英国の懸念、米国の介入
日本が第一次大戦に参戦して北方のドイツの持つ中国の権益を奪った時、英国が懸念したのは、自国の南方の利権が荒らされる事でした。
つまり、そうでない限りは認めると言うことで、上海、香港を拠点とした対中貿易の利益維持を優先します。
中国の全輸入額のうち、英国は50%を占めていましたが、第一次大戦後、満州事変のころまでにはこれは10%にまで減りました。
日本はもともと20%くらいだったのが、第一次大戦後は40%に倍増するのですけれども、満州事変のころにはやはりまた20%くらいにまで下がります。
代わりに伸ばしたのが米国で、5%から日本と同じ20%になっていきました。
第一次大戦で日本はドイツに対し、1914年に宣戦布告しましたが、これには米国が介入してきました。
一つには中国で領土拡張をしない事と、もう一つは中国で内乱や革命が起これば、無断で出兵しない事を確認する密約を結ばされました。
しかし米国のマスコミにこれが暴かれ、日本の自主権、独立権を侵し、宣戦に関する制限であって、看過できないと日本の野党は一斉に与党政府を批判します。
やがて戦争が終結し、国際連盟が設立されますが、米国がここへ加入できなかった理由も、この日本の野党の主張と全く同じでした。
国際連盟によって米国の自主権、独立権は侵され、宣戦に関する制限は断じて認められないと米国議会は判断しました。
今も昔も介入はするが、介入されるのはごめんだと言うのですが、介入して自国の権益を拡大したことが見て取れるのです。