離人症症状から抜け出して6年半後の日記を見つけました。


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20歳まで、殻にこもっていたため

今、いろいろとリハビリ&トレーニング中だという自覚がある。

色んなことを、早回しで経験している気がする。

嬉しいことも、苦しいことも

人とおんなじだけ、体験したい。

友人関係の悩みは、ほぼなくなった。

初対面の人とか、対人関係的な悩みもほぼない

家族の悩みも、大分少なくなった。

次に、仕事と恋愛と結婚である。

仕事は去年から考え始めて今に至るし

恋愛を真剣に考えたのは、ついぞ最近かなぁ

春に少し目が覚めて、最近ようやく

恋愛とか結婚とか、真剣に考えてもいい段階、まで来たような感覚を

自分の中で得るまでになった。

はぁ、ながいのぉ

でも、きっと人よりだいぶ早送りやわ笑

まだまだ、やりたいことがある。

仕事も決めただけやから、もう少し練る作業をしたいし

人間関係も、基礎はできたらから、次にTPOみたいなものに挑戦したい。

恋愛ももう少し深めてみたいし

結婚も、自分のイメージを膨らませないといけない

大人になるということ

大人になるということ

色んな情報に振り回されながら

色んな情報に、振り回されないようにしながら

一歩一歩、私だけの道をあゆんでいく

後悔はしない、後悔はない

人より、とてもゆっくりだけど

人より、とても速いのである。

その幸せをかみしめながら、

今を生きる。

全力でやる。

実は数ヶ月前、子どもを産みました。

日々に追われ、眠たいさなかです。


この子も、何かを経験し感じている。

どうなっていくのだろう、

何に影響されるのだろう

そうやって観察を楽しんでいます。


20歳で離人症症状から離れて

28歳になった私は、もうどんな症状だったのか思い出せない状態になっています。

最初にあった鬱のような波もありません。

本当に、何もなくなってしまいました。


離人症だった頃の私と、今の私は人から見ると変わったのだろうか。

適応障害に陥り、薬を飲み始めた方が私に訪ねたことがあります。

「私、最近変わった?」

私はその人の変化を感じることはありませんでした。


離人症症状にいるとき、本人は大変なのに

周りから見るとその大変さは全くわからない、というのが離人症です。

私も友人の私に対する変化はありませんでした。

治ったとき、「最近、変わったね!」と言われるのを期待していたのですが

全く言われませんでした。


それかが最近、20歳頃に知り合った方に今と昔を比べて

「丸くなったね。昔は世間を斜めから見てたようなところがあったけど」と。


治った直後は変わらなくても

その後、人の好意を感じたり

コミュニケーションの面白さを感じたり

そうして、人とのやり取りを重ねていく中で

私は、安心感信頼感を持ち、自分の居場所を得ました。

そして、丸くなったのかもしれません。


世界を、人を、自分を信じてもいい。

今なら心からそう思えます。

最近、”毒親”という言葉をちょこちょこ見かけるようになりました。


とてもいいことだと思う反面

少し怖いなと思ったりもします。


最初にも書いたように、

本人に生まれ持ってどんな素養があろうと

周りの環境によって

それが出現したり、しなかったりします。


発達障がいの傾向を持っていようが

天才的な才能を持っていようが

それが、ハンディになるかどうかは環境によるのです。

よって、親や家族というのは

その後子どもがどうなるのかにものすごく強く影響します。


私の場合

そこまでひどい”毒親”の家庭ではありませんでした。


しかし、特徴として

・母は私を所有物として支配しようとする。

・両親とも都合の悪いことは見てみないふりをし、拒絶や怒りで対処する。

・子どもより親の都合で動くのに、お前のためにやっている、という態度。

・私をイライラのはけ口のように、八つ当たり、愚痴などを言う。

・弟(2人兄弟)には甘く、私には厳しい。

・金銭面はあまく、なんでも買い与えようとする。


特に、母が毒だったように感じますが

こんな母なのに、子どもをフォローしなかった父も父ですね。

祖母も同居しておりました。

私は祖母が好きでしたが、母と仲が悪く板挟みでした。


そんな家庭に育ち

ここは私の素養だと思うのですが、割と我が強い私は

小学生半ば頃から、「両親は少しおかしい」「親とは言えない」「私は間違っていない」

そう思うようになっていました。


両親、特に母は困った人であり、この人たちは私に家とお金と食事を与えてくれる人

私を療育する”親”ではない。と自然と思っていました。


「私は自分で育たなくてはいけない」


早くにそう思えたことはラッキーでした。

親に何を言われても、進路、普段の生活を変えませんでした。

嫌なことは、思いっきり反抗し

親であろうと、徹底的に主張しました。

「親に理解してもらいたい」という思いは捨てました。


こんな娘が家にいても

親は私を追い出そうとはせず、逆に支配しようとつとめます。

金銭的、環境的に甘やかしたり、罰を与えたり。

ほしいところはいただき、

後は流していました。


でも、やはり精神的にはきついものがあります。

けなされ、罵倒される

褒めたり、甘やかされる

それが交互に繰り返され、強い感情にさらされ続けると

やはり心が疲弊してきます。


こんな状況に加えて、学校でも居場所がなくなり

私は、離人症症状を発症したのです。

そりゃそうだよな、と思います。

精神的な防御反応だったのでしょう。


その後、

高校生になり

なるべく家から出ようと考えるようになりました。

家族と離れて暮らせるようにあれこれ考えました。

離人症症状が出なくなったのと、家から離れた距離は割と比例します。


完璧に離れるようになって

症状は出ないようになりました。

今は、うまく付き合えるように色々考え

ストレスに感じることも少なくなっています。


毒親の本を読んでいて、私がラッキーだったと思うことは

まず、早い段階で親の否定ができたこと。

・親が死んでくれた方が私は楽になる

・親の言うことは正しくない

親を見捨てることへの罪悪感をなくし

私が悪いのかな?と思わなかったのは大きいでしょう。


もう一つは、自分は自分で育てると覚悟したこと。

親のせいで、私はこんな風になった、と後悔したくなかったので

自分をどう育てようか考えました。


最初に書いたように

最近の毒親本にはいい面と怖い面を感じます。


いい面は”親の否定をし、自分を肯定できる”ところ。

親を嫌ってもいい、見捨ててもいい、と思えるのはとても大切です。


怖い面は”今、自分がうまくいかないのは親のせい”と責任を親に全面的に押し付けてしまうところ。

そうすると、自分を客観的に振り返ったりせず

今までの悪いこと

今の悪い状況をすべて、親のせい、で片づけることが可能になります。

すると、現状を変える努力をしなくてすんでしまう。

どんどん悪くなります。

親に悪態をついたまま、

でも、家にいて親のお金で暮らす、ということになりかねない。


私の家は、弟にそんな気があります。

最近、親が毒だったことにようやく気付いたよう。

しかし、私がどれだけ家を出ることをすすめても

理由をつけては家にいて

そうして、親を批判します。

弟を出ていかそうとする私を、親は嫌います。


心配ですが、私にはどうすることもできません。