DT's Journals -4ページ目

再びドイツ!

再びドイツ!




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11月7日の続き。
気味悪い集団に絡まれたあと、14時24分発のドイツ国境行に乗ってドイツへ。途中、車内で入国審査。15時、ドイツ国境到着。五分後、乗り換えてミュンヘン行き特急。16時25分到着。オンボロ列車から段々と豪華な列車になるのが面白い。ミュンヘン駅で駄菓子屋さんがいたので物色していると、香港人の女の子に知り合う。色々しゃべってメールアドレス交換。むっちゃかわいい。その子に紹介してもらった駅前のホステルに行くが満室。しょうがないのでとなりのコジンマリしたホステルに行く。かなりいい!安い、きれい、フレンドリー、の三色弁当だ。19時、メシを食いに行く。少し豪華なものが食べたくなって少し高めの店。連れはステーキ、もう一人はピザ、オレはスペアリブ。ビールとよく合う。その後、ビアガーデンに行く。ミュンヘンのHard Rock cafe の正面にあるビアホール。連れの一人が知っていた。中に入るとカーニバル。その後ネットカフェに行ってホステルに戻る。きれいなお湯で気持ちいいシャワーを浴びて1時ごろ就寝。

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「ミュンヘンはまた必ず来よう。」

今回は、再びドイツに戻ってきた。ミュンヘンはほんとに良い街だ。電車を降りた瞬間にその豊富なネオンに安心した。ドイツ人は親切だ。ホステルの受付も、店員も、街の人も、みんな割りと話していて気持ちがいい。東欧の記憶が濃いからそう感じるのだろうか?ミュンヘンは中世ぽい建物とネオンがいい調和がとれてて美しい。人が少ない通りでも危険な空気は感じなかった。明るいのだ。歩いてて気持ちいい。危険なところもあるだろうが、行ったところでそう感じたところはなかった。ショッピング街も店は閉まっててもショウウインドウの明かりはつけている。なにより、一般人が夜にブラブラ歩いているのだ。安全な証拠である。

ビアガーデンでは、驚いた!体育館ぐらいの広さのフロアにところ狭しと人がごった返している。バンドが陽気な音楽を演奏して(多分ドイツの民謡)、踊っている人も多い。なにより、日本での大ジョッキの1,5倍のジョッキで飲んでるのだ。オレらはさすがに飲めないので中ジョッキにしたが。酔ったドイツ人はとても陽気そのもの。また来たい。

駅で出会った香港人はドイツ語学校に行ってるらしい。日本人も含めた5、6人だったのだが、そのなかの香港人のケイと知り合いになった。外見は垢抜けているがしゃべってみると古風で純粋な感じがした。日本人にはあんまいないタイプかな。裕福ぽい。わりと日本にも興味があるらしく、メルアド交換した。また日本来るときに連絡するという口約束をした。どうぞどうぞきて下さい!香港人が日本にきておもしろいか知らんけど!





「言葉が通じなくても・・・」

ジャンキー達に絡まれた後に乗った電車の車中、連れの一人がそのことをネタに日本語で話し始めた。冗談でコケにしはじめたのだ。だんだんエスカレートしてCHEBBのことをボロクソにいい始めた。いわゆるブラックユーモアというやつ。その時、オレは隣の席に座っている中年のおばさんが何か一人でブツブツ言っているのに気づいていた。

それは段々大きくなってきて、見ると何かを罵り始めた。しかもこっちを向いているのだ。しかも言葉の端々に「ジャポネーゼ…!ジャポネーゼ…!」と言っている。オレは思った。明らかにこの人は連れの言動に怒って俺らを罵っている。日本語はわからないだろうが、仕草や、CHEBBという単語を連発したこと、その後の皮肉った笑い方で分かったのだろうとオレは思う。

連れは気づいているのかいないのか、おばさんの怒りは続いていた。オレはおばさんが使うのは何語なのかわからない。ドイツ語なのかチェコ語なのか。それでも言いたことは伝わっていた。英語交じりの単語を少しづつ聞き取ると、ようするに「金はあるかもしれないがあんたらは最低だ」ということである。そしてついに彼女は怒りが爆発したらしく、オレらに怒鳴って席を立ち、別の車両に移動した。

