昼食のあと、照明器具の写真をとりにいった。

そして、昼間の相談ごとにはいっさいふれないままの編集長からのGOサインで、家に帰ってきたけれど、編集長が、あえて、もう、なにもいわなかったぶんだけ、

あたしには、あの科白が、胸に大きくつっかえてしまっていた。

ー慎吾を男として、みていないー

ずばり、その通りだと思う。

慎吾を男として、みていたら、きっと、あの慎吾の科白をもっと、意味深なものにうけとめられていたのかもしれない。

むろん、あたしが、そのことに、鬱々した気分をあじわっているわけじゃない。

編集長のいうところの意味合いが、やけにおもたっくるしいせいだ。

あたしが、ちっとも、女らしくないのは、いいかえれば、

男を男として、意識できないからだろう。

編集長がいう意味はそういうことだ。

女らしくないから、もてないんじゃなくて、

男を男として、意識する「女」の部分が欠けているから、女らしくないといっていると、取っても良いと、思う。

そのなにか、欠如した、根本部分をずばりと指摘された気がする。

もちろん、「男」を意識するという意味合いは、妙な色ぼけ女を指すんじゃない。

男本来がもつ、男だけがもつ、資質を魅力と捉えないあたしがいるということだ。

何故だろう?

そこにいきあたるから、妙に気分がおちる。


これといった、コンプレックスがあるわけじゃないけれど、

どこかで、中性的というか、男や、女という性別にこだわらないカメラ目線をもちたかった。


と、いうことに思い当たる。


それも、何故だろう?

「性別」を超えたものを目指すという裏側は、性別により、「超えられないもの」があることを、厭うせいだろう。

あたしは、自分が女であることを嫌がってるのかもしれない・・・。

ーだからかな?・・・-

だから、慎吾のことを男として見たくない。

それは、いいかえれば、自分が「女」であることをつきつけられてしまうから・・?


あたしは、そこを、避けていた・・のかな?


それを、ずばりと、突かれた気がして、気分があがらない?


慎吾を、男として・・見つめる・・?・・・

ふと、沸いてきた答えにあたしは、愕然とした。


きっと、自分が「女」として、生きていくくらいの気持ちになるのなら、

そんな、気持ちにさせた相手を、失くしてしまったら、きっと、生きていられなくなる。


だから?

それが、怖くて、あたしは、「女」になんかならない。

そう考えたんだろうか?


だから、男を男として、意識しないことで、

かろうじて、自分を保っていたのかな?


だと、したら、あたし・・・・。


滅茶苦茶・・弱い人間ってことに・・なる・・か。


そうなのかもしれない。

あたしは、男に依存した生き方でなく、「自分」でありたいと思ってるんだろうな。

「女」だから、チサトが好きなのでなくて、

チサトの生き様ごと、好きになって・・?

え?

だとしたら・・。

慎吾の言う「価値」というのは、そのこと?

編集長の言うとおり、慎吾の言うとおり、

ちっとも、女らしくないあたしなわけなんだから、

それでも、それが、プロポーズであるのなら、

チサトという存在そのもの、生き様そのものを、価値だと認めてるってこと?


わからなくなってきたことを、いつまでも、考えたって仮想論理でしかない。


そう考え付くと、あたしは、奴の置いていったバルモアをグラスにそそぎこんで、

ちびちびと、一人きりの酒宴をひろげることにした。


慎吾のことは、どうでもいい・・や。

あたしが、どうするか・・・。

あたしが、どう思うか・・。

そこが、軸。

軸に触れるのか、どうか。

そこだけをみておけばいいや・・。


この時点で、あたしは、はっきりと、慎吾を「男」としてみていないと、結論づけるしかなかった。


奴が、難民キャンプに旅発ってから、5日がすぎていた。

2週間で、思う写真が撮れるものだろうか?

って、思う。

たった、10日ほどの滞在で、難民キャンプのなにがわかるというのだろう?

ただの異邦人でしかない一個のカメラマンが、表面上の出来事をとらえるだけにすぎなくなるだろう。

だいたい、目的というか、ポリシーというか、テーマというか。

そんな目線をもたないってのは、棚からぼた餅がおちてきたら、そこで、ぼた餅を食いたい自分か確かめてみようなんていうのに、等しい。

その根性が気に食わない。

ふと・・・。あたしの思考がとまる。

仮想でしかないことを考えるのは嫌いだけど、あたしだったら、

どういう目線をもつだろうと思ったんだ。

それは、幼稚園の園長の言葉もあったと思う。

仕事を生活にしていこうとする中、なにかしらのポリシーをもっている。

ビストロのシェフだってそうだ。

とにかく、金を儲けりゃ良い、事をこなしていけば良いってだけじゃない。

そう、カメラに映しこむカメラマンの視線というポリシー。

慎吾は、それを見つけられなくなっている。

じゃあ、あたしは?

