備忘録

備忘録

ブログ名決まらないので、備忘録とかいうものにしてみた。
持病であるリウマチのことや、日々の生活のことをちょこちょこ書いていけたらな、と思います☆
宜しくお願いします。

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ご無沙汰しております。

たまにログインしてブロ友さんの記事にいいねをさせて頂いたりしておりましたが、記事を書くのは本当に久しぶりです。

最近専ら、ツイッターにいます。

今月の頭に↓をツイートしたので、ブログも書いてみようって事で書いてみます。

今日のツイートはこちら。

実家を離れて就職した先はすごく田舎だったのですが、その田舎道をとぼとぼと歩きながら涙を我慢しつつ(多分出来てない)帰りました。

ステロイド効いてたし、なんとなく予想はついていたもののショックでしたし「20歳で…!」と言う何かこれからだと思ってた時の発症は辛かったです。

まぁ、次の日に上司に報告したりも辛かったし後にステロイド増量しても辛かったし、退職も何もかも辛かったなぁと思い出すと、私12年間よく頑張って耐えて生きてきたな、と自分を褒めたくなります。

 

友人にも病気のことは言えないし(同情されたくないし色々聞かれたくない)、まだまだバリバリ働くぞ!!!!みたいに血気盛んな時もありましたし、何なら治す!!!完治してやる!と息巻いてた時もありましたが、年齢を重ねて丸くなったのか「お、やっぱ完治無理だな」と諦めて楽になったのか、マイペースに過ごせるようになったのは発症してから5年経ったくらいでした。

 

最近は加齢の所為か、メトで免疫機能抑えているかは謎ですが風邪はすぐ引くし治りにくいし、この前は自分の菌で耳下腺炎になるわ、眠くて仕方ないし、台風前後のポンコツ具合に拍車がかかっていますが、

案外精神的には穏やかな日々です。

 

この12年間で学んだのは「諦めも肝心」です。

どうあがいても治らないなら、関節痛をひどくしないように休む。

メトがきつい、しょうがないそれだけきつい薬飲んでるし、耐えてる私、偉い!

お、今日は調子がいいのは過去の私が私を労わったからだな、体力温存偉い!

そんな風に自分を自分で褒めながら日々生きてます。

これからもそうやって過ごしたいです。

 

わがまま言うとしたら「よく干支1周耐えたで賞」として、今まで使った医療費の一部でいいから返還してくれないかなぁ。笑。

100万くらいでいいから。

 

 

ご無沙汰もご無沙汰です…。

何とか日々を過ごしています、あつこです。

 

何か書こうとブログを書く画面を開いても、よく考えるとネタがなかったりして…。

 

年始は姪がこちらに来て2日目にインフルが発覚しまして、私も姪も各自隔離されており、その後私は気管支炎に中耳炎に喘息、高熱のコンボを受け、しばしメトレートが飲めないでいると、リウマチの大暴れで立つのがやっと、お手洗いに行くのがやっとと言う生活を1月ほど過ごし、

今はなんとかパートに復帰しました。

 

さすがにパート、クビかなぁと思いながらも今のところクビにならずにありがたいですが、どこかに通って仕事をするということに少し限界を感じています。

在宅の仕事1本にするか、とか色々考えますがそうなると引きこもりに拍車がかかりそうで、どうしたものか…と日々考えています。

 

そして、そんなこんなをよくツイッターの短文にしてしまうので、ブログに書くとなると…となってしまいます…。

 

最近の近況としては活動量計なるものを買って、睡眠の記録などみて楽しんでいます。

脈拍は30分ごとに、血圧は夜間のみ1時間ごとに自動で記録してくれます。

安いものなのでどこまで正確かは分かりませんが、睡眠の記録が楽しくて…。

母もさっそく購入して、「お、今日はいい睡眠だった…」とか言い合ってます。

 

あと、スマホのゲームをぽちぽちするのがお布団の中で痛みと戦う間のひまつぶしにちょうどいいので、ノベルゲーやらRPGやら色々やっています。

本を読むには痛みがあると集中力が削がれるんですよね…。

おすすめのゲームがあったら教えて頂きたいです。

 

長文で、自分の事を書くと言うのが久々すぎてまとまりのない文章ですが、ブログで色々書くのも楽しいです。

もっとこまめに書いていけたらいいなと思います。

 

寒の戻りでめっちゃ寒いですが、(昨日と一昨日は頭痛がすごかった…)

春になったらお花見に行きたいですー。

先ほど、おみくじがあるのを見つけてしてみました。
 
病院、すぐ行きますね…。
 
と言うのも、現在ぜっ不調でして…。
 
11月の終わり頃から所用でバタバタしまた、自身の家にいない事もあって、
11月の下旬に一度喘息が出た時にメプチンをしたところ、
発作はおさまったのですが、1時間後くらいに手がぶるぶると震えだし、動悸も出て、調べてみるとメプチンの副作用…。
呼吸器の先生に会いにいって事情を説明すると、ひとまずメプチンをやめて、
これを発作の時に1日2回だけ使って、と吸入を貰ってきました。
 
スピリーバというお薬なんですけど、メプチンみたいに効く!ってのはないですが、なんとなく苦しいのが治まる感じはします。
 
 
そんな中、年末年始も家におらず、親類の家にいて、慣れない環境からか、喘息→風邪→喘息のコンボで、年明けてから一度もメトレート飲めてません…。
さすがに4週飛ばすと痛みが…ボルタレン貰ってきて飲んでるんですけど…あぁメト頑張って飲んでたのに…えーん
 