今回は本当にオレらに怒っていたのかどうか、なぜ怒っていたのか、という真相はわからない。連れは否定したが、自分としては彼女の気分を害したのは自分たちだと思う。

全く言語が通じなくても伝わることは伝わる、ということは概にして多い。
オレは留学中に幾度もそれを体験してきた。相手は理解できないとタカをくくり調子に乗って日本語で相手を罵ることを言っても、それは結構伝わってしまっているものだ。しかも日本語を理解できる人も意外といたりする。

例えばイギリス留学していた時のこと。店で並んでいると何気なしに当たってきた人がいたことがあった。友達が日本語で「何やコイツ、邪魔じゃボケナス」と言ったら、その人が「アぁ~ン?」とにらんできてトラブルになりかけたことがあった。


そういうことは自分でトラブルを招くようなものだ。

言葉がわからなくても心は通じ合うことができる、とよく言われるが、
これは、その逆の話。



次はスイス!






今日の疑問。「イラク戦価値なし56%」米紙。ならなぜブッシュを選んだ?

News
・ モスバーガーで37人が食中毒
・ 台湾の李前総統にビザ発給
・ 「イラク戦価値なし56%」米紙

チェコ!

チェコの写真またアップします。とりあえずプラハ駅。朝五時半ごろ。



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11月7日
5時半寝台列車にて起床。すぐにプラハ到着。下車後すぐに客引きにつかまる。こんな早朝なのに。6時ごろ換金して荷物を預ける。コーヒー飲んでくつろぐ。そして王宮観光へ。寒い。暗い。街灯が少ない。だれもいない。近くの高級ホテルで市内マップをもらってブラブラ歩く。七時ごろ雨が降ってくる。しばし雨宿り。30分ぐらいでやんだので歩く。近くの教会など。少しずつ晴れてくる。十数体の石像がある橋を渡って200段ぐらいの階段を登り王宮へ。そして日の出。その丘の上からのプラハは絶景。ちらほら他の観光客も。その後丘を下り、ふもとで親父宛にチェコのお酒購入。地下鉄に乗りプラハ駅にもどり、昼飯を買って、AM10時20分発の列車に乗る。いざミュンヘンへ。途中のCHEBB駅で乗り換えの際、駅の外で暇つぶししているとホームレスの酔っ払いやヤク中らしき集団にからまれる。中には韓国人も。意味不明。適当にあしらって電車に乗りチェコからドイツに入国。チェコ滞在時間約5時間。

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「王宮の丘からの景色」

今日は東欧二カ国目チェコ。寝台車はよく眠れたほうだった。チェコの早朝はハンガリーと同じくとても暗い。街の雰囲気も似ている。重々しい雰囲気。しかし、日の出ごろにちょうど王宮にある丘の上に着いた。

200段のきつい階段を登りきり、振り返るとそこには太陽と朝もやのプラハが一面に広がっていた。雨上がりの道路や河、家々の瓦が雨の水滴で一面にきらきらと輝いていた。俺たちは言葉を交わすこともなく、時を忘れてしばし魅入っていた。はるか遠くにせっせと掃除をしている人達が見える。朝の散歩をしている老夫婦が川沿いに。線路には列車が颯爽と走っている。なんでもない光景。だがゆっくりとした壮麗な時間。そんな光景を見てただ単純に、そして純粋に、ああ、だからここに来たんだなと思った。神秘的な時間だった。

「CHEBBにて」

CHEBBで絡まれた集団はごろつきと言う感じだった。CHEBBはさびれ切ったという印象の地方の町。金をくれという酔っ払い、泊まっていけという韓国人、なにを言っているのかわからない眼の焦点が定まらないジャンキー。相手をするだけ無駄の連中だった。韓国人は使い走りという感じ。命令されていた。しかしなぜここに?自分で韓国人だと言っていたので韓国人なのだろうが、なぜに手下に?当然相手にしなかったけど。なぞな集団。なぞな町だった。


次はミュンヘン!

