人権への敵対 | xyavのくしゃくしゃブログ

人権への敵対

仮に自由、権利、民主主義などが重要だとして、それを阻む敵対者との戦いに勝った所で、思い描いた理想の社会が実現する訳でもありません。


この欧米的価値観は大いなる勘違いであり、設計通りに何でも作れるとの前提に立つのは、やはり一神教の名残です。


人間を含むこの世界は矛盾に満ち、矛盾のある自分をその矛盾ごと包み込んで、それをそのまま自分のアイデンティティとして認めれば、やっと矛盾を乗り越えられます。


ところがこれまで人類は常に二元論で考え、悪を探して排除し、善の側に付こうとする偽善に気付かずに来ました。


それでは矛盾は解決されません。


矛盾の残る無意味なその戦いを宿命として受け容れてきたのが、日本的な運命や歴史に対する感覚です。


しかし何も状況追認するだけなのではありません。


全ての過去が自分を成り立たせている事を知り、未来への橋渡し役を自覚すれば自己を表現し、現実へ働きかける責任を果たそうとします。


理性によって分析し、加工して自我を外へ外へ拡張する論理でなく、自己の中へ潜り込み、うちを覗き込んで現実を知り、超越的な部分はそっとしておく奥ゆかしさを崩さないのが、日本流です。


すると物も事も公が優先され、私は後回しになります。


その象徴が天皇です。


皇室がするのはただただ祈るだけで、何も手出しをしません。


私たる権利の拡張でなく、滅私こそ和の文化なのです。


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という記事を、「人権」 というテーマで書こうとしたら、


”テーマは100件まで” とのこと、100件もあったとは知らなかった。。。





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