それから、テントに戻って、機材を確認する。

周りを見渡せば、浅黒い肌に大きな黒い瞳の母子が、やけに目につく。

子供を護るために、住み慣れた土地を離れ、キャンプにたどり着いた。

戻るあてのない住処を離れ、自分こそが母屋だと、心に刻んだ母親の瞳の奥に

強い光を感じる。

その光をとらえることができるだろうか?

迷う心に返事を捜しているより先に私はシャッターをおしていた。

ーマジ、カメラマン根性というか、習性だね、こうなったらー

心より先に手はカメラをかまえ、目は構図をきめ、指はシャッターをおしてしまう。

慎吾の言う、人生を撮ってしまうというのは、こういうことかもしれない。

相手の人生をカメラにおさめるということばかりでなく、

自分自身がカメラと一体になってしまう。

すなわち、カメラの中に自分の人生がとりこまれている。

こういうことかもしれない。

ーふぅぅー

口をとがらせた先から、小さなため息がもれる。

ーおそらく、私の人生はカメラなしでは、なりたたないんだろうー

それもまた、慎吾の言う通りなのだろう。

でも・・・。

それを、逆に慎吾にあてはめてみれば、慎吾にとっては、カメラなしでもなりたつ人生ってことになるのだろうか?

慎吾の言う「お前のせい」はそういうことだろうか?

いわば、カメラと一体化した私。

それに比べると、どこかで、慎吾は計算づく、あるいは、天才的な閃きで、写真を撮っている。

慎吾にとって、カメラが、表現のひとつ、道具でしかなく、カメラと一体化した私(で、あるならば)を見て、カメラにとってもらってるという借り物意識にきがつかされてしまったということだろうか?

それは、間違いなく、カメラが自分の外側、道具にすぎなくなってるということだろう。

私は、おそらく、カメラを自分の一部にしている。手足をとりはなせないのと同じように・・。

それが、慎吾の迷いのはじまりだったのかもしれない。

そして、計算づく、天才的閃きで、技術的に「チサトが撮るだろう写真」を物にすることはできたのだろうけど、慎吾の目標はそこじゃない。

カメラと一体化した慎吾を造る。

それが、「チサトには撮れない写真」ということになるんだろう。

確かにそうだろう。

慎吾がカメラと一体化したのなら、それは、慎吾、それ以外の何者でもない。

ーだけど・・・ー

じゃあ、私が撮ったものは、チサトそれ以外のものでないのだとしたら、慎吾が「チサトが撮るだろう写真」を撮ったなら、私の写真はチサトそれ以外のものでないわけでなくなる。

矛盾につきあたって、私はもう一度考え直す。

ー超える。そう言ったあとで、手にいれたいものがあるといったけ・・・-

誰にもゆずれない、誰にも超えられないものは、たったひとつ。

ーカメラ目線・まなざしー

そう。思いいれって、奴だ。

誰にわからなくても良い。自分だけが、わかれば良い。とらずにおけなくて、思いいれをこめられるもの・・。

ふと、編集長の言葉がよみがえってきていた。

ー慎吾は愛を知らないー

そんな意味合いだったろうか。

それは、私にいわせれば、被写体への思いいれだ。

思いいれがあればこそ、被写体への愛が映しこまれる。

ーつまり・・・ー

慎吾は天才すぎて、被写体への思いいれ薄い状況でも写真を物にしてこれた。

被写体への愛情・・・。

難しい命題かもしれない。

それは、人(物)への愛情・まなざしという「自分」の感受性だから。

今、例えば、さっきの写真の母子にたいしてもそうだろう。

住み慣れた土地をはなれ、この先の不安より、子供を護ろうという母親だ。という風に感受する自分がいるわけだ。

ーこの感受性は人それぞれだし・・・・・ー

私はいやなことにつきあたってしまった。

慎吾は自分の感受性がうすっぺらだと思ったのではないかということ。

相手の人生を感じる自分という自分の人生、すなわち感受性。

今まで育ってきた環境や経験、色んな物事から感受性が広がっていくけれど

たとえば、先の母子に対して感じるような思いを慎吾は感じ取れないのかもしれない。

ーそれを超えようとしているわけ?ー

つまり?

私の感受性、私の人間性を超えた慎吾になろうとしていて、それを、カメラにおさめたいってこと?

わきでたまま、思いをたぐってみたものの、私は首をふることになる。

ー私ごときを超えようって、やっぱり、ハードル低すぎる・・-

それとも、私って、本当はすごいカメラマンってことなのか?