News
・ 田臥勇太 NBAサンズから解雇
・ 選管職員ら銃撃で死亡 イラク
・ 5000年前の大型住居跡 北海道
・ ドンキ放火 合同葬営まれる

ハンガリー!

              ハンガリーの首都・ブダペスト 





今日はハンガリーレポート!


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11月6日
6時起床。7時アランと朝食。ベーグルetc。7時半、アランと別れてハンガリーへ出発。8時半ウィーン西駅からブダペスト行の特急へ。三時間半ほど乗って車内でメシなど。11時35分ブダペスト南駅到着。いろんなガイドが寄ってくる。適当にあしらって荷物を預ける。一泊する必要はないということで、19時40分発チェコ行の寝台列車の予約を済ます。2時、王宮を観に地下鉄へ移動。その後散策しながらイシュバイン大聖堂など。17時、駅前に飲食店がないのでマクドナルドで。安い。1250フォリント。ネットカフェをさがすがない。他の店も閉まりまくる。しょうがないので駅の中でビールを立ち飲み。三本ぐらい。荷物を受け取り、19時にプラハ行の寝台特急に乗る。狭い。三人部屋。
スロバキアを通ってチェコにいくのでパスポートチェックが3回。うっとうしい。早朝5時半プラハ到着。

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「イメージと違ったハンガリー」

今日からユーレールパスを使い始めた。6万円で約一ヶ月、EU内の電車乗り放題。特急料金はかかるけど。ハンガリーはEU外なのでオーストリア国境までタダ。しかし、ハンガリーはイメージと全然違った。ブダペスト南駅を降りての印象、荒廃、荒廃、荒廃。なんか重々しい雰囲気。ハンガリーの首都なのに…。

電車を降りてすぐにガイドが寄ってくるあたりは、さすがに国が経済的に厳しい状況なのだろうか。しかし、おばあちゃん二人組みはとても温かい雰囲気だった。男のガイドは親切だったが、オレがおばあちゃんとしゃべっていると、おばあちゃん達に「オレの客をとるな!」と一喝。観光客の取り合いなんやな。時間を大切にしたので宿泊せずに夜に出ることにした。

ブダペストはドナウ川を挟んで西側をブダ地区、東側をペスト地区という。ペスト地区が中心街で、ブダ側は史跡が多い。地下鉄でドナウ川沿いまでいったのだが、地下鉄のエスカレーターがメチャメチャ長い!!んで小汚い!黄ばん出る!しかも電車は急停車急発進の繰り返しで荒っぽい。この辺でもうハンガリーの印象は固まってくる。

町並みを見ていても感じるが、ハンガリーは社会主義時代そのままのイメージだ。テレビでしか見たことなかったがまさかここまでとは。ソ連崩壊に伴って資本主義に移行したがまだまだ社会主義の爪あとは深い印象。落書きが多いし、ネオンも少ない。夜になると暗いのだ。首都なのに。明るくても街灯が多いだけ。寒々とした街だ。まだまだ発展には時間がかかるのかなあ。

ハンガリーにある宮殿(王宮)に行ってもびっくりした。小高い丘にある王宮というぐらいだから国の重要文化財にあたると思うのだが、城壁がスプレーの落書きだらけなのだ。例えるなら姫路城の城壁が落書きだらけのようなもの。しっかり管理していないのだろうか?建物自体はすばらしいものでやはり歴史を感じる。ガイドブックに載っている観光地はほとんど落書きにあふれている。んーー、カルチャーショック。

それでも、王宮からドナウ川を望んでハンガリーの景色はすばらしかった。その後行ったイシュバイン大聖堂の壮大さも眼を見張るものがある。とにかくスケールが大きい。このブダペストの暗いイメージにマッチして荘厳さをかもしだしている。長く滞在したらもっといいところを見つけられるかもしれない。

国が疲れているように見えたハンガリーでは、肥満の人は本当に少なかった。しかも女性に美人が多い。ほっそりとした感じだ。駅でもそうだが、街角にいるカップルはベタベタしまくっている。人前でもお構いなしにディープキスだ。あまり刺激がないからそういうところに熱くなるんだろう、といえば言いすぎか?

