『湘南手相塾』のブログ

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手相クリエイター・ヒロの開運講義!
本ブログの開設(2011年9月)により
写メによる無料鑑定公募の可能性も!
詳しくはブログ記事を要チェック!
今後とも末永いおつきあいを!

手相クリエイター ヒロ 「運を開くための3カ条」


すべての人の目の前には幸運の扉があります


◆扉のカギを開けるのは「勇気

◆扉を開くのは「思考

◆扉の向こうに踏み出すのは「行動


皆さんの目の前にある「幸運の扉」。カギがかかっていませんか?


カギを開けるのはあなたの「勇気」です。


あなたなら大丈夫!勇気を持って、チャレンジしましょう!


Amebaでブログを始めよう!

いや~、前回の更新以降もなんやかんやとありまして、すっかり

ご無沙汰してしまいました m(_ _)m


その間に読者登録をされた方、当ページにご訪問をいただいた方、

更新が止まりましたこと、ご容赦ください。


ようやく周りの状況が落ち着いてきましたので、ボチボチ更新を

再開いたします。


ヒロ



ちょっとバタバタしてまして、更新が遅れました。m(_ _)m


さて、今回は中指の付け根の丘(=土星丘)について、

お話しましょう。


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まずは、神話の世界観から。


ローマ神話の農耕神であるサターンは、土星の守護神

とされており、この神の性質が土星の解釈=土星丘の

解釈に色濃く反映されています。


土星:努力・研究・勤勉・自主・責任感・良心・哲学・宗教・孤独


う~ん、土星の守護神って言われてもな~…というアナタ!


こういう解釈はどうですか?


土星丘=運命線が目指す丘


運命という言葉に、土星の意味を重ねてみてください。


人それぞれ解釈は異なるでしょうが、なんとなくしっくりきま

せんか?運命が孤独(=死)に向かっているというのは、

ちょっと怖いですが・・・


この丘に縦線がある人は、これらの言葉が表わす人生観

を持ちながら人生を歩んでいくと解釈します。


ヒロの手相 ↓


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感情線が土星丘に・・・

運命線が土星丘に・・・



私のことを知っている人!以下の言葉と私は結びつきますかね?


努力・研究・勤勉・自主・責任感・良心・哲学・宗教・孤独


どうでしょ?


【注意】

「星の世界と神話」という世界観に基づいて

土星丘という名称を使用しています。

科学的存在の土星とは全く異なる意味で使用

している点、予めご了承ください。

つらい話が続いてますね。


T君の話は、またにしましょう!


コロコロ方針が変わってすみませんm(_ _)m


さて、手相の話に戻ります!


実は、「手相の丘」の話を初めてすぐに話が脱線し、

ここまでズルズルと来てしまいました。


こりゃいかんですな、と言うことで、いきなりですが

「木星丘」の話からはじめましょう!



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人差し指の下に広がる部分を木星丘と言います。


木星丘は、一般的に「慈悲」「寛大さ」「独立」

「指導力」「野心」「自信」「正義」を表すと言われ

ています。


ローマ神話の主神「ユーピテル」がその語源であり、

意味のもとになっています。


この部分が他の丘に比べ「盛り上がっている」と、

上に記した意味が強化されます。


特に、


① 向上心が強い

② リーダーシップがある

③ 正義に基づいて行動する


という特色が強く出ます。


手のひらを水平にして、目線の高さまで上げて

見てください。


さて、みなさんはいかがでしょうか?


