アパートでの生活は気が楽になりました。母や弟、友人達が気楽に遊びに来てくれるようになりました。やはり、同居の家庭には来にくいみたいです。長男のジャムパンのみ生活も少しずつ治り、食べてくれるようになり、今まで料理をして来なかった私は、下手で時間がかかる状態ながら、ご飯作りに励みました。

ある日の夕飯時、私がノロノロと夕食を作っていた時の事です。1品1品出来るとテーブルに運び次を作るという、最初に作った物は冷めてく作り方しか出来ない私がハンバーグを作り、テーブルに運び味噌汁を作ってテーブルに運んだ時の事です。作ったハンバーグが無いのです。一つも。座っていた旦那に聞きました。ハンバーグは?と。長男と食べたと返ってきました。私は怒りました。何故私の分まで食べたの!と。すると、あ……とだけ返事が。旦那はひとりっ子。今まで作られた食べ物は好きなだけ1人で食べていたので、人の分を残す、人と分けるということをした事が無く、あればあっただけ食べてしまうのです。38歳でそんな事が出来ないのかと呆然としました。旦那に言われたのは、お皿を個別に分けて運んで欲しいということでした。これ、今も続いてます。分けないと食べちゃう。旦那が普通では無い事に気付くべきでした。ひとりっ子を理由には出来ない事だと。

食事以外では、長男が寝ないという困った事態に陥りました。夜中とても元気なのです。私達は眠れません。結果、毎晩の様に旦那が長男を車に乗せてドライブしながら寝かしつける事をしてました。夜中の3時、4時でした。ご近所さんは、長男に病気があると思われていました。ある意味病気あったのですが、その頃はまだ分かっていませんでした。

もう1つ問題が起きました。私は結婚して席が抜けられていて正直ホッとしていたのですが、母に、ある日「話を聞くだけだから」という言葉に騙されたのです。実家は、創価学会です。私は宗教2世(祖父母の代からだから3世なのか?)なのです。母が5人の信者さんを連れて来て、仏壇を持ちなさい。いい仏壇がもらえたから、と、勝手に設置して帰って行きました。私はまた、創価学会員になってしまいました。帰宅した旦那が驚いていました。旦那は学会嫌いなのです。でも、拒絶も出来ず、仕方なくそのままになりました。長男を早く入信させろと言われましたが、それだけは拒絶しました。私のような思いを子供にはさせたくなかったからです。遠足で他宗教の場所に行った時は、手を合わせる事もお土産買う事も許されません。鎌倉に行った時、絵葉書なら大丈夫だろうと買ってきて、めっちゃ叱られゴミ箱に捨てられたのを覚えています。子供にはそんな思いはさせたくありませんでした。旦那には、家の仏壇を引き取る時まで入ってて良いと言われました。

核家族になるのも善し悪しです。


今日は、この辺で。下手なブログを読んで下さりありがとうございました。続きは、またゆっくりのんびり書いて行くつもりです。

新米ママ、パパになった私達。昼間は仕事でいない旦那が羨ましく思う出来事が…赤ちゃんは、泣きます。泣くのが仕事です。分かっててもオロオロします。それなのに、長男が泣く度に、1階にいるお姑さんが2階に駆け上がってきて、可哀想だと一緒に泣くのです。泣かれるから慌ててオムツを変え、ミルクを作り、飲ませます。私は育児ノイローゼになりました。旦那が気分転換にと、夜にドライブに連れて行こうと、お姑さんに長男を抱かせて久々の外出をしました。退院してから外出したのは健診以来。長男から離れたのは初めてでした。少し気が紛れる感じがしました。帰宅するまでは。帰宅した私達の目に飛び込んで来たのは、首の座ってない長男が首をダランとした状態で抱かれて、抱いてるお姑さんは座ったまま寝ている光景でした。私は、二度とお姑さんには頼めないと悟りました。お姑さんは、赤ちゃんをお風呂に入れた事がない、私は手が小さくて赤ちゃんの耳を塞げないということで、毎日実家の母がお風呂を入れに来てくれていました。母は、手際良く余裕でお風呂に入れてくれます。心強かったです。長男は、お風呂が好きみたいで口を尖らせて、( ˙◊˙ )ホォーという顔をします。それが可愛くて何枚も写真を撮りました。長男の受け取りは私の役目。受け取って、お臍の処理等して服を着せるまで、新米ママながら、頑張ってしてました。風呂上がりの白湯や麦茶を飲ませると気持ち良さそうにしてましたね。途中から旦那がお風呂に入る時に一緒に入る様になるまで、母にお願いしてました。有難かったです。感謝ですね。お姑さんは赤ちゃん抱くのが怖いと何ヶ月も抱けませんでした。お姑さんは、旦那を産んで育てるのにお姑さんの姉に頼んで全部やって貰ってたらしいのです。長男妊娠中、出産後から叔母さんは泊まり込みで来てました。長男は、皆に可愛がられて育っていきました。

長男が8カ月の時に、植物状態のお舅さんが息を引き取りました。すると、それまで病院とお好み焼き屋に入り浸っていたSさんが葬儀の日から家に転がり込んで来ました。Sさんは、「兄貴に何かあったら後は頼んだと言われた」と言って住みつきました。まるで主の様に。Sさんは、私の高校時代の同級生のお父さん。お姑さんもSさんにベッタリでして。不倫です。私は面白くありません。何かと育児に口を出すSさんに反抗して、ある時喧嘩になりました。私はそれから口をききません。顔も見ません。そんな日が何日も続いたある日。旦那から、お姑さんがSさんと仲直りするか、家を出て行くか決めて欲しいと言ってると言ってきたのです。お姑さんは、息子家族よりSさんを選びました。私は腹が立ち、即決で出て行く!と言いました。同居生活は解消です。アパートを借りて引越しをしました。お姑さんは泣いていましたが、そうさせたのはお姑さんです。私は、少し解放された気分で引越しました。長男が1歳2ヶ月の時でした。

引越して、困った事が起きました。長男が、三角に切った食パンにイチゴジャムを塗った物以外何も食べてくれなくなったのです。色々試しましたが、ダメでした。引越しが原因だろうとは思いましたが、何故食べてくれないのか分からず、待つしかありませんでした。今考えれば、この時点でおかしかったのかもしれません。ちゃんと食べてくれるようになるまで2ヶ月程かかりました。


今夜は遅くなったので、この辺で。下手な文章を読んで下さりありがとうございました。また、のんびり続きを書いていこうと思います。



 お!?私、やる気満々、絶好調なの?まあ、少なくとも、頭の中はお花畑だわなぁ🤣良いのは良い事だ!良き良き👍