみの
報道ばかりで、気は滅入る一方。
「テツ」を滔々と語るには、余りに世の中の空気がかけ離れた
ものになっておるのでございました。
被災地の皆様の心情をお察し致します。m(_ _)m
「テツ」者としてはズタズタに寸断されていた各路線が徐々に
開通して元の姿に戻りつつあること。
本格的な復旧に向けて、わずかながら光明が差し始めたこと。
それを嬉しく思い、祈っておる次第であります。
鉄道というのは被災からの復旧に際し、本当に力強いもので
あることは、これまでの事例からも明らかです。
一刻も早く皆様の生活が元の状態に戻りますように。
そんな国難においてでも、、
新幹線はちゃんと熊本を経由して鹿児島に至り。
キハ181系は多くのテツに見送られながら、幡生へと旅立って
いったのでした。
個人的にはまだ「さくら」にも「みずほ」にも、乗るはおろか
姿すら拝んでおりませぬ。
今のところは大きな初期トラブルもなく、順調に走行していると
いうのも良きことにございます。
とても大好きだったキハ181系の死に水を取れなかったのは、
痛恨の極みなのでした。
それでも多くのテツの皆様が花道を整え、西への帰らぬ旅を
見送ったと聞いております。(ToT)
忙しかったのよ、ホンマに、、、(-_- ;)
閑話休題、、それはさておき、、、
全く話題は変わるのですが、、、^^;
ステキで明るい話題の少なかったこの春。
名車の復活の報がありました。
阪急のフラッグシップこと「6300系」
そう、京都線を美しくかつ優雅に疾駆していたあの名車。
それが装いも新たに登場したのでした。
もう再登場以来ひと月が経過するので、既に話題にされた
ブロガーさんも多いと思います。
「京トレイン」として、これまた優雅な復活なのでした。
シート貼り換えや内装の変更だけでなく、ボックスシートまで
登場させるという、これまでの阪急にはない車両改装です。
2両抜かれ6連なのはタマにキズですが、嵐山線に入ることも
想定すればそれは止むを得ないところでしょう。
6300系と言えば、その特徴的な連窓と2扉。
そして、それまではマルーン一色だった阪急電車がクリーム
という新色を上部に背負ったというセンセーショナルな車両。
そのいでたちは美しき「チョコレートパフェ」の如しでした。
同じくクリームを背負い、「イチゴクリーム」を狙った近鉄が
何だか酔っ払ったマメダヌキのような顔↓になってしまった
点と比較すれば、その洗練さが語られようものです。
茨木市や高槻市はおろか、長岡天神や淡路にまで停車する
現在の特急とは異なり、当時の停車駅は十三と大宮、烏丸
のみという、まさに「特急の中の特急」なのでした。
今回は週末だけ数往復する「快速特急」という種別。
十三、淡路、桂、烏丸と停車駅も絞り、京阪間の観光需要に
特化した車両であることも謳っているようです。
平日にその顔が拝めないのは残念ですが、ちらとホーム上で
眺めた際に満員御礼状態で発車していったところから見ると、
お客さんの認知もなかなか高いところと察します。
中之島新線やなんば線の開業で何かと話題のあった京阪や
阪神と比較してパッと明るい話のあまりなかった阪急が放った
豪快な一発と思います。
特にジョイトレ系や専用車両を持たない阪急においては英断
ではなかろうかと感じております。
タネ車がタネ車ですから、きっとステキな活躍をするのでしょう。
乗ってみたいなと思わせる車両にできあがりました。^^
、、、てな按配で、再びちびちびと「テツ話」を開始します。
