ボード・ゲーム
日本では幕府の保護などで囲碁は発展し、発祥の中国は最近になって逆輸入のような形で復活したのだと思います。
チェスと将棋は似ていますが同じ古代インドのゲームが伝わって変化したようで、今日まで残っているのは何かの魅力があるからでしょう。
ではそれは何か。
私は 言葉から離れる 事も理由の一つかなと思います。
人は様々な活動の中で、言葉を駆使して生きているように感じます。
その時、無意識のうちにその言葉の意味を考えている。
例えば言葉を離れるモノは他には、絵画や音楽があるでしょう。
歌を聞くのにも歌詞を無視してメロデイーに身を委ねる時があったり、安らぎや心地良さの演出にBGMを流したりします。
確かに手を読みますので、考えずに盤上を眺めるのではありませんが、それは言葉を使う活動とは少し違う気がします。
様々な人生の中の困難は、自然災害なら言葉を離れた世界ですし、社会的な問題ならたいていは人との関係、言葉の世界ではないでしょうか。
ネット上で人気があるのも画像のコンテンツで、言葉から離れたいという願望が裏にありそうです。
報道も言葉より写真のインパクトは大きい。
外国人の自己主張の強さは、これは言葉の強さです。
では言葉とは何か。
これは理性です。
人間は理性を持つことで動物とは違っていますが、これを最もよく使える者が、つまりは自己主張の強くできる人となれます。
言葉を離れる座禅。
瞑想は欧米でもブームになってきたようですが、何と英語ではこれをマインド・フルネス 最大限の意識 と言うのですから日本の無の世界とは真逆。
自然の支配者たる人と、自然の一部としてしか生きられない災害国日本。
文化の根本のところで差があるように思います。
剣術で言えば 気配を消す。
欧米式なら、最大の気迫で押しまくる。
相撲なら、われ未だ木鶏(もっけい)たりえず。
やる気をみなぎらせる生きた鶏(闘鶏)より、気から離れた木の鶏こそ理想のようです。