和 と 愛
”神は私達を愛して下さっています。”
と言う事を教えてくれるのがキリスト教だと思います。
どれくらい、どのように愛しているかと言えば、一人子を賜るほどに、と言う事なのでしょう。
この神の愛を感じる事ができれば、人は幸せになり、貴方も信じれば幸福になれますよ、と勧めますが、多分、多くの宗教が同じなのではないでしょうか。
では宗教を信じてない人は不幸かと言えばそんな事はなく、世界中の多くの人が宗教を信じるなか、日本は無宗教だと言われますが、神からの愛を感じることはなくとも、先祖や親、自然、などなどの愛を感じれば幸福感を持てます。
いや、愛なんて信じないが、それでも普通に幸せに生きている、と言う場合もありそうですが、その条件は、それは肯定し、肯定され、受容し、受容されると言う事になります。
否定され、排除される人が、果たして幸福に生きられるでしょうか。
存在を認められる、これは人が生きていく上で大事な支えになり、宗教や日本の和の文化はそれを提供しています。
しかし戦争はなくならず、紛争は反対に過激さを増してさえいるかのようです。
人間の攻撃性や暴力性がこれを起こしていることは明らかなのですが、そのような規模の対立でなくとも、私達は誰もが日々の暮らしの中で小さな対立を抱えます。
これを減らしなさい、というのが 「和を以て貴し」 ではないでしょうか。
このように見れば、日本の、対立を避けましょう、と言う教えは、重要で深く思えてきます。
空爆と言う暴力で平和を実現する、などという方向は無理だ、と言う事にそろそろ人類は気付く時が来ています。
世界の平和に日本の和の文化が貢献できる可能性がある、私はこれを強く感じます。