1991年の湾岸危機の時のように、「日本はお金だけ出しても国際的に感謝もされなければ尊敬もされない」との見解については、湾岸危機時に私自身が外務省の担当課で様々な批判や議論に晒された経験がありますので、この見解は痛いほどよく理解できます。

一方、同じく外務省時代に在イラク大使館勤務(1984~86年)でイランイラク戦争に巻き込まれて、想像を絶する戦争の悲惨な現場や戦争地域の唐突な拡大等も私自身が体験(以前のブログに詳述)しました。

そのような体験も踏まえて言えば、日本の国際貢献が集団的自衛権に基づく軍事貢献というレベルになったとき、米国との集団的自衛権を行使すれば日本も正式な敵国となり、敵である戦争当事国から見れば国際法上の正式な攻撃ターゲットとなります。
その際、正
面攻撃であろうが後方支援であろうが関係ありません。また戦争行動の常識で「まず補給路(後方支援)から断て」との戦法もあります。
さらに、戦争現場ではなく日本での大規模
報復テロという戦法も考えられます。(事実、2003年からのイラク戦争では、米国との集団的自衛権行使を主張してイラク戦争に参加した英国とスペインでは、大規模な地下鉄爆破テロが起き数百人の犠牲者を出しています)

特に近代戦争は展開速度が極端に速くなっています。
あれよあれよというという間に、一氣に戦争がエスカレートしてしまい、戦争態様や戦場拡大がスピーディに突如変更されてしまいます。

更に、極端な言い方をすれば、万が一、中国等の核兵器国との戦争になれば、日本が核攻撃を受けても文句は言えないことになります。いかに米国といえども核攻撃を未然に防ぐことは不可能でしょう。(中国の南沙諸島における強硬な対応を念頭に、米国防省の関係者が「このままいけば近々米国と中国は戦争することになるのではないか」と発言したのは、もちろん単に言葉上の牽制でしょうが)

極論も申し上げましたが、安保法制の議論では、このような潜在的に大きな危険が潜んでいることも十分に議論して国民に知らせ、その上で国民の皆さんに判断してもらいたいと思っています。

安倍総理が言うように、後方支援で攻撃された場合、応戦せずに直ちに逃げるのであれば、「日本という国ほど安心して攻撃できる国はない!」という世界の笑い種になるでしょう。