ありえないとも、どうでもいいこととも、思え、一人笑いを口に含めると私のカメラを覗き込んでる小さな女の子にきがついた。

カメラをかまえると、にこりと笑う。瞳の奥に光が入り込み、純粋で綺麗だ。

母親の愛に充たされた子供はこんなにも澄んだ瞳をしているものかと思った。


もちろん、これも、シャッターをおしていた。


日本と違って、湿度が低く、木陰や建物の中にはいってしまえば、

暑さをかんじないし、少々、身体を動かしても汗が落ちるなんて事が無い。

暑いのは、日差しでしかないわけで、あたしはテントの中で横になって、眠っても

充分睡眠がとれた。

取材旅行は元々、嫌いじゃないし、どこでも、寝れるという図太さがなけりゃ、カメラマンなんて、職業はやっていけやしない。

そんな、あたしだったから、目がさめたのも、随分、陽が登っていた頃だった。

食事を作る約束があったと、あわてて、口をゆすぎ、調理場所にかけつけてみれば、

慎吾も約束の一員だったのか、大きな鍋と格闘しているところにでくわした。

「よお。相変わらず、だな」

そうそう、あたしは、どちらかというと、寝覚めが悪い。

半分、ねぼけた顔がまだ、残っているに違いない。

「よく、寝れたのか」

妙に優しい言葉は、あたしの神経をなで上げる。

そんなに心配されるほど、やわな女じゃないからこそ、こんなとこにまで、派遣されるわけじゃないか。

「大丈夫よ。あんたの靴下が無いだけで、充分、眠れたわよ」

そうそう。あの靴下のことをあたしは、まだ、根に持っている。

「あ?ああ・・」

思い当たったんだろう。でも、しかめっつらが、ひどく、ゆがんで見えた。

「なによ?」

そんな顔するわけがわからない。

「いや・・・。俺と一緒にくらせ・・」

いいかけた言葉を飲み込んだ慎吾だったけど、あたしの耳にはちゃんと届いてた。

「はあ?な~~んで、あんたと一緒にくらさなきゃいけないわけよ。大体、靴下一つで、眠れなくなる程、あんたは、臭い!!そこから・・」

慎吾の顔がひどく、翳って見えた。

「俺さ・・取材から、かえってさ・・一番最初にチサトんとこにいったからさ・・」

誰よりも何よりも、あたしの傍に早く行きたかった。

チサトをかんじとりたくて・・。

その意味合いがあたしには、わからなくてその言葉もあたしのしゃくに障った。

「そうそう。そうやって、あんたはあたしを女性扱いしないわけよ。礼儀知らずっていうんじゃなくてね。そこらへんが、逆にあたしも、あんたを異性だなんておもわないですんでるところだから、まあ、かまわないっていえば、かまわないんだけどさ。でも、わざわざ、馬鹿にした言い方をしてほしくもないわけよ」

「いつ、俺がチサトを馬鹿にしたわけさ。俺はそんなことしてない」

「はあ?あたしにそれをいわせるわけ?

いいわよ。

なんだっけ、胸が小さくて、男にしかみえなくて?え?充分、靴下で、あんたがあたしを女扱いしていないことはよくわかってるっていうのに、まだ、いわなきゃいけない?」

「チサト?」

慎吾がー俺は面食らってますーって、顔であたしを見てた。

「なによ?」

「いや・・・。チサトがそういうふうに思ってたなんて・・俺・・判ってなかったなって・・」

「別に神妙な声ださなくてもいいわよ。あたしもあんたのこと男だなんておもってるわけじゃないから、お互い様なんだし。でも、まあ・・・・ああ、ちょっと、まぜなきゃ、こげちゃうよ・・」

「あ?うん・・」

大きなへらで鍋のなかをかきまぜて、慎吾は素直に謝った。

「ご免。無神経だったよ。だけど、俺はチサトのこと、女じゃないなんておもってないし、いや、それどころか、俺にとっては、唯一、あの、なんていうか、ほら、・・女なんだよな」