CDショップでハンガリーの有名なアーティストはいるか?と聞いたら、そんなもんねーよ、と答えられて妙に納得してしまった。アジア人は本当にマイノリティーで、すれ違う人すれ違う人みんな見てくる。遊びにきやがったかというような眼で(少し被害妄想)。

寝台車では狭いが快適。しかし、客が寝ようとしているのに3回も起こされた。ドアを叩く叩く。パスポートチェックだ。一回目はハンガリー人の審査官。ドアを開けるとばかでかい男が無表情で「パスポートプリーズ…」二回目は二時間後寝ようとしている時にドンドンドン。開けると今度はおっさんが無表情で「パスポートプリーズ…」多分スロバキア人の審査官。お前だれや…。三回目ともなるともう眠気眼なので誰かわからない。寝ぼけながらドア開けるとひげのおっさんが無表情で「パスポートプリーズ…」お前何人やねん…んで何回起こしよんねん…とりあえず名を名乗れ!な状態。ここまでくるとコントみたいでした。



明日はプラハ入国!




News
・ さいたま市のドンキ また出火
・ リベリア、内戦で国民の6~7割が性被害
・ PLO議長、武装放棄を呼び掛け
・ 「振り込め」少年らホテル豪遊

オーストリア!~パート2

            ウィーンの街角で見つけた日本語の広告           





一週間ぶりの更新。
今回やっと画像アップを会得しました。画像サイズの変更の仕方が不明だった。
いままでのレポートにも写真アップしました。

今日はオーストリア二日目レポート。


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11月5日
8時起床。朝食はベーグル三個。9時、路面電車でウィーン市内へ。寺院やシェーンブル宮殿、美術館・博物館・王宮など観光。15時マクドナルドで腹ごしらえ。Japan Royals。その後、ショッピング。ガラス細工で有名なswarovskiで二つガラス細工購入。合計77ユーロ。18時、ホステルに一時帰宅。19時ピッツァ食べてインターネットカフェ。22時、三人のうち一人は別のネットカフェに。残りはホステルに戻る。23時、昨日は空いていたベッドに今日はカナダ人のアランが泊まっていたので、しばし英語でおしゃべり。ブッシュが再選したことを知る。2時ごろ就寝。

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「ウィーンていいねえ」

オーストリアにも慣れてきた。足取りが軽い。ウィーンはオレの好みの都市かもしれない。歴史があって、落ち着いていて、大都市ではないにしろ面白いものがたくさんある中規模都市。特に子供がかわいい。冬なのでちっちゃい真っ白なダウンに真っ白なニット帽をかぶってヨチヨチ歩いている子供を見るともうデレデレだ(おばあちゃん連れだと写真撮影を快く引き受けてくれる)。ついでにオーストリア美人にもデレデレだ。

今日は姉二人のためにガラス細工を買った。一つはサックスをしていた姉にサックスの置物。もう一つは仕事に疲れた疲れたとボヤいてるもう一人の姉にロッキンチェアーの置物。気に入ってくれたらいいのだが。このswarovskiというブランド、オレは知らなかったのだが、相当有名なガラス細工ブランドらしい。日本にも店があるらしいのだが多分日本ではもっと高価だろうということ(姉は知っていた)。クリスマスが近かったので店ごとの装飾も凝っていたのでは?

観光地で一番気に入ったのは、オーストリア・ハンガリー帝国ハプスブルク家が住んでいたシェーンブル宮殿の裏にある広大な庭園が最高だった。清涼な空気のなか、リスやガチョウがおりとても落ち着く。普通にまちを歩くだけでおもしろいけどね。


「英会話」

部屋が同室になったカナダ人アランとよくしゃべった。バイリンガルの連れは別行動で別のネットカフェに行っていたのでアランとタイマンで会話(もう一人は英語がしゃべれないのですぐ寝た)。オレはコミュニケーションはできるとはいえ、突っ込んだ会話やより伝わり易いトーンなどはまだまだ要勉強な状態。しかも、いままで英語の会話になるとバイリンガルの連れがほとんどこなしていた(というより、会話に交ざりづらかった)。

