わずかでも目指す方向へ 鮮やかな記憶が突き動かす | ☆C'est La Vie☆

わずかでも目指す方向へ 鮮やかな記憶が突き動かす


My beloved season calls me


because I always feel you in me



大きな意味でのlove song


RSGでの復活からしばらくはkey wordとして「未来」ってモノが見え隠れしていた気がしたんだけど、

Link及びAwakeあたりから、また新しいというわけはないのだけれど「大きな愛、無償の愛」といった

大きな意味でのlove song的な流れが最近来ている。


これがkey wordとして、新しいわけではないと言ったのは、666におけるsweet vanillaを始めとした

作品でもこのような傾向は以前から見受けられていたからである。誰かに、みせてあげたい、何々してあげたい、という奉仕というのか、なんというえばうまくいえるのかわからないけれど。ひたすら直向に、誰かのために・・・、という、誰かを幸せにすることによって、結果として自分も幸せになれる?みたいな気持ちなのか、定かではないが。


もちろん復活直後のrsg,living in your eyes,invitation to freedom,killing me,new worldという一連の流れの中でもその様な片鱗は見受けられるが、どちらかというと上に述べたような、「未来」というkey wordの方が表に立ってるように感じた。


こんな風に振り返ってみると、逆に浮かび上がるのは叙情詩であったりする、この曲を聴いて虹らしい感じを受け取ったのはおそらく僕だけではないだろう。この曲を聴いていると「未来」よりも「過去」に重きをおいているようなニュアンスを感じる。



the love to you is alive in me everyday


For love you are aside of me everyday


この英語詞に叙情詩のすべてが集約されていると感じた、といことは以前の記事でも描いた記憶がある。


未来をみつめながらも、時に過去に縋る。そしてまた、明日への階段を歩み始める。後ろを振り返ることは

悪い事ではない。時に振り返ることは、人が前に進んでいく上で不可欠なことなんだと想う。

そんな人間らしさを醸し出させる近頃は、昔も曲によってはそぉいうモノもあったが、

以前よりも「気持ちの入り方」に重きをおいていて、テクニックよりも真っ向から勝負するというような

より感情が表に出でいるように感じる。



時々泣きそうになります。



昔が人の形をしたアンドロイドであるとすれば

今は、アンドロイドの形をした人間のような感じであろうか。


昔は、綺麗なものは綺麗なままで、一点の曇りもない方が美しいと想っていた。

今も、こぉゆう気持ちは完全には消えないけれど、粗があってこそ美しさが引き立つというか、

それがいいスパイスになる、いい味を醸し出すのかもしれないと想うようになった。



How many cuts should I repeat?

How many fates should I accept?

Does it have an end?



You taught me how to love.

I feel . I can do anything.



My beloved season calls me

because I always feel you in me




もう発売していたんだね、最近情報に疎くてしばしばTVでお目にかかることができない時があるのですが、、、それはそれとして、今夜のCDTVとMFはちゃんとチェックしたいと思います・・・。