「はい。はい。とってつけてでも、言ってくれる努力はかいます」

「そうじゃなくてさ、チサト・・俺さ・・」

慎吾の手元がとまるのを注意しようとするより先だった。

看護士やスタッフがあわただしい気配とともにキャンプの入り口にたむろしはじめていた。

「なに?」

慎吾の顔色もいくぶんか、緊張している。

「多分・・・搬送されてくるんだ」

「え?なにが?」

この場所で、看護士がまちうけるものがなにかなんて、馬鹿なことをたずねたものだけど、

それくらい、キャンプの中は平和な空気にみちていたし、慎吾という存在がまた、平和な気分を増長させていたとも思う。

「地雷をふんだんだと思う・・」

「あ・・」

手術ってことになるのか。

あたしは、看護士がぬけた場所にはいり、つくりかけの食事をしあげると、

みんなに配りはじめた。

古ぼけた建物に怪我人が何人か運び込まれるのが、テントの間からちらちら見える。

そのときに、慎吾がぼつりとつぶやいた。

「多い・・いつも、こんなには、搬送されてこない」

怪我人の多さが、テントの中にも、妙な緊迫感をつくりだし、不安に静まり返っていた。

その静けさが、テントの中の奇妙な声をうかびあがらせていた。

「え?」

奇妙な声はうめき声だったが、その声の主にいきあたったあたしのほうが、うめいた。

あたしの目の中に大きなおなかの女の人がいる。

「お産?」

え?

お産は病気じゃないとは、思うけど・・・。

あたしは看護士を呼びに古ぼけた建物にかけこんでいった。


阿鼻叫喚というのは、こういうのをいうんだろう。

駆け込んだ建物の中は、搬送された怪我人の血の臭いがふんぷんとしていて、

手術の用意とうめき声と・・・。

地雷をふんだとおぼしき怪我人の惨状も、その人数に対応できる医師がたりていないことで、いっそう、悲惨にみえた。

怪我の程度から、手術の順番をきめるのか、看護士が怪我部位を確認しながら、なにか、語りかけている。

意識が混濁している怪我人を最初に手術室に運び込むようだった。

「あの・・」

最初にであった看護士をみつけると、私はちかよっていった。

「なに?」

こんな時にわざわざ、といかけるんだから、なにかあるとはわかっていながら、語尾がきつい。

「あの、テントの中の女性が陣痛がはじまっているみたいなんですけど」

看護士はあっという顔を一瞬みせたが、それは、判っていたことが、こんな時にかさなってしまったことに対して、究極の選択を固めたせいで、奇妙に冷静で、憮然としたものにかわっていた。

「お産は病気じゃない。治療はできない」

これだ。英語圏内の人間はすぐ結論だけを言う。

ましてや、私がぶつぶつ、考えていたことと同じ科白がかえってくるなんておもってもいなかった。

「じゃあ、どうすればいいんですか?」

「この状況で、そっちにまで手がまわるわけがないでしょ」

「で・・でも・・」

「だいいち、医者がいなきゃ、お産できないわけ?タクシーの中で出産になって、運転手が助産したり、自宅出産だってあったりするわけじゃない。それは、昔は当たり前だったわけよ。太古の昔に医者がいたわけ?」

「そ・・りゃ、そうだけど・・」

「まわりに経産婦もいるんだし、手がすいたら・・」

様子を見に行くという約束がはたせそうにない。と、彼女は言葉を止めた。

「あなた。携帯もっていたわよね?」

はあ?

「それで、助産のマニュアルを伝えるから・・」

え?え?えええええええええええええええ?

「それ、私があの?私が助産婦になれと?」

「いやなら、黙って見守っているしかない。それだけ」

次の作業にとりかかるために、彼女がその場をはなれかけていた。

「私。当然、医師の資格とか、助産婦の資格とか・・」

「タクシーの運転手もそう言ってたかしら?」

「あの?資格がないものが・・そんなことを」

「だったら、黙って待っていなさい」

しばしの沈黙の間に私がかんがえたことは、たったひとつだった。

タクシーの運ちゃんができたことを、私ができないか?

ましてや、サポートがあるというのに・・。

「判りました。出来る限りのことはします」

言うとやにわに彼女の携帯を渡された。

ナンバー交換をすると、私はテントに戻り、彼女は手術室の中に入っていた。


まじ?まじ?

できるかどうかも判らないのに、

それ以前にどうして良いかもわからないのに・・。

テントに戻ると女性の姿はなく、どうやら、他のみんなで、応急処置用のテントに運び入れたようである。

慌てふためいているのは私だけのようで、テントの中の女性達は医師たちの様子で、手術室を使えないことは元より、看護士の助産も無理だと判断していたようだった。

テントの外にでて、干されている看護服をみつけると、さいわい、乾いていて、私はとりあえずそれをはおることにした。

次は・・。

まず、手指の消毒だろう・・と、手を洗い、応急処置テントにはいって、消毒アルコールを探した。