辛い、辛いよ母さん。

もくづです。

話題のAIきりたんとボカロについて、現在の関係性から見た将来と、このまま進み続ければいずれは来るであろう「終わり」までの考察を話して行きたいと思います。
かなり独断と偏見による意見が織り交ぜてある文なので、少し辛いと思ったら即ブラウザバックしてくださいな。


〜目次〜
1, VOCALOIDの背負う歴史と意味
2, さいつよ歌声合成NEUTRINOの降臨と疑問
3, 砂の惑星が塵芥の惑星と化す
4, NEUTRINOは最高の技術。悪いのは?



【議題】VOCALOIDとNEUTRINOは全くの別物である

最もな事を言いますが、技術的な側面で見ると、そもそもYAMAHA独自の歌声合成機能として誕生したVOCALOIDと、その技術を利用していないNEUTRINOという図になります。この事から既に違いが明白ですね。

ですがここからが本題で、筆者独自の意見が混ざります。

概念、あるいは文化的な面で言っても、VOCALOIDとNEUTRINOは区別するべきではないか、という事です。


《1, VOCALOIDの背負う歴史と意味》

まず、「VOCALOID」というワードは、とても大きなものを背負っているという話をしましょう。

歴史的な面で見ると、2007年に「初音ミク」が登場してから今日まで、VOCALOIDは著しい成長と変化を遂げて日本の一文化とまでなりました。漫画・アニメに次ぐエンターテイメント文化という事で、それに関わる身としてもとても誇らしい事です。
(以下敬称略)wowaka、ハチ、kz(livetune)、ryo(supercell)、黒うさP等、もはや伝説のボーカロイドプロデューサー、いや伝説の音楽家と呼べる人達が土台を作り、その上でNeru、れるりり、ピノキオピー、等の天才達が切磋琢磨して磨き上げ作った塔の中でツミキ、かいりきベア、MARETU等新進気鋭のPが今まさに戦っている。そんなボカロ界隈です。

次に動画サイト側から見たVOCALOID。
ここまで「VOCALOID」が発展したのがニコニコ動画のおかげであるというのは言うまでもないですが、ニコニコはもうほんとに素晴らしいんです。ほんとに。
ニコニコには昔の動画を大切にする風潮があります。例えばゲッダン(2015年)を見ていると関連コンテンツの欄にはdaisuke(2011年)が。daisukeを一緒に踊っていると今度は、あぁ〜!水素の音ォ〜!(2016)が下に見える。
daisukeに至っては「コロナに勝った男」なんて米が動画冒頭に付いていました。
いつまで見てんだってくらい大切に、大切に面白がられています。
それに比べてYouTubeやTikTokは、新しいもの新しいものと求められすぎた結果、関連動画に表示されるのはほとんど最近の動画ばかり。最近はおすすめ欄が充実して来て「これ最近のコメント多すぎて今人気なのかと思ったら1年前の動画だったw」なんて米も見受けられますが、『面白すぎるTikTokの動画まとめ!』なんて動画すら消費される形で流れていくケースが殆どです。
そんなニコニコの文化も相まって今があります。

次にボカロ文化側から見たVOCALOIDとは。
ほとんどのリスナーは、「歌声合成技術を使った音楽作品」を、それに使われた合成音声がVOCALOIDなのかUTAUなのかCeVIOなのかVOICEROIDなのかはたまた別の類似技術なのか区別せずに、「ボカロ曲」と表現しますよね。
これについては自分もそうです。重音テトの吉原ラメントも、ONEのおねがいダーリンも、どちらも「ボカロ曲」と呼びます。むしろテトちゃん達がVOCALOIDではないという事を知らないリスナーさえいますのでその方達には違いをしっかり教えてあげたいです。ですがVOCALOIDとその他シンガー(歌声合成ソフト)のコラボした曲まで登場したとあっては、一括りにせざるを得ませんね。
この様に、一概に「ボカロ曲」と表現する事はVOCALOIDの文化だと自分は思っています。

これらの事から、つまり「ボカロ」(あるいはVOCALOID)という言葉はそれ程までに、あらゆる合成音声が用いられた芸術作品、ないしはシンガー(歌声合成ソフト)の概念を内包したものであるという事が分かりますね。