慎吾と同じ立場になった時、どういうポリシーを映しこむだろう?

そんな、命ぎりぎりの被写体と向かい合うことなど、考えようともしなかったあたしに、

答えは、でてくるわけがない。

やはり、仮想問題。

想定外の状況をどうするかなんて、考えたって答えなんかでるわけがない。

だいたい、とっさの時、いざとなった時、自分がどうするか、どう考えるなんか、誰にも、わかるわけがない。

こうしたい、ああしたいとおもっていたって、いざとなったら、ああもできない、こうもできない自分を知らされるだけになるかもしれないし、

逆に思わぬ自分を知らされるかもしれない。

グラスの底溜まりのバルモアをくいっと、あおると、あたしは、仮定答弁をつつきまわすのは、やめた。

だけど、次の日、仮定答弁でなく、現実問題として考えなきゃいけなくなる事態がはじまるなんて、これっぽっちも、予想だにしていなかった。


たまの休みも部屋の掃除と洗濯と模様替えで、おわってしまい、

夏向けにかえた、淡い緑のカーテンが、いかにも、涼しげではある。

奴の靴下をどうするか、捨てるか洗うか、随分迷ったあげく、勇気をふりしぼり、洗っておいたものを、どこに片つけるか、迷っている。

まさか、あたしの箪笥になぞ、しまうわけにはいかない。

結局、なんだかんだいって、奴の面倒をみてるってことになるけど、

奴の科白同様、どうすりゃいいか、考えつかない悩みがついてくるのが、一番、面倒だ。

夕食にパスタをゆであげながら、ふと、気がつく。

だいたい、奴の靴下ひとつを洗うのに、せいぜい、迷うような、あたしが、奴と一緒にくらせるわけがない。

そんな人間によもや、プロポーズだとしたって、答えは歴然としてる。

そうそう。そうなんだから・・・・。

と、一人、うなずいているのに、ふいに、部屋が広く感じられる。

奴がいたら、せまっくるしくて、くさくて、きちゃなくて、うるさくて、あたしのこと、おちょくってばかりで・・・・。

でも、奴がでていってしまうと、パスタをおいたテーブルのむこうに、奴の残像がうかぶ。

存在感が消え去るまで、1週間近くかかってしまうのは、奴の強烈な個性のせいと・・・。

一人暮らしが長すぎた・・かな?

そろそろ、潮時なのかな?

いつまでも、独身ってわけにはいかなくて・・。

見合い・・・でも、しようか?

奴とも、しっかり、線引きしなきゃいけない時期になってるんだ。

奴だって、ぼつぼつ、嫁さん・・みつけなきゃいけない・・って、時期なんだろう。

だから、編集長が、男と女という視覚で物をいいだすんだ。

つまり、妙に親しい間柄をいつまでも続けていちゃいけない、って、ことだよな。

けじめ、つけて・・。

それぞれの人生を歩んでいかなきゃいけないわけで・・。

この先・・奴は・・・・。

どこの誰かもわからない男が影絵で脳裏にうかぶ。

誰かとともに暮らしはじめたあたしを気遣い・・・。

そして、奴は来なくなる・・。


ふと、沸いた想像なのに、なにか、急にひどく、寂しくなってしまったのは、

いつまでも、優しい関係のままの二人じゃいけないんだってことを認めたせいかもしれない。

いやがおうでも、奴は「男」であり

あたしは「女」なんだ。

それを、どこかで、度外視していた。

それは、きっと、決別しかないこの先を少しでも見えないところにおいやって、

姉さん気分をあじわっていたかっったせいだ。

そのすれすれの均衡を壊そうとしてるのが、奴なのかもしれない。

決別という形でなく、度外視を外したうえで、この先も、曖昧で穏やかな優しい関係が続くように・・・。

奴の中で、それが、価値だということなのだろうか?



疑問符だけになってしまったあたしは、やっぱり、奴は靴下と同様だと、結論することにした。