(苺の加工食品は苦手なんだけど、つい可愛くて買ってしまう、ストロベリーフラペチーノ🍓)
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昨日の母の日ケーキの残りや名古屋土産の赤福ときよめ餅など、スイーツ祭りの我が家です。
仕事をすると頭をいっぱい使うので、ちょうどいいのですが、今週はスイーツ控えめにしようと思います。
太陽フレアの活動が活発な快晴の日曜日
太陽フレアの影響かグッタリ気味の私だけど、元気な母は太陽フレアの動きなんて微塵も影響が無いかのように名古屋から日帰りで横浜に遊びに来てくれました。
母が子供たちを連れ出して公園遊びをしてから食材の買い出しをしてきました。
帰宅後は子供たちと一緒に餃子を作ってくれました。手前が息子作で、奥が娘作の餃子です。
母が子供たちの成長ぶりに驚いていました。餃子はとっても美味しかったです。
昼下がりからは、ギラン・バレー症候群 患者の会のオンライン患者交流会に参加しました。
ギランバレーの当事者間で会話をすると、皆も頑張ってることが伝わってきて元気を貰えます
オンライン患者交流会の後で、母の日のお祝いのケーキを皆で食べました。
母は日帰りなので、夕方に颯爽とまた新幹線に乗って名古屋へ戻っていきました
太陽フレアの活動が活発な快晴の土曜日
太陽フレアの影響で世界中の低緯度でオーロラ観測が報告されて芸術的な写真が撮られています
残念ながら横浜の空からはオーロラ観測は出来ませんでした。
パパと子供たちが昼食のためにポテトサラダを作っていました
とっても美味しいポテトサラダが完成しました
普段は九州の家(別荘)で暮らしている母が名古屋の家(実家)にいるらしく「明日、横浜に日帰りで行こうかしら?」とフットワークの軽いメッセージが入りました。
夫が「それなら子供たちを連れて名古屋日帰りする?」と言い始めてカオスです。
私は思い付きで日帰り新幹線往復する体力はないし、子供たちも日帰り名古屋はまだキツい(日帰り自体はOKだけど、翌週一週間のフル登校がキツそう)ので、母に横浜まで来てもらうことにしました。
太陽フレアの影響かグッタリ気味の私だけど、元気な母には太陽フレアの動きなんて微塵も影響が無いのだろうな、と推測します。
ちなみに夫は今朝から平熱とのこと、良かったです。私は普段よりも2,3時間早起きしたので、日中に珍しく眠気がありました
小学校の防災の引き渡し訓練のため、昼下がりに仕事を1時間、中抜け休憩して、参加してきました。
実は、この引き渡し訓練すらも、2,3年前は、ちょっと並ぶだけで、非常に疲れを感じたりしていました。少しずつギランバレーから回復しているのか、今は普通に、さして疲れもせずに、ただ並べるようになってきました。当たり前のようだけど、とても素晴らしいことです。
肌寒い横浜の朝は、半袖半ズボンで登校したい息子と、長袖長ズボンで登校してほしい母のバトルから始まります。
お互いの妥協点である、長袖半ズボンにて決着しました。ちなみに娘はすんなり長袖長ズボンです。
小雨が降る中、息子は紙の作品を小脇に抱えて傘を持たずに出て行こうとします。これまた、傘を持ってちゃんと差してねー!と送り出します。
(夫がチャチャっと作った魚料理)
夫が普段より何だか元気がありません。朝は「熱はない」と言っていましたが、夜にまた測ったら発熱していました。
夫が発熱していると知る前、、夕食に(いつものように)夫がチャチャっと作ってくれたお魚料理が美味しかったです
いつも我が家の早朝の家事育児は100%、夫が対応しています。明日の朝は私がやろう!と思って、子供たちに毎朝、何時から朝ごはんを食べているの?と聞いたら驚愕の「朝6時」という返事がありました。明日の朝は5時起きで頑張りたいと思います。
先日ママ友からフランス帰りのお土産をたくさん頂いた中に、ボルディエの無塩バターが入っていました。
星付きのレストランなどでも使われる贅沢なバターです。無塩バターなので、早めに美味しく戴きます。
バターの包みを開けると、フワッとバターの良い香りがします。フランスは食文化の国だなぁ、と改めて思います
何に使っても美味しいです。焼いたパンに塗ったり、お料理に使ったり、お菓子作りに使ったり。
バターだけで、こんなに風味が変わるのね!と驚きます。美味しく持ち帰るには、帰国の際の温度管理がとっても難しい貴重なお品です。
本当にありがとうございます
かなりの迫力の恐竜たちのようでした。
我が子たちは恐竜の大迫力に泣いたとか泣いてないとか
体力のない私は渋谷まで出掛けるだけでグッタリしそうです。更に恐竜のイベントだなんて、更にグッタリ疲れてしまいそうなので、夫が子供たちを連れ出してくれて助かりました。
GW最終日でもあるので、明日からの平日へ向けて、私は服の入れ替えや、プリント整理です。
片付けをしていると、あっという間に時間が過ぎて、夫と子供たちが帰宅してきました。
娘の体調が心配でした、途中駅までのお迎えを少し覚悟していましたが、お迎えなしで元気に戻ってこれて良かったです。
6年前は、ギランバレーで救急病院のICU病棟にいて、こどもの日を一緒にお祝い出来なくて悲しかったことを覚えています。
ギランバレー発症から6年間が経過して感慨深いです。
発症当時、5年後の生存率は高そうだけど、私は生き残っているのだろうか、などと思案していました。
5年間に加えて、更に1年間は、フルタイム勤務に戻したこともあり、あっという間でした。リウマチ(RF値の高値)に怯え始めた1年間だったような。
ギランバレー発症当時からすると、考えられないくらいに体力と筋力が戻ってきました。
しかし、ギランバレー発症前のように、日中働いて夜に飛行機に乗って海外旅行へ出発!のようなアクティブな生活は体力的にまだ無理かな。できる日がやってくるのだろうか。