今日は、朝8:30までに会場の高校まで送って欲しいとせがまれて、8時に車で家を出る。


二男の高校はバレー部に5人しか部員がいないから、こういう試合のときは他の学校との合同チームになるらしい。


中学の時が野球部で、高校から兄のマネをしたのかバレーに鞍替え・・・

楽しんでやってるから、それが一番だけどね(=⌒▽⌒=)




ホワイトディに素敵なペンダントを・・・

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ペンダント



淡路島の小学生時代の想い出・・・


郡家の港には一人でよく行ったものだ。


砂浜から沖にかけて、長くはないけれど、岩を積み上げた桟橋があった。

今では、コンクリートのものはよく見かけるけど、当時はきれいな岩を組み合わせた、隙間だらけのものだった。


その岩の上を、喩えは悪いけれど、「海のゴキブリ」ともいわれる「フナムシ」が何匹も這っていた。

ひげが長くて足が何本もあるやつ、でも、ゴキブリみたいにテカテカ光っていないし、手でつかんでも噛みついたりしない。

いたって、かわいい虫・・・


小さい頃からゴキブリは大嫌いで、飛んできたりすると逃げ回っていたものだが、この虫は抵抗なく捕まえて遊んでいたなぁ。


その岩の桟橋から海の中を見ると、エンゼルフィシュみたいな熱帯魚が気持ち良さそうに泳いでるのが印象に残っている。


まだあの岩の桟橋あるかな?





淡路の親戚の家の近くには、古本屋があった。
古本を貸し出す店だ。確か、1冊10円とか20円だったかな?
(もう40年前の話だから・・・タコ焼きが10個で10円の店が大阪の家の近所にあったから)
まあ、淡路に限らず、大阪でも当時は古本屋って、近所にあったよなぁ。

そこで、マンガを借りてよく読んだものだ。
淡路にいる時に読んだもので、よく覚えてるのが、怖いマンガ・・・

髪の毛が蛇の女で、目と目が合うと、見られた人間が石になる
という内容だ。
子どもながらに、怖がりながら読んだのを覚えてる。

そのマンガを読んだ夜は、自分ひとりで・・・
こういう怖い体験はよく覚えてる。
(他の人はどこかへ出かけていたのかな)

ところで、
40年前の親戚のあたりは、1年中家の鍵はかけないところだった。
(たぶん今はそうではないと思うけど・・・)
それだけ、平和な町だったんだなと思う。
淡路島の親戚の家は、おじいさんとおばあさんが住んでいた。
おじいさんといっても、漁師をしており一人で船に乗って漁に出るくらいだから、
当時は壮年の年代だったと思う。

小学生のある夏の日、おじいさんの船に乗せてもらい、タコ捕りに行った。
そのとき、タコが捕れたかどうかはよく覚えていない。
でも、そのとき、きれいな虹色のベラという魚が捕れたことは、記憶にはっきりと残っている。

その魚をバケツに入れて、裏井戸のそばでじっと観察した。
「なんてきれいな魚なんだろう。」
きっとこのときが、身近に海の生きた魚を目にした最初の体験ではなかったかな。
そのときの、魚や潮の匂いも印象に残っている。

私にとっては、やわらかな日々の想い出が蘇る、すてきな潮の匂い・・・
40年前、淡路島に渡るには船しかなかった。今は、明石から橋が架かっているが・・・。

私は当時、大阪の泉大津に住んでいたから、泉南のほうの深日港から洲本まで、祖母と一緒に何度も渡ったものだ。

幼児期に船に乗って不安そうな顔をしている自分が、岸壁のほうを覗き込んでいる写真が何枚か家にあったのを想い出す。
たぶん、父が撮ってくれたのだろう。

考えてみれば、父母は当時30歳くらい。共働きだったから、幼い自分を祖母に預けたほうが都合が良かったかもしれない。
しかしながら、幼少期のころの記憶ははっきりとは残っていないから、このときは両親も一緒に淡路に渡ったのかもしれない。

不思議なことに、洲本からタクシーに乗った記憶ははっきりと残っており、ときどき思い出す。
祖母が、タクシーの運ちゃんに「おつりはチップや」と言ったことを覚えている。
ハイカラな祖母だったのだと思う。
夏の海は私にとって、とても懐かしく、いろいろな想い出が駆け巡る、心のオアシスのようなものだ。

幼いころから小学6年生までの夏は、毎年、祖母に連れられて親戚のいる淡路島に行った。
夏休みのほとんどを、西海岸の郡家という小さな港町で過ごした。
お世話になった親戚の家からは、1分も歩くことなく海に出られるような潮の香りが漂うところであった。

想い起せば、もうあれから40年の歳月が過ぎ去った。
消えゆく記憶をたどりながら、でも、今でも鮮明に覚えているあのときの各場面。

一人感傷に浸るわけではないが、大切な想い出は消えないように、いつまでも心の片隅に残しておきたい。
そんな思いでこのブログを書き始める。
別に人に見せるのが目的ではないけれど、わずかな人にでも見てもらえて、少しでも共感してもらえるなら、書く励みにもなる。