大恐慌 | xyavのくしゃくしゃブログ

大恐慌

1929年の大恐慌によって、日本の農家の所得は1326円から、何と1931年には650円へと半分以下に落ち込みました。


もしいま、同じように農家の収入が減っても、人口に占める農家の割合は低く、他の職業の人が支えられますが、当時は46%が農家でした。


また軍隊に入るのは農家の次男、三男が多く、軍が農業支援を主張したことで、世論の支持を得ていきます。


そういう背景の下で満州事変が起こされましたが、外交官の経験があった芦田均は、


”もし国際連盟が、満洲国は承認できないとの報告書を出したとして、それを日本が受け入れなかったとしても、連盟の規約に違反しないから脱退する必要はなく、勧告に応じないだけで良い”


という冷静な主張をしました。


日本だけが不況だったのでなく、また国際連盟は米国は参加していないのですから、いまの国連の様な位置づけではありませんでした。


そして脱退して命運が尽きたかのように言われますが、決してそうでなく、いくらでも協調する余地はあったのです。