日本教 最終回 | xyavのくしゃくしゃブログ

日本教 最終回

日本には平安時代から雲太、和二、京三という言葉があり建物の高さの高い順から、出雲大社、大和 (奈良の大仏殿)、京都 (天皇の御所) という順に言われました。


今は出雲大社は低いため、この伝承も間違いだという意見もありましたが、2000年に社殿の前から束ねた柱が出土して、実際に伝わっていた設計図通りに高かったことが分かりました。


日本以外で、征服された側の建物を大きくするなどという事はあり得ず、権力争いに負けた出雲の方を高くしたのは話し合いによる国譲りを示す建物だからです。


またそこに祀られるオオクニヌシと言う名前も、本来なら支配する側の名前ですので、戦いの後で贈られたと思われます。


例えば巌流島と言う島は元は船島と言う名前だったのですが、決闘に負けた方の佐々木小次郎の流儀が巌流で、勝った宮本武蔵の二天一流とは名付けられません。


天皇家の内紛、南北朝の争いでも正統は負けた南朝とされ、北朝の流れを継ぐ皇居の前には負けた方の楠木正成の銅像を建てます。


では十七条憲法をもう一度見てみれば、1条は和の大切さ、2条は仏教、やっと3条に天皇ですので、建物の高さの順位とぴったり一致しています。


死者を怨霊にしないように話し合いを最優先する、これを最上位にする、それでも怨霊になった場合は鎮魂に努める、これが日本の歴史の根底にはあることがはっきり分かるのです。