えー、はい、のんびりですがようやく落ち着きましたので。^^
公私の「公」はともかく、「私」もドタバタなのでした。
まぁ、こちらは明るい話題ではあるのですが。
齢不惑も半ばにして、初めて子を授かりました。m(_ _)m
これがなかなか元気モノなのでございます、、
未来の若ダンナ、、
そう、『ミニダンナ』の登場でござる。
際立ったキャラばかりの当旅館において、いかなる存在に
なりますのやら。
、、というても、それは数年の後でございましょうが。
そしてコヤツはおそらく、ちみちみと製造してきたジオラマを
一気に破壊する、ゴジラよりコワい存在になるのでした。
まずはご一報まで。^^;
第70話 「功罪」①
知らぬ間に2月も終わろうとしていて、気が付けばあと2週間も
後には九州新幹線が全線開業する。
ふた昔ほど前に「一本列島」という表現があったが、まさに
青森から鹿児島まで、新幹線により「一本列島」化される。
「はやぶさ」に「さくら」、「みずほ」、、、
オールドファンには懐かしの、かつおなじみの愛称が復活し、
それらが日夜走り回ることになるのだ。
お祭り大好きの日本人は初発列車の指定席確保にまたしても
奔走し、いずれも秒殺であったと聞く。
「初列車に乗る」というのは「テツ」にとってはある種のステイタス
ではあるが、本当に利用すべく待っていた人々に対し、それは
申し訳ないので、旅館屋はいつもそれには手を出さない。
それに慌てて初発に乗ったとて、ホームでは要らぬエライさんが
テープカットしてたり、どんたくを踊ってたりで大変である。
車内もTVクルーが右往し、記者やカメラマンが左往するので
落ち着いて車窓を楽しむ間もない。
どっちみち開業すればいつでも好きな時に乗れるのである。
車内も車窓をその頃になれば落ち着いてくるのだ。
それにしても、ついに青森から鹿児島まで新幹線がつながって
しまうのだ。
整備新幹線計画そのものが頓挫しようとしていた事を思えば
まぁ何となく万感迫るものがある。
2年後には金沢まで伸び、3年後に津軽を越えると聞く。
「新幹線」には「功罪」がある。
代表的な「功」の部分を少しばかり考えてみた。
地域の経済効果や何やとエコノミスト達は喧しいが、基本的に
都市間の移動に関する速達化が最もであると考える。
旅館屋が生まれた頃、新幹線で東京-新大阪間は3時間10分
かかっていた。
この度の九州新幹線全通により、最速の「みずほ」は3時間と
45分を新大阪-鹿児島中央間を結んでしまう。
あの頃の、大阪から見た東京と鹿児島の距離感は圧倒的な
差があったのだ。
新幹線で「わずか3時間」の東京。
それに対し、鹿児島は「一昼夜走り続けて」ナンボ。
隔世の感はあるし、スピードアップに関する技術革新も甚だしい。
東京-大阪間は現在は2時間20分ばかりと、当時に比較すれば
その短縮時間も尋常ではないが、今回の開業によるダイヤを
しげしげと眺めていて感じたのは、
「何や、東京も鹿児島も似たような距離なんや、、^^;」
というオッサンモードの典型的な誤解である。
時速300キロ近い新幹線でぶっ飛ばしても、やはり鹿児島まで
やっぱり4時間近くはかかるのである。
比較すれば東京までよりも、やっぱり薩摩を遠い土地なのだ。
これは東北新幹線が青森まで延びた際にも感じた。
日本史上最速の「はやぶさ」が今回登場するが、それでも東京-
新青森が3時間10分。
かつての東京-大阪と全く同じ所要である。
ふた昔前に東京の人々が描いていた「大阪まで」と「青森まで」
の距離感はどうだったであろうか?
