As if in a cradle
某観測所の所長さんの文章をひさしぶりに読んで、自分も「逃げている」なぁと想いました。
9月以降めっきり遠ざかっていたラルクアンシエルにしてもそう。
この約三ヶ月他のことに目移りというかあえて別のモノを探そうってしてる気がしました。
「現実と向き合うこと」
ある人は音楽に救いを求める事など逃避に過ぎないというかもしれません。
でもそういうモノに出会ったことがない人は損してるなぁ・・・なんて想ったり。
ただ影響されてるだけやろ?といわれればそのとおりかも知れません。
そんなことはどうでもいいのです、人それぞれなんだから
ホットケヨ!!!
音楽でこの世界が平和になるんなら、とっくにジョンレノンが戦争を撲滅させているはずと言ったのはhyさんだっけ?しかし、同じ瞬間同じ場所で同じ感動を分かち合うこと、(人それぞれ思うところは違うかもしれないけれど、)その中で生じる気持ちっていうものは真実です。平和を祈る気持ちは誰しもの心の中にあるのです。
話題がそれていますが、人間の気持ちなんて寄せては返す波のようなモノです。
一度寄せて帰ってきた波はきっと昔と同じものではないけれど、かえってきた時には昔には発見できなかった部分を見ることができれば素敵ですね。
もう出会えないそのとききりの波、だからこそ輝くのですね。
久しぶりに聴いてみました。
roentgen レントゲン れんとげん!!!
なんというか、やっぱり癒されます、揺り籠の中、ずっとそばで寄り添って奏でられるような、子守唄。
あるいわ鎮魂歌にも似た静寂の中にある、感情の波、起伏。
結局またここにもどってくるのかなぁ、なんて想ったりします。
いつでも戻ってくる場所がある、できるだけもどらないようすべきでありましょうが、
最終手段として戻ってくる場所がるってことはとても幸せなことだと想います。
「買うなら当たらない宝くじをかうよりもあたる可能性のある宝くじを買う」
っていう言葉を読んで、その通りだなぁって。
要は気持ちの持ちようで世界は変わってゆくという。
当然でわかりきってることなのだけれど、忘れがちです。
わかっててもなかなかできないことってありますよね。
小さなことからでもいいのでポジティブに考えて生きたいな。