村人 | xyavのくしゃくしゃブログ

村人

日本に存在したのは村人でした。


江戸時代の記録では、全国にあった村の数は6万3千~7万で、一つの村の人口は400人程度、全国で2500~3000万人ほどが暮らしました。


農作業から冠婚葬祭まで互いに助け合う共同体が村だったのですが、三内丸山遺跡の人口も400人ほどですから、縄文時代からずっと同じような暮らし方をしています。


狭く分散した平野で、極めて小さな集落を作り生きてきた歴史が日本人を作ってきました。


もめごとを避け、話し合いを優先するのは、日本は地形的に狭い領域に閉じこもらざるを得ないからで、大きな平野が広がる中国の中原や西洋では、同じ事はできません。


広域を支配するには大きな権力が必要で、広大な地域を統治する政治形態を生んでいったのでした。


日本には田越し灌漑というのがあり、高い田に先に水を入れ、順々に低い田へ落としていくのですが、すると協力して時期や作付け作物を決めていきます。


洪水などの被害に遭う所と、そうでない所をローテンションさえして耕作したりもしましたので、このような農地は集落の所有でもあり、幕府や大名などのモノでもあると言う、重層的な所有観ができました。


年貢も村が共同で納め、個人的な権利の考えはほとんど発達しません。


これは喧嘩両成敗という文化に見る事が出来るのですが、どちらに非があるかを決めずに、争う事は悪い事とするのですから、日本以外の人には理解できないやり方で生きています。


このような村に権力は不要で、強いリーダーシップを必要としないのは、日本独自の文化と言えるのです。