社会福祉と社会の闇について

社会福祉と社会の闇について

このブログは、社会福祉における悪の部分を徹底追及していくサイトです。特に、障害者に対する差別や偏見、間違った言動を徹底して追及したいと思っております。

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「仕事が出来ない」と言われていたのに、「なぜ、出版できたか」と疑問に思った人もいらっしゃるでしょう。

 

私なりの答えを書きます。ただ、私は医者や心理学者ではないので、あくまでも個人的な考えになります。

 

まず、精神の状態によって、できる仕事とできない仕事があるということがあります。

 

芸能人の仕事といえば、映画やドラマの撮影などの役作りをする仕事が多いでしょうし、撮影の仕事となれば、長時間の拘束が必要でしょう。確かに、長時間の仕事であれば、無理かもしれません。

 

精神の状態によっては、長時間の仕事が出来ない人とか、午前中の仕事が出来なく、午後からの2,3時間だけなど、仕事をする時間に配慮することが必要です。ですので、精神の状態が良い時に、短時間でインタビューすれば、十分に本を書くことができると思います。

 

インタビューをして、それを編集して本にするわけですので、編集者がとても優秀だったら、十分、本にすることができます。

 

例えば、私がリバティという雑誌に載ったときは、2時間ぐらいのインタビューで1ページが出来上がりました。ただ、2時間のインタビューだったのですが、半分以上が雑談をしていましたし、私の場合には、話すのにも、人の倍以上の時間がかかるので、おそらく、10から15分のインタビューで、1ページの記事が出来上がったわけです。

 

また、「The Fact」によりますと、2月11日から14日まで、インタビューをしたとありますので、4日間で、1日に体調がよいときに、インタビューをするのであれば、十分に出版が可能だと思います。もちろん、1日の中でも、30分から1時間程度のインタビューを行って、休憩入れるなどをして、1日の中でも、何回かに行ったと思うので、たとえ、精神に障害があっても、仕事が出来るわけです。

 

障害者の就労問題については、合理的な配慮が求められるわけです。ですので、職場に医師や精神福祉士やカウンセラーなどを配置したり、仕事をする時間を短縮したりする配慮が必要だと言えます。

 

また、あまり精神の状態が悪いときには、休ませる配慮が必要です。インタビュー程度の仕事であれば、病院で行うこともできますし、編集者が自宅に来て、インタビューをすることも十分可能です。ましては、医師の立ち合いのもとにインタビューを行ったならば、しっかりとした配慮がなされていたと思います。

 

本来ならば、職場での人間関係のトラブルや精神的なストレスのために、精神的に不安定になっている社員に対して、病院に行くように勧めたり、職場にカウンセラーを配置し、心のケアを行うことも、経営者の大切な仕事だと思います。

 

ですので、経営者にとって、社員の心のケアを十分に行っていく事が大切ではないでしょうか。

 

 

朝、目が覚めると、「何か、様子がおかしい、手や足が動かない、一見、金縛りになったような感覚。」という状態なのが、うつの状態であることを複数の人から聞いています。

 

私は、重症のうつになったことがないので、実際にどのような感覚か、わかりません。ただ、「したいことができない。」という感覚はわかります。私は、手や足が自由には動かすことができないという障害があります。例えば、喉が渇いていて、飲み物を飲みたいけど、ペットボトルのふたが硬くて硬くて、なかなか開けることができないという場面が良く出てきます。10分か、15分かかって、やっと、ふたを開けて飲めるという状況です。

 

あるいは、トイレに行きたくても、我慢できなくて、漏らしてしまうこともあります。私も、走ってトイレに行くことができなくて、トイレに行っても、なかなかズボンとパンツが下せずに、ついお漏らしをしたという経験も何度もあります。また、頸髄損傷の人は、体温の調節や便のコントロールができなくて、ついつい、漏らしてしまうこともあります。

 

国の研究でも、重度障害者のお漏らしに関する研究も行っています。その研究では、排便してしまうことは、仕方がないので、「どのようにすれば、お漏らししたことを周囲に気づかれずに、1日を過ごすことかできるのか」ということを議論して、便のにおいを封じ込めるおむつの開発をしている人もあります。

 