だからこのアランとの会話の時間はとても貴重だ。つたないながらも自分の英語でしゃべっている。自分達のことやアランのこと、日本のことカナダのこと、アメリカ大統領選挙のこと、旅のことなど時間を忘れてしゃべっていた。アランも比較的わかり易い英語でしゃべっていてくれたのがよくわかる。

アランは三十代で、左手の指が三本ない。元技術者かなにかでその時に事故でもあったのだろうか?バイク(BIKEと言っていたのでモーターバイクなのかマウンテンバイクなのかはわからないが)でヨーロッパをもう一年もまわっているらしい。今は仕事はなく、家族もどこにいるかわかわないらしい。指がなくて放浪してて身寄りもないとなれば相当怪しいが、まあいい。


「帰国子女の連れと純日本人のオレの違いを垣間見た出来事」
 
バイリンガルの連れが帰ってきた後は三人でトーク。さすがに英会話レベルが高い!ネイティブレベル!意味はわかるがコメントできひん!あー英語勉強したい。連れに突っ込まれたのは人の意見に同意しすぎだということ。
 
メキシコにティファナというアメリカとの国境の町があり、オレがそこにいったという会話をした時のこと。LAのオレの友達がいっていた事である「そこはメキシコというよりほとんどアメリカぽい街だ」、という事をアランにどう思う?と聞いた。なぜならオレはティファナ以外のメキシコ都市はいったことないので他の都市と違いがわからないからだ。アランは他のメキシコの町と変わらないよ、と答えたので、ああそうかと返事したら、連れには、アランの意見に簡単に納得した事が気になったらしく、もっと自分の意見をいうべきだと言われた。
 
その通りかもしれないが、別に確実な情報持ってるわけじゃないのでそこで主張してもしゃーないやんと思う。連れは「ティファナは~みたいやで」というオレの伝聞を「ティファナは~である」というオレの意見として認識していたみたいで、簡単に自分を曲げるなということを言いたかったのだろう。異言語を使うときは主張の姿勢(atitude)なども関わってくるのでおもしろい。日本では主張しすぎると煙たがれる場合が多いが、連れはいつでも主張を大切にする。やりすぎだと思うこともあるが、見習うとこは見習うべきだなあ。


明日はハンガリー・ブダペストへ移動。

ウィーンのネットカフェの受付男のいい奴ぶりに感心した。何から何まで親切にしていくれた。
DANKE !(←独語でthank youの意)

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いま卒業研究が佳境の段階。

A社に提出したアンケートが100件単位(合計300件)で返ってきだしたので、統計ソフトを使って因子分析の解析作業の真っ只中。

それと同時に卒業論文の概要作成。これはA4二枚のみで事務室に提出。
これは期限内に提出できなければ卒業できない。一月提出だが、うちのゼミでは年内に作成することに。まだ分析結果がでてないので内容が作成しにくいがとりあえず、だしゃあ文句はねーだろ。と、先生の談。本当の論文は二月までに作成。

バイトにいけば必ず忘年会の相手、学校に行けば卒論、とやることが多め。

今年も忘年会の切れっぷりは最高だ。
老人会も老人なりに地味に暴れていたし、救急隊の方の時もマツケンサンバのコスプレ大会で大盛り上がりだったと聞く。予約人数を無視して最終的に50数名まで集まったらしい。おもろい!
救急隊がんばれ!






News
・ 神戸児童殺傷 男性が本退院へ
・ クイーン活動再開、ツアーも
・ NBA、田臥が3試合目の出場
・ 北朝鮮に「経済制裁を」74%…読売世論調査
・ ウクライナ・ユシチェンコ候補はダイオキシン中毒…病院が発表

内定者懇談会

→旅行記の続きは順次アップしていきます。


ここ数日、忙しい。
今日は内定先の内定者懇談会のために東京にいってきた。
社長・取締役以下、会社の幹部と若手社員を交えての懇談会。
同時に内定者が初めて一同に会した懇談会だった。