【注意】

「星の世界と神話」という世界観に基づいて

木星丘という名称を使用しています。

科学的存在の木星とは全く異なる意味で使用

している点、予めご了承ください。

土曜日の午前7時35分、ガンで闘病中の友が亡くなりました。


家族葬で見送るという御家族の意志もあり、本来であれば、

見送ることができないところ、特別にお別れの機会を設けて

頂きました。


翌日の午後2時から午後5時までという時間にも関わらず、

天才的教育者であった彼を慕う数百人の参列者が集まりました。

そのほぼすべてが「個人的なつながり」で参列した方々だった

ところが彼のすごいところです。


嗚咽を漏らす人が多い中、私は心静かに彼を見送りました。


お互い、良い面も悪い面も知り尽くした仲です。


「ちょっと待ってろ!いつかそっちに行くから。まだ決めてないけど(笑)。

じゃあ、またな!」


ちょっと手を挙げて、彼と別れてきました。



P.S  あす更新しますので、よろしくお願いします。 m(_ _)m

ちょっと暗い話が続いてしまいました。m(_ _)m


すみません。でも、もうひとつだけお話しさせてください。


親友のガンが発覚した3週間後。中・高校時代の友人Y君

20年ぶりの再会(大学卒業後に一度会ったきり)を果たす

べく、北軽井沢へ。


言葉にできないくらい「幼いノリ」で盛り上がっていたあの頃。

俗世間の垢にまみれ、すっかり大人になっているものと思いきや、

中・高時代のノリ全快でバカ丸出し状態!


いや~、楽しい、楽しいと騒いでいたのももつかの間、

話題はT君へと移ります。


高校卒業以来、すっかりご無沙汰のT君。


もう26年も会っていません。


いったい、どうしているだろうということで、お互いネットで

T君の情報を集めることになりました。


最初にT君情報をつかんだのはY君です。


「このブログ、T君だと思うんだけど・・」


ブログを読み始めて、数分。その内容の濃さと凄絶さに思わず

引き込まれ、7年分ほどのブログを一気に読んでしまいました。


そこには、仕事や人間関係の摩擦により「ウツ」病を発症。

ストレスからアル中になるなか、劇症肝炎を始めとする様々な

病気により入退院を繰り返すT君の状況と気持ちが軽妙な筆致で

書かれていました。




つづきはまたいずれ!