障害者の方には、パラリンピックで活躍していたり、24時間テレビなどで活躍していたり、会社で働いていたり、障害がありながらも、元気で活躍している人もいます。その一方で、多くの障害者は、福祉施設や病院や在宅などで、それぞれの障害と戦いながら、生活しているのです。

 

おそらく、世間では、障害者と、テレビで活躍している障害者のイメージでしょう。そして、障害者雇用をしているところであっても、軽度の障害者が、一般的な障害者などであると思い込んでいます。ただ、もっとも、重度な障害者は、福祉施設や自宅などで、24時間、付きっ切りで誰かに介護してもらっているのです。

 

交通事故などで障害になったり、ある日、突然、精神状態が悪化して、体が動かなくなることもあります。そのときに、「仕事は、仕事だから最後までしてください」と言われても、心の中の思いがあっても、体が動かすことができなかったら、どうすることができないのです。

 

連日のように、いろいろな人が、働くことができない人に対して「働くことが当然だ」と言っていますが、ここで、一回許してしまったら、それが前例となって、日本各地の障害者にも、障害の状態を考慮されずに、「お前は、もっと働ける」と言い続けられることになると思います。

 

そのような世界になりますと、残された対処方法は、自殺するか、どこかの国に亡命するか、あるいは、わざと犯罪を起こして、捕まるのか、ということしかなくなるわけです。

 

ですので、医師の診断書で、「働くことができない状況になっている」と書かれてあれば、たとえ、契約の期間内であっても、仕事を辞めることができるようにしていく必要があります。やはり、仕事から逃げられる方法を作っておくことが、大切ではないでしょうか。

 

もし、この逃げ道を塞いだならば、ますます、自殺者が増え、過労死で亡くなる人が、増えていくと思います。これは、日本の社会が、ますます、悪くなっていくと思います。

決して、超えてはいけない一線を越えてしまうのか、今、日本中が岐路に立たされていると思います。

 清水さんの出家に関する報道に対して、テレビのコメンテーターは、ドクターが、精神状態が悪いので、仕事ができる状態ではない」と言っているのにもかかわらず、「一旦、仕事の契約を結んだならば、最後まで責任をもってやり遂げなければならない」と言っている人もいます。もちろん、仕事に対しては、そのような姿勢で臨むことが大切です。

 

 ただ、仕事の契約を結ぶ場合には、前提の条件があると思います。それは、この仕事を遂行することができる体と精神状態であることということではないでしょうか。

 

 例えば、映画の撮影中に、不慮の事故で撮影ができなくなった場合にも、仕事で結んだ契約であるから、最後までやり遂げないといけないと、本人に言えるでしょうか。そして、本人に対して、契約違反であるならば、違約金を支払ってもらうことが言えるでしょうか。車いすに乗ってでも、撮影ができるのであれば、まだよいのですが、映画の役柄が、ランボーのような強いイメージであった場合には、映画の撮影が続けなくなると思います。場合によっては、代役を立てると思います。そのときは、映画の責任者や芸能事務所が、責任を持って、お金を支払うのではないでしょうか。

 

不慮の事故や不測の事態のために、保険をかけることは、映画制作側や事務所側の責任であると思います。

 

本当の犠牲者は、障害を負った人や健全な精神状態を維持できなくなった人です。その人に対して、仕事の契約を放棄したからと言って、すべての責任を押し付ける社会は、間違っていると思います。絶対に、おかしいです。

 

不測の事態の時のために、セーフティーネットがあったり、さまざまな社会保障があるのではないでしょうか。そういうときのために、芸能事務所や映画製作側が保険をかけておくことが当然のことでしょう。それが、芸能事務所や映画製作側のやるべき責任だと思います。

 

人間は、いつ事故になり、いつ病気になり、いつ障害になり、いつ死ぬのか、ということはわかりません。元気でピンピンしている人であっても、翌日に交通事故に遭って、車椅子生活になるのかもしれません。

 

そのことを踏まえたうえで、仕事の契約が成り立っているのではないでしょうか。

 

「一旦、仕事の契約を結んだならば、最後まで責任をもってやり遂げなければならない」と言っている人に言いたいことは、「もしあなたが車いすになっても、あるいは、植物状態になっても、最後まで責任をもって仕事をすることができますか。」と言いたいのです。おそらく、その状態になれば、仕事はできないでしょう。本当は、そこまで考えて発言してもらいたいです。