ここからは「ボカロ」を文化的な意味合いのワードとして、「VOCALOID」をVOCALOIDの技術的な意味合いとして用いて行きます。

(余談ですが、IA(VOCALOID)とONE(CeVIO)が姉妹というその関係性から、間接的にボカロ文化を肯定していたと言えるでしょう。)


《2, さいつよ歌声合成NEUTRINOの降臨と疑問》

しかし2020年2月22日、事件が起きました。
新しい歌声合成技術、NEUTRINOの発表です。

それを受けて、1ボカロ厨もくづは、ふと考えました。

「これは『ボカロ』か?」と。

もちろん先述した様にNEUTRINOはVOCALOIDとは全くの別物です。が、そうではなく常日頃あんなに文化だなんだと勝手に分析しているもくづから見てみると、例によって考えればあれはボカロだが、何故か違和感があるぞ、と感じていたのです。

「AIきりたんで『キリトリセン』カバー」を筆頭に、凄まじい速度で出現したAIきりたん動画。そして成り行きを見守って迎えた今日、関連動画数はNEUTRINO発表から僅か4日で320超となりました(ニコニコ超検索調べ)。

ここでやっと説明しますが、NEUTRINOの何が凄いかと言うとその技術。VOCALOIDの歌声合成技術とは全く違う、楽譜データを入力するだけで人間と聴き分けが付かない程にリアルに歌ってくれるのです。
VOCALOIDとは比べ物にならないくらい人間らしい歌なのです。

VOCALOIDには「調声」または「調教」と呼ばれる作業があり、歌詞とメロディを打ち込んでこんな歌です、とVOCALOIDに説明し、その後にこう歌ってください、と、ちょうど歌手がレコーディングする際に、プロデューサーがスタジオで「ここもうちょっとこうして」といった感じで指示するのと同じ様に、VOCALOIDではパラメーターを調節して魅力を足していき、あわよくば自分好みのシンガーに、というものがVOCALOIDでした(詳しくは後述しますが、ここではあえて人間らしいという表現はしません)。

ニコニコ、ボカロには「神調教」というタグが存在し、VOCALOIDは「初音ミクが歌ってくれる」と最初売り出した訳ですが、実際は「初音ミクに愛情を注げば注ぐ程“上手に”歌ってくれる」という具合のアイドルだったのです。機械音がより人間らしくなれば当然話題になります。その為、数々のボカロPが切磋琢磨して色々な調教を施した人間に更に近い「神のような調教」という概念が誕生し、それは一つの楽しみ方としてボカロ文化を助長してきました。

ですがその作業が必要無いとあっては、技術に関しては凄いの一言です。

「きりたん」(元はUTAU)というボカロとしてのキャラクターをアイコンとし、「歌声合成」という売り出し方でカバーを掛けられたそれは、バーチャルエンターテイメント界の話題をかっさらっています。
ニコニコ投稿主も「VOCALOID」「NEUTRINOオリジナル曲」「 AIきりたん」等のタグを並べ、続々と投稿を続けています。

…待てよ。「VOCALOID」?


《3, 砂の惑星が塵芥の惑星と化す》

筆者はそう素直に思った訳です。
ここままでは、と。

人形劇とスターウォーズのC‐3POを一緒にする様なものです。何もVOCALOIDを人形レベルだと言っている訳でも、人形を小馬鹿にしている訳でも無く、違うものは違うんです。人が携わって初めて芸術としての味を出すものもあれば、携わらないから良いというものもある。VOCALOIDは前者で、NEUTRINOは後者に近いとそう思っています。

そもそも筆者は神調教に対しても懸念がありました。
このまま「人間の様に」を突きつめて行って、後には何が待っているのだろう?と。

考えてみて下さい。
人間と聴き分けが付かなくなった合成音声に存在意義は果たしてあるのでしょうか。
VOCALOIDとしての役割を示さなくなった「人間」には、一体何の役を振られるのでしょうか。

人間らしく歌う機械音も良い。が、VOCALOIDにはVOCALOIDの良さというものがあるんじゃないかと思っています。が、神調教が一概に悪という訳ではなく……。

それらを踏まえて、NEUTRINOをVOCALOIDと同一にしてボカロ文化に織り交ぜる事に反対、という意見が生まれました。

神調教だけがVOCALOIDの進むべき、評価されるべき道では無いのは確かですし、いつか天才調教師が登場して人間と差異の無い様な歌声を初音ミクを通して表現するとしてもそれが素晴らしい事なのも確かです。
あくまで人の手がほぼ携わらないNEUTRINOをボカロとする事での行為を、ボカロの一翼を担って来た調教の概念を通じて、文化をまるごと否定されている様な感覚に陥ったという話です。