まだ咳が少し残ってるんですけど、今週はメト飲めたら…いいなぁ…。
 
そんなこんなで体調不良で始まった2017年、どうなるやらですが、よろしくお願いしますー。

本当にご無沙汰しています、ブログ書くの半年振り…。

 

血圧も少し安定し(台風などの低気圧にやられた時は除く)今はプロブレスの減薬に挑戦中です。

 

パートもコンプリート出来た月もあれば、週2しか行けていない時もありますが、有り難い事に辞めずに済んでいます。

在宅のお仕事もコンスタントに頂けていて、有り難い限りです。

 

今年は台風にやられて体調崩す事が多く、股関節の痛みから椅子に座れず立ったままご飯を食べたりもありますが、何とか日々過ごしています。

台風来なければ調子良いんですけどねー。

 

最近はツイッターで呟く事が多く、ご無沙汰しておりましたが、ちょこちょこ開いてはいました。

もし、ツイッターされている方いましたら、フォローさせて下さい。

 

さて、タイトル通り、今月でリウマチと判明して10年です。

お薬手帳を見返してみると、2006/10/11にはじめてリマチルを処方されています。

確か8月に腸炎を起こした後に握力の急激な低下、股関節の痛みなどが出てきて、10年前の今頃はプレドニンで微熱をごまかしていた頃だと思います。

 

リウマチだと病院で言われる前にネットで調べて何となくそうなのかなぁと思っていた中、病院で言われた時は、そうかぁなんて思ってリマチル貰って、

徒歩で田舎道(20歳で就職した先が田舎だったので)帰りながら、仕事はどうなるんだろう、とか母になんて言おうとか、何で就職した今なんだ、とか色んな事考えながらとぼとぼ半無きで色々考えた事を思い出します。

同じ会社に派遣で来ていた方がよく心配してくれて、よく考えるとその方は10歳上なので、今の私と同じ歳なのですが、

電話をくれて、ご飯食べに行こうって誘ってくれて、ぽつりぽつりと話す私を一度送り届けた後、すぐに買い物に行ってくれて、電話してアパートのロビーで電気毛布をくれました。

冷やすと痛いってネットにあったから、これで少しは温めて、と。

その後もこたつ買うのに付き合ってくれたり、重いもの買うときは車出すよ、と買い物に誘ってくれたり、同期もご飯作るの大変だろうから、と家が大きい人の家に遊びに行ってご飯食べたり、母が近所のイオンで買っておいてくれた電器鍋で鍋したり、思い返せば本当に良くしてくれました。

今の私に彼女のように出来るか、と考えると出来ない気がします。

 

結局、私は頑張れず翌年の5月にその会社を退社するのですが、それを決めたのは2月で、先の予定の仕事まで自分の名前が入っているってのがけっこうしんどかったですね。

私が辞めるとなった時、同期の一人が先に辞めることが決まっていて色々愚痴を言ってたんですけど、私はそういうのでなく辞めるってなっても、まだ言えなくて「いやー、健康ならいいじゃん」って心の中では思ってました。

 

ただ、辞めるってなった時に部長からは引き止められたりもしましたけど、

先輩とかからは「身体が資本なんだから」とか「判断は正しい」と言ってもらえて救われた思いでした。

ただ、仕事をする上では持病持ちだと扱わないで下さったのもすごく感謝していますし、

辞めたいってなるまで働かせてくれた母には本当に感謝です。(今ではよく喧嘩しますが)

私が辞めて帰りたいって泣きながら電話した時、「いーよ、帰ってきたら楽しい事たくさんしようね」と言ってくれた言葉は本当になっています。

 

辞めるんじゃなく、休職としてはどうかと薦められましたが、実家と同じ県ならまだしも、同じ九州でも県外だったので、一度家財道具を引き上げたとき、帰る気になれるかも分からなかったし、休職するだけしてその後やっぱり辞めますってなるというのが嫌だったのでそのまま退職の道を選びました。

 

今でも、何ですが、やはり20歳での発症と言うのが当時けっこうショックで、学生時代の友人にはリウマチだという事が言えていない子もいます。

お年寄りの病気って言うイメージが強いのと、過去の体力はなかったけれど元気だった頃を知っている人たちに知られる、そして「でも元気じゃん」って言われるのが何だか嫌で。

まぁ、「元気じゃん」は褒め言葉なんでしょうけど、「頑張って遊ぶ日に元気であれるようにしてるの!」とは言えませんしね。笑。

 

リウマチになって最初の2年が大事、という記事を見て以来、3年目くらいまではけっこう優等生患者でしたが、5年過ぎようとした頃には「それなりに過ごせて、たまに痛みが強くなっても美味しくご飯食べれてお酒飲めればいいや」くらいの精神になってしました。

いいのか、悪いのか…。笑。

 

20歳でリウマチを発症して、10年。

人生の1/3をリウマチと過ごしている事になります。

20歳からの10年って一番環境が変わる時期のような気がしますが、私もこの10年色々ありました。

就職そして退職、半年後の療養後にWEB製作会社、交通事故そして退職、事務職、在宅仕事とパートの両立、父の死、喘息の発症、そして高血圧の発症。

何を取っても、「当時の私、頑張ったね」と褒めてあげたいなぁと思います。

 

そしてこれからもきっとそれなりに乗り越えていくしかないのですけど、人生転機ってタイミングや縁の連続だと私は勝手に思っているのですが、それが私は"劇的に"ではなく、いい感じにめぐり合えてココまで過ごせているのだなぁと感じます。

これからは大転機あまり迎えて欲しくはありませんが、ゆるっとその日その日を過ごせていけたらなぁと思う、10月初旬です。

 

まぁ何が言いたいのか分かんない長文になってしまいましたが、これからもココでふらっと思いついたように書いていけたらなぁと思います。