「狭い日本、そんなに急いでドコへ行く」はかつて一世を風靡した
コピーライトであるが、ついに新幹線だけでこんなに忙しい日本に
なってしまったのだ。
青森から鹿児島まで一本化してしまったことで、またまた直通や
夜行列車という話題が再燃しているみたいだが、これはJ海社
という頑固な会社が巨大な溝を造っている限りは達成されまい。
16両固定編成以外は乗り入れることまかりなし、という何だか
古い日本の役人のようなことを述べる会社が、ファジーの極みの
ような列車を通すことはまずなかろう。
素朴な「テツ」の夢は、今回の青森-鹿児島全通で少なくとも
下記の2列車は運行できまいか?と思ったはずである。
○東京-鹿児島中央直通新幹線
愛称候補 : 「桜島」、「はやと」
・前者はUSJ方向に誤って向かう恐れあり。
・後者は「はやて」「はやぶさ」との誤乗率高し。
○新大阪-新青森直通新幹線
愛称候補 : 「新日本海」
・フネと誤る可能性高し。
冗談はさておき、直通列車そのものを夢見た「テツ」は多いのだ。
やれ特殊な車両が必要だの、夜間保守はどうするだのこれも
悲観的なコメントがたくさんあったが、車両そのものは現在走る
「N700」や「E5」レベルで問題なかろう。
シートレベルの進歩も凄まじい勢いであるし、急行「能登」の
座席よりははるかに寝やすいはずである。
夜間保守にしても、3分間隔で走る昼間ほどの頻度はない上に
走らせたところで1日数本程度なので、片側一通にしておけば
造作ないのだ。
ただ、その夢をも砕くJ海社の「通せんぼ政策」により、またもや
黙殺されてしまうのであろう。
リニアが開業するまでは、東からと西からの攻勢を避けながら
海社は独立王国路線を貫くに違いない。
話がそれまくってしまったが、功罪の「功」の部分は間違いなく
「速達化」なのである。
青森で昼飯し、コーヒーブレイクの後に新幹線に飛び乗っても
その日の内に鹿児島まで着けてしまうという速度感。
飛行機に比較すれば笑い話レベルではあるが、こちとら地を
這う鉄道上を行く弾丸列車の話なのだ。
大阪において言えば、20時前まで一杯やっていて、それから
新幹線に乗っても鹿児島まで帰れる。
そんな時代になってしまったのだった。
「罪」の部分はまた後日、、、^^/
みなさまには、、、^^;
いかがお過ごしでございましょうか?^^;
知らぬ間に「2月」になっていた、、、
というのが正直なトコロでございます。
年が明けて尚、仕事のほうが落ち着きませぬ。
部長の異動に始まり、同じ業務内の同僚まで異動。
引き継ぎやら何やらで、てんてこマイ状態なのでした。
思えば、ちょうど去年の今頃。
\(^o^)/←こんなヤツとともに、
確か↑こんなモノに乗りに出掛けていたような気がします。
いやはや一年とはあっという間なのでございます。
仕事そのものも落ち着きと余裕がないところに加えて、
私事ではありますが、身の周りもドタバタしとります。
※不幸ゴトではありませぬ。「慶事」ではありますが、、^^;
まぁ、おそらくきっとなのですが、寒さが一段落した頃。
春頃よりまた、週2度ペースぐらいのアップに戻れるのでは
ないかと思うとります。
それまでは、すっかり「月刊誌」状態ですわ、うへへっ。
それにしても、トンと「鉄分」が不足しております。
もうほとんど仮死状態ですっ。^^;;;
鉄道そのものたるや、通勤時の大阪地下鉄と業務時に
使う近鉄ぐらいなのでした。
あぁ、新「はまかぜ」が私を呼んでいる、、
「はやぶさ」はいずこ?
「さくら」に「みずほ」はっ?(」゜□゜)」
欲どおしいことは申しませぬ。
「びわこエクスプレス」でも結構です、、、
と、なかなか狂おしい状況が続いております。
しばしのご猶予を。m(_ _)m
わぁぁぁっ!(」゜□゜)」
(不謹慎ですが)雪景色を見たいっ!^^;;;;;
旅館支配人
また君に恋してる
あけましてっ (^-^)
あぁっ! ( ゚ ▽ ゚ ;)
、、という間にもう16日になっていたのだ。
小売業に携わる人間にとって、1月の上旬とはかくも高速に、
それこそ時速300キロで過ぎていく。^^;
年末・年始の知らぬ間に新幹線は青森に達し、南の方では
「みずほ・さくら」のダイヤが発表されたりしている。
あぁ、全く「鉄分」のないひと月ばかりを過ごしていたのだ、、
新幹線が南北に延びていく様は嬉しいし楽しいのであるが
その裏側で淘汰され没落していくものもある。
いつか来るとは思っていたのだが、やって来てしまったのは
