宮沢賢治
宮沢賢治は非常に特殊な感受性、精神世界に生きた国民的作家でした。
河合隼雄は、賢治が妹の死に共感して書いたのが 「銀河鉄道の夜」 だったと言っています。
賢治自身は内側に生起する現象に興味を感じ、それが心理学と結び付き、その現象を客観的に眺め、記述、分析して心理学の発展に貢献しようとして作品を書いていきました。
さらに賢治は自分の意識操作だけで作品を書くのでなく、自分の書いたものが
「わたくしにもまた、わけがわからない」 と述べ、”無意識” によって書きました。
『注文の多い料理店』 の広告文には自身で、 「これらは決して偽でも仮空でも窃盗でもない。
多少の再度の内省と分折とはあつても、たしかにこの通りその時心象の中に現はれたものである。
故にそれは、どんなに馬鹿げてゐても、難解でも必ず心の深部に於て万人の共通である。
卑怯な成人たちに畢竟不可解な丈である」 と書いています。
「心象の中に現はれたもの」 とは、 「心象の深部に於て万人に共通」 だと賢治は知っていました。
賢治は天文、気象、地学、農業、地理、園芸、科学、動植物、美術、仏教、キリスト教、エスペラント語など多方面、さまざまな分野を学ぶことを通してより普遍的な源泉をさぐることを意識しましたので、賢治がエスペラント語を学んだのは日本を離れ、世界を見据えていました。
(1929年12月 高瀬露宛書簡下書きより)
ただ一つどうしても棄てられない問題は、例えば宇宙意思というようなものがあって、あらゆる生物を本当の幸福に齎したいと考えているものか、それとも世界が偶然盲目的なものかという、信仰と科学とのいづれによって行くべきかという場合、私はどうしても前者だというのです。
すなわち宇宙にはじつに多くの意識の段階があり、その最終のものはあらゆる迷誤をはなれて、あらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめようとしているという、まあ中学生の考えるような点です。
ところがそれをどう表現し、それにどう動いて行ったらいいかはまだ私にはわかりません。
宮沢賢治は大政翼賛会を批判した国柱会で、石原莞爾と世界の理想を語ったのでした。