日本教 5の3 | xyavのくしゃくしゃブログ

日本教 5の3

古代の日本には火葬の習慣はありませんでしたが、天皇の死と言う最大のケガレから逃れるための遷都をやめるため、持統天皇は仏教式に火葬する決断を下し、首都は固定できるようになりました。


これは大変な英断で、大きな、日本の歴史を根底から変えた功績と言えますし、やがて葬儀だけでなく血に触れる医療の分野も僧侶が担当するようになりました。


仏教は主要文明圏で唯一肉食を否定する宗教のため、縄文人を差別し、皇室の権威を守るための日本教と相性がよく、日本に定着しました。


仏教が生まれたインドに肉食の文化があった為、やがてインドでは仏教は滅んだと思われますので、日本には肉食しないだけの農耕の技術があったのでしょう。


縄文人の末裔ともいえる武士が権力を握った鎌倉時代、親鸞は肉食をする人たちや血に触れる武士たちも救済されるとしたため、本願寺の勢力は強大になっていきました。


ケガレの思想は肉食をする縄文人への差別となり、血に触れる武士への差別となって、そして今それは軍事を担う人たちへの差別となっています。


軍隊が必要であり、軍人と言う仕事が不可欠なのですから、その存在を違憲とすればその人の地位や人権を認めていないことになります。


なぜ平和憲法を守ることこそ正義だと感じるのでしょうか。


それは血に触れるケガレこそ最も邪悪で、ケガレを避けることは正しい、という無意識の思い込みがあるからで、建国以来長い時間この宗教によって武力を差別してきたからです。


江戸時代、ケガレに満ちた罪人に触れる与力や同心は不浄役人と呼ばれて差別されましたが同じ差別をまだしている事になります。


不吉な事、不幸なことを想定したとき、特にそれを口に出していった時に嫌な予感がする、できればそんなことは考えたくない、と感じるのは言霊の影響です。


米国と戦争になるかも知れないと言うとき、勝てばいいが負ければどうする、という想定をすることを避けてしまい勝つ議論しかしない、勝つことだけを言う人だけが出世する、そういう働きを言霊はしてしまいます。


言霊は言葉によりその方向に現実が動かされる場合があるという信仰ですので、日本が攻撃されればどうするか、と言う意見を言えば、日本を戦争に引きずり込む危ない思想だと批判されます。


つまり、外国からの侵略を想定することは、戦前に米国に負けると仮定したのと同じで、そんなことを口にする人間は排除する、それが言霊ですから、まずはそういう言霊によって戦争は悪化したと知り、そしてできれば同じ間違いをしないように気を付けなければならない。


差別をなくすにはどうするか、それにはその言葉を使わないようにすればいい、という言葉狩りをすることになるのですが、これも言霊で、言葉を兎に角攻撃して使わなくすることが差別の撲滅だと勘違いしてしまうのは、言霊の宗教です。


ケガレ、そして言霊は、憲法問題を考えれば今も非常に強いことが分かるのですが、もう一つの日本教の要素、怨霊も同じです。