誰にでも平等に訪れることだから、死は怖くない、という人がいます。


理屈の上ではそうでしょうが、やはり、死は怖いもの。精神論の問題

ではなく、本能の問題だからです。


しかし、人は、死の恐怖に立ち向かう場合があります。


東日本大震災時、津波警報のさなかに海岸にいた消防団員。古くは、

26年前に起きた日航ジャンボ機墜落事故におけるキャビンアテンダント

の行動など、死を目前にしながらも「職務」を優先し、人命救助にあたる

人たちのことを、私たちは決して忘れることはありません。


もちろん、恐怖で体が動かず、行動できない場合もあるでしょう。恐らく、

私は後者のほうです。偉そうなことを言いながら、いざという時に全く

役に立たないダメ野郎な気がします。情けないですが・・・


だからこそ、死と戦う人には敬意を表します。


親友にも敬意を表します。


奥さんや子ども達、そして周りにいる多くの友の応援を受けて、一生懸命

戦っています。


前回、他の致命的な事故や病気と異なり、ガンには時間があるという話を

しました。しかしそれは、死の恐怖と戦う時間でもあるわけです。


やはり、病気に善し悪しはありません。


「絶対に治す」と力強く応える親友。そこには微塵の迷いも感じさせません。


もちろん、心のなかで葛藤はあるでしょう。うかがい知れない葛藤が。


「俺は心が折れないから大丈夫だよ」


その言葉に、親友の真の強さを見た気がしました。

お見舞いに行った最初の日。


病室には、親友と奥さんがいました。


長年の付き合いです。お互いの感覚で、気を遣わないのが

一番いいということ分かっていますので、ポンポンと本音が

出ます。


「不謹慎な話しだけどさ。奥さんと色々話ができて、どういう

ふうに戦うかの戦略を立てられ、多くの友人・知人がお見舞

いに来てくれるガンと言うのはさ、なんて言うのかな・・・・・

考えようによっては・・・・・」


親友や奥さんは静かにうなずきながら耳を傾けます。


「いいという意味じゃないんだけど・・なんか言葉が見つからないや。

でも、本当に申し訳ないんだけど、これが事故とか、くも膜下出血、

脳溢血とか心筋梗なんかで、意識がなくなったままって場合もある

じゃない。そうすると、何にもできないんだよ。何にも話ができない

ままお別れしなければならないこともあるわけだから、本当にキツイ

こと言うようだけど、戦う準備ができるっていうのはさ。準備ができる

んだから、あとは強い意思次第だよな、ホント。


隣の芝生は青いと言います。


病気に、いいも悪いもありません。どの病気もつらく、苦しいものであ

ることは、容易に想像つきます。


それでも、自分の病気は苦しくつらいもの。人の病気がよく見えて

しまうものです。


私の発言は、ガンで苦しんでいる人達から見れば、許せないもので

あること、重々承知しています。


また五体満足の人間に何がわかるのか、という厳しい意見もある

でしょう。


しかし、私自身も30年近い眼病との闘病を経験してきました。


死に直面した病気ではありませんが、病気の苦しみを長期間に

わたって経験してきたのです。


何も分からない人間の無責任な発言でないことだけは御理解

下さい。


※お見舞いに来た友人(20年ぶりに再会)が、旦那さんを心筋

  梗塞でなくされていました。ご自身の実体験から、私と同じような

  気持ちを持っていることがわかり、大切な人を一瞬のうちに亡くし

  た人の気持ちに心が痛みました・・・


続く

親友の肺ガンが発覚したのは8月下旬のことでした。


脚がいたいとのことで、整形外科に行ったのは5月のこと。


リュウマチとの診断に、違和感を覚えつつも薬を飲む毎日。


ところが状況は一向に良くならず、次第に手のしびれや脚に

麻痺感が。


結局、体全体を検査し、肺・脳・左肩の骨にガンが見つかった

のは先程ふれた8月下旬。メールをもらい、急いで本人に

会いに行ったのは9月頭のことでした。


親友は私と同い年の44歳。しかし、その若さで「ガン」、それも

「末期」というのはあまりに酷な話です。


現代の医療では、脚が痛ければ、整形外科に行きます。目が

痛ければ眼科というように、それぞれの体の部位に見合った

病院(科)を選ぶことになります。


確かに、脚が痛いからガンとは、思いもしないでしょう。


これは、ひとつの警告として覚えておかなければなりませんね。


脳の変化は、体のいたるところに症状が現れるということを。


特に、手(足)のしびれ、痛み、違和感には注意しなければなり

ません。


というような話をしていると、親友であり、本ブログの読者のひとり

でもある「一級弁士養成塾・塾長・福澤氏」のひとことが耳に

(脳に)聞こえてきます。


「まだ病院行って、検査受けてないの?」


人生の中で、もっとも後回しになってしまうこと。それは、


自分自身の健康管理


ではないかと思えるくらい、健康診断を受けようという気に

ならないんですよね。


困ったものです。


つづく

お待たせしてすみません。病気治療中の友人に付き添っているため、2~3日、更新が滞るかも知れません。珵しばし、お待ちください。

ヒロ

ざっくり分けると、世の中のことは4つに分類することができます



① 科学的であり、人類共通の財産&人類の幸福に寄与すること


   → 医療技術の進歩や農業技術の進歩など


② 科学的ではあるものの、人類の幸せに寄与しなさそうなこと


  → 化学兵器の開発など ※厳密には、②のことは①に転用

     できることも多い。


③ 科学的ではないものの、人類の幸せに寄与すること


  → 善意のある道徳、善意のある宗教


④ 科学的ではなく、かつ人類の幸せに寄与しなさそうなこと

  

  → 悪意のある宗教、霊感商法、全く効果のない代替医療など



さて、本題に戻ります。占いはどこにはいるでしょう?


③ですか④ですか?


実は、両方に入ってしまうんです。占いは。


どれだけ、愛情を持って行っても、霊感商法のように思われてしまう

ことがあります。


どれだけ言葉を尽くしても、誤解されることもあります。


占いとは、どちらに転ぶかわからない、実に危険なものな

です。

だからこそ、占いを謙虚に学び、その善なる活用に全力で取り

組まないと、占いが不幸の原因となることさえ、少なくありませ

ん。


ヒロが占いを客観視している理由もここにあるのです。