名優「485系」の淘汰である。
天下一であった「雷鳥」はいよいよ発展廃止。
南九州にわずかに残っていた「赤い軍団」も置換される。
会津の国に少々残るが、「いなほ」や「北越」は運用上では
485系でも、あれはもう改造されて別人である。
そんなこんなで、わずかに残される「原形をとどめた485」は
こいつら↑だけになってしまうのだった。^^;;;
通称「北近畿ビックX軍団」である。
厳密に言えば、この軍団は交流装置はすっかり剥がされ、
組合的には「183系」の一員である。
それでも型として残されているのであれば、それで良い。
但し、彼らにも保証された明日はない。
「287系」という「サンライズ」の前面を持ち、「サンダバ」の
側面を持つ、何とも不気味な新車が登場する。
ある意味、前面と側面がアンマッチな車両を多く排出する
西社の思想炸裂な車両である。
先頭車両がダブルパンタなところもそうである。
特急「きのさき」、、
この列車も件の287系に順次置き換えられていく。
かつての特急「あさしお」や急行「丹後」などを併呑していき
山陰本線の京都-福知山間の電化開業時に登場した。
時期同じくして天橋立方面には「はしだて」、舞鶴方面には
「まいづる」という、「わかりやすさの追求」ではあるのだが、
ホンマに特急の名前としてエエのかいな?というチームが
編成されていった。
まぁ、考えてみれば草津温泉に向かう特急は「草津」だし
目的地にある観光地から名を採ったとすれば納得はいく。
ヘッドマークも凝っているには違いない。
丹後半島付近をデフォルメした黒い下地に、福知山を交点
とした「X」の幾何学模様。
そして該当する特急の運行区間が「列車カラー」に塗られる
という更なる凝りようである。
京都口はまだ良かった。
問題と物議を醸したのは大阪口の2列車。
あまりのブサイクさに大好きな「北近畿」と「文殊」であった。
「北近畿」はともかく「文殊」にいたっては天橋立に名のある
菩薩様が鎮座ましますという多分に歴史的な知識を持たぬ
限りは、どこをどう走るのかちっとも理解できない。
その「北近畿」は春の改正で「こうのとり」に。
※初代「北近畿」のヘッドマークは、思えば「コウノトリ」が
飛翔するさまが図案化されていた、、
「文殊」はその存在価値を示せないままに廃止される。
話を戻して「きのさき」である。
京都、亀岡、福知山、豊岡、城崎という、どちらかと言えば
高速道路の恩恵を直接に受けないエリアを串刺しにする
運行区間から、乗車率そのものは良いらしい。
お古な車両ばかりで構成され、これまでもなかなか新車が
投入されない二流エリアの存在であったが、ここに来て
ようやく陽の目を見たのである。
ブキミではあるが、スマートな印象の287系が行き来する
という北近畿エリアが楽しみである。
とともに、無くなりゆく「原型485系」に寂しさも感じる。
微改造はされ、ブサイクな名前で行き交いはすれども、
それが「485系」の姿をしたモノであれば、その点において
嬉しくもあり懐かしくもあったのだ。
ただ、車齢を考えれば、現代においてはもはや考えられぬ
程の古豪の域に達している。
先頭車両の側面↑も疲労感一杯である。
置換そのものは、もう当然の出来事なのかも知れない。
それにしても、「ビックX」の巨大なシール。
もちょっとマトモな場所に貼れないのか?^^;
遅れましたが、本年もよしなに。m(_ _)m
ちびりちびりと、ジジイの晩酌のような頻度でアップします。
飽きずに懲りずにお付き合いを。
旅館支配人 m(_ _)m
第69話 「四季」
何だか知らぬウチに年の瀬も押し迫り、あとは粛々と
新年を待つばかりである。
、、、旅館屋は働いておるのでござるが、、、(-_- ;)
「ロクなことがなかった一年や」と、毎年毎年同じことを
誰もが言っているような気がする。
ここ何年も言い続けているかも知れない。
本当に「ロクなこと」がない。
「人類の英知の結集」や「アスリートの只ならぬ活躍」に
いくつかの打ち上げ花火が上がっても、後に訪れるのは
茫漠とした無限の荒野の日々ばかり、、、
、、と、暗くなっても全く旅館屋らしくないので、ここは一発
明るい話題でも、、、(= ゜ω゜)ノ
、、という話題がホンマになさ過ぎるっ、、、^^;
事件や事故が多過ぎる。
コッパ役人の不祥事に、泥舟のような政治の流れ。
あぁ、イヤだイヤだ。
これからのニッポンはどうなってしまうのだ?
