卑弥呼 3
魏志倭人伝の著者は参問、伝聞でこれを書きました。
これほど倭の国を詳しく書いているのに、詔書という公式文書を与えた時の使いの倭人についても、またその時に受け取ったと言う奴隷についてもその様子を一切書いていませんから、直接会っていないと考えるのが自然です。
一方、日本書紀の著者は魏志倭人伝の存在を認めているのに、公式の詔書や印綬は無視していますのでこれは逆に卑弥呼には日本は関心がなかった証拠で、使節について他人事のように記すだけですので、朝廷の公式な物でなかったのは明白です。
日本は閣議で正式に大東亜戦争という名称を決めましたが、占領した米国は太平洋戦争と言う名称を使うよう強制しました。
米国の書いた史観に染める為ですが、米国の言ったことだけを信じるなら、日本人でなく米国人になってしまいます。
欧米の欧米による欧米の為の世界、そのように欧米は活動してるのであって、日本の為とは全く違います。
中華思想も同じです。
中国の中国による中国の為の世界、その考え方の中で魏志倭人伝も書かれているのですから、米国が太平洋戦争だ、と言ったことだけを信じるのと同じように、中国が書いた日本だけを信じるなら中国人になります。
いや、米国人も、中国人も、米国の主張、中国の訴えを鵜呑みにする事はありません。
ところが日本人は米国や中国の言っている事だけを信じ、日本の先祖の話を否定する、これでは史実は見えてきません。
尖閣は昔から中国のモノだ、というのは認められないのと同じで、卑弥呼は敗戦が生んだ嘘、偽りなのです。