米津玄師(ハチ)が最後に残したボカロ曲、「砂の惑星」はご存知でしょうか。「ハチが去った後の、衰退していくボカロ界を開拓していくPとミク」を表していると言われていますが、開拓団が踏み締めて行くのならまだしも、初音ミクが一人で生きていけるとあって開拓行為すらされなくなった砂の惑星は、最後には塵芥の惑星と化してしまいます。こうなったらどうなるでしょう。
その時ついにボカロは「オワコン」となります。

例えるなら、1000万年生きてきた人間そっくりの生物を地球に連れてきて、「人間です」なんて言えませんよね。「100歳まで生きるから人間」なんです。寿命200歳時代なんてのものがいずれ来るのかもしれませんが、その時はその時です。
安倍さんに「1000万年生きられるDNAを投入します」なんて唐突に宣言されてもそんな簡単に順応出来るかって話ですよね。

長所は長所、欠点は欠点。
VOCALOID惑星人はVOCALOID惑星、NEUTRINO惑星人はNEUTRINO惑星で問題無いのです。


《4, NEUTRINOは最高の技術。悪いのは?》

無論、AIきりたんを否定する訳では全くなく、私も正直なところNEUTRINOの「本来なら息継ぎが必要な、何十秒も歌詞が続くフレーズを歌わせると苦しそうな声になってくる」という説明を見た瞬間泣いてしまったくらいですから。まじで感動しました。

しかしそれはそれです。
前述の通り、NEUTRINOはNEUTRINOで良い。
またボカロとは全く別の、「人間をより忠実に再現するプロジェクト」として見なければいけない。

なのに何故だか必然だか、多くのボカロリスナーはこのAIきりたんを見てVOCALOIDが進化した、と口を揃えて言う。これは仕方ない、当然だとは思います。これもまた前述の通り、「きりたん」元はUTAU(ボカロ文化に内包されるコンテンツ)だったアイコンを着ているのなら当然ボカロの仲間入り、とでも言うべき状況だったでしょう。ですが、そこが間違いだったのです。

何故ならこのまま行くとボカロは、ボカロとしての文化、VOCALOIDとしての技術共々消え、ボカロ達とボカロPの世界であったニコニコはボカロだけの物になってしまうからです。そんなの絶対に許せません。
私達は、VOCALOIDが一人でも生きていける様な場所を見つける、もしくは作る為に砂の惑星を歩き回っていた訳ではなく、VOCALOIDとボカロPが一緒に暮らしていける理想郷を創り上げる為に開拓しているのです。それなのに最強異星人がやって来て「不老不死の力をあげます」なんて、そんなの求めたこっちゃない。そんな人生楽しくないんです。

なのでこれからのボカロ界に、私は「NEUTRINOを音声合成技術とは別のものとして扱う事」を期待します。逆に言うと、AI音声合成界に、ボカロ界に踏み込まない不可侵条約を立てさせたいくらいです。

ある意味というか、きりたんの時点で既にやらかしているとも言えますが、具体的には「NEUTRINO AI初音ミク」なんてものを開発しないことです。それは元々生身の初音ミクをサイボーグに改造する様なものです。そうなった初音ミクは、その初音ミクとしての歌声にだけ興味を向けられ、VOCALOIDとしての初音ミクは死んだも同然、その時=ボカロだった歌姫が死に絶えた事でボカロ文化とVOCALOIDの概念も消え失せ、完全にNEUTRINOもとい「AI歌姫」の世界になるでしょう(VOICEROIDは、そもそもVOCALOIDが歌う為に作られたものだったのに対し、今度は喋るということで話題を集めたのですが、そもそも喋る事自体エンターテイメントではなく、人間と聴き分けが付かなくなっても問題ないコンテンツだと感じています)。

こうならない為にも、私達の、VOCALOIDと別の類似技術との明確な区文化意識が重要です。
自分達の手でボカロを破壊しないように、上手に付き合って行こうと日々感じています。


手始めに、アボカドを食べるぞ。