記憶と歴史
人の記憶は3歳くらいから始まるのでしょうか、やがて老化して記憶力が衰えるのは80歳ほどになってからでしょう。
するとその間の77年は記憶があるのだとすれば、共同体としての国家が持つべき記憶も77年くらいでいいんじゃないか、77年たてば例えば機密も情報開示する、その目安とできる気もします。
もちろん100歳でしっかり記憶の衰えてない人もあるでしょうけれども、大人としての責任ということが20歳前後から始まるなら、やはり77年でそれは薄れるという考えには合理性も感じます。
子孫も責を負う、という場合、それを負わせる方にも世代交代があるわけで、じゃ何代後までそれを続けるか、際限がなくなってしまいます。
満州事変が大東亜戦争の始まりの一つだとして、そしてそれは偶然にも77年ほど前なのですが、その失敗の原因は日本に残っていた一つの記憶でした。
それは ”日露戦争の犠牲” ということでした。
多大なコストと多大な人的犠牲の末に満州を勝ち取った、これを手放すのは英霊たちに申し訳ない、そこが泥沼に足を取られる元となりました。
過去の記憶を根拠に挙げるなら、歴史は永遠なのですからどこにでも無限の理由を作ることができてしまいます。
なぜ人は衰えるか、そして死んでいくか、衰えもせず死にもしないなら、記憶を失わないなら苦しみ続けなければならない。
人間は衰え、死に、世代交代することで和解に踏み出せるのかもしれないのです。