悪人正機説 | xyavのくしゃくしゃブログ

悪人正機説

悪人を私達は憎みますが、しかし。。


親鸞は悪人正機説という大変有名な思想を説きました。


  ”善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや”


善い人でさえ天国に行けるのに、なぜ悪人がいけない事があるでしょう、悪い人も天国に行けます、という事でしょうか。


普通なら、悪い人でも天国に行けるのだから善人は必ずいけます、となって、そういう話なら分かるのですが、これは少しあべこべに感じます。


自分自身をよく観察すれば、必ず悪いところがあり、自分に悪いところがある事を知っている人は自分を悪人だと思って、それを知らない人は自分を善人だと思っているから、そんな善人は自分をちゃんと観察していない人です。


正直な悪人は救済されますが、ちゃんと自分を知ろうともせずに善人だと思っている人でも、助けて貰えます、という事なのでしょう。


自分を観察した時に必ず発見する悪いところを仏教で煩悩と言い、キリスト教では原罪と言うのだと思うのですが、これは単純に私は本能だと思います。


人間は生きていますので、生きていれば必ず自分を守るための、本能が必要です。


これは野性に生きている動物を観察して分かるのですが、それと同じ仕組みが人にも備わっています。


そしてそういう機能をもった原始的な脳がなければ息をする事も、心臓を動かす事も出来ず、人間らしさの機能を持つ大脳だけでは生きてはいけません。


自分が持つ善と悪、人類が持つ善と悪は、どんな善人も、どんな悪人も自然に皆が同じように持っています。


親鸞はこれを伝えようとしたと言う気がします。


犯人は悪い人ですが犯人以外はみんな善人なのでなく、誰でも同じように悪い部分を持っているのだろうと思います。