、、と嘆いてみても全く旅館屋らしくないので、ここは一発
前向きに考えて、、、(= ゜ω゜)ノ
、、という一年に、来年もなるんでしょうな。^^;
この一年、相変わらずの内容で展開する当旅館にお越し
いただきました皆様。
感謝。m(_ _)m
皆様にとっては、どのような一年でありましたか?
泣いても笑っても年は暮れ、そして年は明け、きっと、
また「春」はやって来るのでございます。^^
来る一年が皆様にとって最良の一年でありますように、
お祈りいたす次第でございます。
今年一年、ありがとうございました。
また来年もよろしくお願い致します。m(_ _)m
旅館支配人
追、
ちなみに旅館屋は越年し、3日までほぼぶっ通しで
働き続けるのでございました。^^;
まぁ、人間、働いてナンボですよってに、、、
暮れも押し迫った時期のほんのわずかな休息時に
この項をアップしとります。
さぁ、まだまだひと仕事ふた仕事っ。^^;;
※
コメントのお返事は新年になりまする。
ひとつよしなに。m(_ _)m
波乗りジョニー
海水浴に行く時しか使ったことがなかった「南海電車」
あぁ、箱作が淡輪が磯ノ浦が私を呼ぶっ、、、
まぁ、旅館屋が高校生の頃である。
当時、関西私鉄の「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」である南海は
こんな色合い↑のなかなか寂れた雰囲気であった。
※
「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」:
本来は近鉄、阪急、阪神、京阪、南海の関西大手5社だが
どうにも山電や神鉄、能勢電にすら負けているような気がする。
故に、旅館屋は南海をこう呼んでいる、、
緑の濃淡を使う私鉄とすれば関西では京阪電車。
あちらが何となく洗練された(かっ?)イメージを持つに対し
南海はあくまでも垢抜けしない。
車両の形がイケナイのだろうと思う。
抑揚のない正面、なんでこんな配置なの前照灯、、
そして沖合いに国際空港ができるに及んで、一念発起。
カラーリングを一新したのだった。
うーむ、、、(-_- ;)↑↑↑
薄いグレーにブルーとオレンジの帯。
悪くはナイのだが、なんだかやっぱりイケナイ。
ラインの引き方がイケナかったのだろうか?
何となくアメフトのヘルメットみたいなラインである、、
レタリングもローマ字にしてはみたが、あくまで「NANKAI」は
やっぱり「南海」なのだ。
この年の瀬。
もうアップも終了かと思いきや。
この忙しい最中に語らずにはいられない南海7100系。
堂々「Bトレ再販」なのである。
個人的には欲しかったアイテムなのだ。
否、最も待ち焦がれていた一品かも知れない。
関西私鉄を語るにおいて、南海電車の基本形を避けて通る
ワケにはいかない。
初版は圧倒的な限定発売で、皆さまの「ポ○ンデ」はおろか、
ネットオークションですら滅多にお目にかかることがなかった。
よしんばあっても4両固定で数千円クラスの大人気、、
やっぱりそうなのだ。
ブサイクだ不恰好だ、垢抜ぬ田舎電車だと徹底的に悪口を
並べていても、みんな南海電車が好きなのだ。
それに、
これを↑、、
発売してくれないと、、
「サザン」と「タダン」の超豪華8両編成が、、
組めないやないですか、、、^^;;
そう。
みんな7100系を待っていたのではない。
夢の「サザン」と「タダン」の競演ができなくて、困りに困り
うんうん唸っていたのである。
※
「サザン」:南海の有料座席指定特急
「タダン」:その「サザン」にぶら下がる、時には牽引する
普通車両。もちろんロングシートの無料自由席。
名鉄でも見られる座席指定車と普通車の併結運転。
但しあちらはある程度の特急専用車両同士である。
南海のその儚い美しさは特急車両と普通車両の競演という
ところである。
どう見ても洗練された都会っコの孫が爺さまの手を引いて
海沿いを疾走しているようにしか見えないのだ。
だって、同じ会社の車両↑に見えますか?^^;
7100系の登場は1973年(昭和48年)である。