内定者がいくつかのテーブルに別れ、それぞれのテーブルに幹部一人と先輩社員数人がついて談笑する形式だったのだが、オレのテーブルについた会社幹部は何と社長だった。

社長は営業畑でやってこられたらしく、体育会系のノリで、乾杯のときなんかオレのテーブルだけなかば一気飲み、一気食いの勢い。色々気を遣って盛り上げていただいたが、ダジャレも相当鋭くなかなかのもの。きさくな方。ただ数千人の社員がいる会社の上、相当忙しいので幹部としか接することがないらしく、社長は五年目の先輩社員の方を内定者と勘違いしてしゃべることも。

ただ世界一のサービスを目指すという目標があるはずなのに、別の幹部の方と話をしているなかで、国際化に関しては言葉を濁していたことが気になる。あまり海外には注力していない段階なのかも。が、実力さえあればなんでもoutputできる環境はそろっているみたいなので本当に自分次第であろう。

色々、気に入らない点や疑問点もあった。しかし、幹部の方とこんなに気さくに会話ができるのもこれで当分ないはずだ。良い経験をした。いろんな質問に熱心に耳を傾けていただいた幹部の方々の姿を見て、この会社を選んだのは間違いではないなと感じた。間違いではないが、正解かどうかは自分次第だ。

U2のボノが、デビュー頃の自分の写真を見て「複雑なことは何も知らない、あまりにパワフルな無垢さを感じた。」といっていた。と同時に、「お前は完璧に正しい。あれこれ考えるのは無駄だ。」と自分に言ってあげたいと語っていた。U2と比較するのはもちろん愚鈍かもしれないが、オレも含めて新卒社会人も似たような状況だろう。ビジネスのことなど何も知らない。が、オレはハングリー精神とやる気だけは湧き上がってくる。社会に出たら今の気持ちを忘れるだろうから、ここにしっかりと記しておこう。目標は高く、自分をしっかり持って、小さな結果に満足しないようにしよう。



news
・ 北海道で震度5強、けが人も
・ サウジ米総領事館でテロ事件
・ GK川口能活、J1磐田と仮契約
・ ビンラディン容疑者の捜索は難航=パキスタン大統領

日本人について。

帰国子女の友達が今までに、時たまに言っていたこと。
そして今回の旅でも話題に出たこと。


「日本人はなにかとカテゴライズしたがる。カテゴライズするだけでなく、その枠に縛られていることが多い。」

確かに、そうも思う。

例えばファッションでは、本当に自分の好きなものというより、どちらかと言えば流行をただ追っているだけということ。また、~系のファッションだからあいつは~系だ、という命題が少なからずあること。大学にいるとそう感じる。

他にも居住地、宗教、国際観、教育などなど、、、。

日々の生活でも、イギリスやアメリカに行ったときも
そして今回の旅でも、たまに思い出しては考えたりみたりしていた。

すべてがそうというわけではないと思うが、
自分のスタイル(考え)は、あまりない気がする。

ただ、これは日本が多人種国ではないから、画一的に見えるのかもしれない。
また、必要以上に自己主張する必要がないのかも。

もちろん、人によるが。

社会人になっても考えてみよ。

オーストリア!~パート1

                  音楽の都・ウィーン 



今日はオーストリア入国!


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11月4日
8時起床。荷物をまとめる。9時、手ぶらでトプカプ宮殿へ。トルコ最後の観光。換金30ユーロ。ボスボラス海峡を望む。帰り、某日本企業の通訳をしているオッチャンに会う。また小学生に遭遇。中学生に遭遇。幼稚園児に遭遇。11時、ホステルチェックアウト。たまったお土産を日本に送るために郵便局へ。着くまで一ヶ月かかるらしい。(実際には一週間後に届いた!)郵便局のじいさんは英語が全く通じず、イエスイエスしか言わない。12時、昼飯で最後のケバブ。今までで一番おいしく、1.5個食べる。13時、路面電車に乗ってイスタンブール空港へ。リラックス。トルコに着いたときはガチガチに警戒していたなあ。14時半、空港チェックイン。実家に電話。15時、オーストリア・ウィーンへのフライト。17時、ウィーン着。地下鉄で市内のハイデルスカイ駅へ。通りが暗い。目的のユースホステルにいくまでに良いホステルが見つかったので、そこでチェックイン。20時バーガーキングで夕食。21時、サッカーUEFA杯・サラゴサ(スペイン)vs FKオーストリア(オーストリア)を観にスタジアムまで。23時、道に迷いながらホステルに着く。なんだかんだ洗濯などして朝4時に就寝。

