日本教 5の1 | xyavのくしゃくしゃブログ

日本教 5の1

井沢元彦氏の逆説の日本史は累計500万部のベストセラーで評価は非常に高く、今回は22巻の補遺編から5回にわたってその内容を紹介しつつ私の意見も述べていきたいと思います。


日本の特徴について外国人どころか日本人も全く理解できていないのがその宗教で、大抵は神道と言われ、著書では山本七平氏の言葉として日本教と紹介されています。


日本は無宗教だと思っていましたがそうでなく、欧米の歴史にキリスト教が深く関係しているように、日本も日本の宗教に大きな影響を受けています。


特に憲法9条の問題は日本の宗教が原因になっていて、多くの日本人が ”自衛隊は必要だが9条はできれば残したい” と感じる理由でもあります。


日本の国がいつ頃始まったのか、確定するのは難しいのですが、その始まりを神話として伝えられているところによれば、そのときに出雲の国との間で国譲りという事がありました。


では支配した方の勢力は、支配される方の勢力の持っていた文化をすべて受け入れられるかと言えばそれは不可能で、とくに宗教については消し去らねばなりませんでした。


その消された宗教の祭祀に使われていたのが銅鐸で、そもそも銅鐸は本来の名前も分かっていず、これは日本教の言霊によれば名前が残れば生きていることになるためと思われます。


最大の銅鐸は滋賀県野洲市で見つかったもので、大きさは130cm以上、重さは45kgもあるのに薄さは3~5mm、(3~5cmでなく!) 今の鋳造の技術で作れないほど高い技術力を持つ文明でした。


支配され、祭器の銅鐸を消される側の勢力が名前を残そうとしたとき、その方法としてそれを国主の名前としたのではないか、その名は出雲振根でしたが、振根はもともとは振音だったと考えれば辻褄が合います。


2015年に淡路島で見つかった銅鐸は、銅鐸の音を鳴らすための棒、舌 (ぜつ) が中に入った状態で初めて発見され、それまでの物はすべて ”抜かれた” 状態でしたが、舌が抜かれていた、ので祭器を殺して埋められていた、ものばかりでした。


国譲り神話によれば皇室の3種の神器のように出雲にも神宝があったが、没収されたと書いてあります。


また消されたのは神宝の名前だけでなく、支配された側の持っていた文字も同じで、銅鐸に描かれているのは単なる絵でなく古代の固有の絵文字です。


漢字が伝わる以前に日本には文字がありました。


ところで非常に古くからある子供の遊びにあやとりがありますが、ひもとりとは言いませんので、あやとりのあやは 文 であるとも言えますし、(文字の意味のあった) 模様を示す 綾 かも知れません、言葉の綾と言う言葉も伝わっています。


また沖縄では維新のころまでワラザンという縄を結んだ文字が使われましたが、インカ文明にもキープと言う、紐を結ぶ文字がありました。


文字については魏志倭人伝と同様の随書倭国伝に書かれていて、”文字はなく、木を刻み、縄を結ぶのみ” とあります。


木を刻む、とは、メソポタミアのような粘土板に書く楔形文字であり、縄を結ぶとはワラザンのような文字や、紐を結ぶような文字があったからこそ、それがわざわざ ”ない”、中国だけが高い文明を持ち、日本のような野蛮な国にはやはりなかった、と書かれました。