「サザン」用の10000系は1985年(昭和60年)に登場。
エトが一回転する間に、世の中はこれだけ変わったんかよ、
というぐらいの様変わりである。
※
7100系のベースになった6000系は1962年(昭和37年)登場。
デザイン的に見れば23年の歳の差がある。
と、散々悪し様に書いているが、別にキライな車両ではない。
むしろ南海においては好きな部類に入る。
関空開港時にまとってしまった衣装が少々ブキミなだけだ。
今尚、ホームで待っていて7100系が入線してくると、「あぁ、
とっても南海やねぇ、、、^^」と思うのだった。
未だ大勢力ではあるが、そろそろ置換・廃車時期が迫る。
多分に関東ナイズされた大嫌いなタイプに置き換わっていく
らしいのだが、そこはビンボたれの南海電車のこと。
一気に駆逐されることはなかろうて、、、
Yellow
どこかの篤信家が大量にさばいた「ジャンク」のヤマ。
それに群がるアホウなブログの管理人、、、
コレクター業界ではよくある構図である。
他人の不要物はこちらの宝。
間に介在するショップにどれだけ「抜かれて」いようが
群がる側には係わりのナイことなのだ。
それにしても、ヤマのようなジャンク品。
特に旅館屋の泣き所である首都圏私鉄車両が大量
とあれば、群がらずにはいられない、、、^^;
先日紹介して相鉄以外に、今回購入したのは、西武、
東武、京成、京王の数々。
新品だが、たった2両で1000円超と言われれば触手は
働かないのだが、4両で600円ならばお手打ちする。
黄色がステキ(?)な西武101系。
間違っても新品では買わない群のひとつである。
何となれば、、
「旅館屋は西武がキライだから、、、」
である。(-。-;)
西武沿線の方々がキライなのではない。
西武「ライオンズ」が宿敵なだけである。
何となれば、、
「旅館屋は『近鉄バファローズ命』、、、」
だったからである。(-。-;)
坊主憎けりゃではないが、猛牛応援団の一員としては
「西武」という単語そのものに悪寒が走るのだ。
ありえないことだが、それが鉄道車両にまで発展し、
この↑→車両が出てくるまでは、正直許せないでいた。
猛牛軍団が解体され、スマイル30000系が登場するに
及んで、旅館屋はようやく西武を受け入れたのだった、、
話はその101系に戻るが、
まぁしかし、何と洗練されていない車両であろうか。
側面は国鉄101系丸出し、前面も田舎電車スタイル。
ツツミ帝国の牙城が表現された車両とは思えないほど
なかなかチープなスタイルである。
かくいう近鉄も
かよう↑な赤一色で、イモさ炸裂ではあったが、、、
一時代前の西武の車両は国鉄ビイキなのか何なのか
前と言わず横と言わず、クリソツなモノが多かった。
例えば401系なんざ、銀色の部分を黄色に塗り替えて
総武線あたりを走らせていても、誰も気付かまい。
3枚窓もそのまま。
ダブルビームの一つ目前照灯もまんまである。
今回、ジャンク箱から発掘したのが、上の西武5両である。
101系3両は何だか伊豆箱根電への塗装変更待ち。
401系の2連は遠く近江鉄道への強制疎開待ちみたいな
感じがして哀愁の漂うことしかりである。
そう言えば湖国に放出された401系2連は現在も塗装変更
されず、そのまま放置されている編成があると聞く。
ならば、温泉列車区では当車両を「近江鉄道在籍」として
扱うことにしよう。^^/
ちなみに、ジャンク箱の片隅にたった1両残されていた、
赤電旧塗装101系↑だが、もちろんゲットしてきた。
しかしながら、気の毒なことにおそらくは温泉鉄道内を
駆け巡ることはなく、静態保存行になろう、、、、、
追、
年内も押し迫り、皆さまにはいかがお過ごしでしょうか?
盆暮れ休みナシの業界人ゆえに、おそらくはこれが
今年最後のアップとなろうかと思います。
ココロとカラダに余裕があれば、もう一発ぐらいは何かの
話題で上げるかも知れませぬが、、、^^;
ペタ、お返事等が滞ることもあろうかと思われますが、
ひとつご理解とご容赦を。m(_ _)m
急に冷えこんでおります。
皆さま、ご自愛くださいませ。
旅館支配人^^