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「ヨーロッパ帰還」
中東ともいえるトルコからヨーロッパのど真ん中のオーストリアに来た。町は当然トルコより整備されているが、トルコ人はかなりフレンドリーでよく話しかけてきていたので、その分オーストリア人が冷たく感じる。だが、これが普通なのだろう。そしてついに世界の共通言語、サッカーを観戦!盛り上がりがすごい。Jリーグを見に行ったことはないので、一度行ってみたい。こっちはもう生活の一部に擦り込まれている感じ。応援の仕方にもプライドを感じた。応援は地鳴り。結果はホームFKオーストリアが1-0で勝利。ビールがうまい。帰りにバス停がわからず、迷ってかなり危険な香りのする通りなどに入ってしまうが、なんとかホステルに戻ることができた。

「ホステルの受付対応について」
今回、ウィーンでチェックインしたホステルで経験したこと。空き部屋があるかどうか聞こうとしたが受付に人がいないので、「Hello? Hello? Excuse me?」と呼んでいたら少し時間をおいて不機嫌で女性が出てきた。そして開口一番、「あんた達なんなのよ!今担当の人が来るから!少しも待てないの!?彼は今風邪なのよ!!何回も叫ばないで!」(もちろんすべて英語)と切れられた。カチン。風邪なら接客すんなと言いたいし、それを客に八つ当たりしてどうすんねん。これがお前の仕事なら風邪とか眠たいことほざかんと責任持ってやれよ、と言いたい。しかし、そこは善良なホトケの日本人らしく対応した。欧米の接客は概にして無愛想なのは知っていたが、これはヒドイ。どんな事情があるのか知らないがおかしいと思う。ちなみに価格が魅力的なのでちゃっかりここに二泊したけど。

明日は本格的なウィーン観光!

トルコ→町が汚いが、人が温かい。
オーストリア→町は綺麗だが、人がそっけない。

荷物は軽く、心も軽く。

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今日のバイトはお客さんが少なく、暇だった。


今日気になった名言
→「とってもいい」は、「最高」の正反対。「最高」なものは「とってもいい」ものが疲れ果てた瞬間に飛び出てくる。

→うんざりして嫌気が差すことに、うんざりして嫌気が差す。

(rockin' on 12月号より)




News
・ 今年の流行語大賞に北島選手「チョー気持ちいい」
・ ウクライナ危機、国会が内閣不信任決議案を可決
・ NY恒例の巨大ツリー点灯 クリスマスシーズン到来

トルコ!~パート2

             欧州とASIAの境目・ボスボラス海峡









トルコの続き。


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11月3日
8時起床。塩水シャワー。9時にブルーモスク(世界遺産)に行く。途中。ガイド(ファリ)に話しかけられる。怪しいが、利用してやろうということで無料という条件でガイドしてもらう。私営の換金店で30ユーロをトルコリラに換金。社会科見学にきているトルコの小学生に遭遇。とても元気がいい。カメラを向けると怒涛の勢いで列を乱して集まってくる。と、同時に怒涛の勢いで先生に怒られる。ブルーモスクへ。靴を脱いであがる。モスクの中にステンドグラスがある。おもしろい。ファリの説明つき。十時、その後地下宮殿に。小学生に遭遇。大人気。メドゥーサ(目が合うと石にされてしまう怪物)の柱。11時、その後アヤソフィア。小学生に遭遇。大人気。13時、レストランでケバブ・トルコピッツァ・トマトオーブン。14時、ファリの家族の店ブルーアートでキルヌ・トルコ絨毯をみる。その時トルコティー計三杯。小売もしている問屋らしい。16時、アクセショップへ。トルコの石、マーブルのペンダント購入。18時、再度ブルーアートに。基本的に高いが、状態のいいキルヌを200ユーロで購入。19時ホステルにもどり、アリの店へ。その後、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の境、ボスボラス海峡へ。19時半、ケバブで夕食。21時、ホステルに戻り、恒例の塩水シャワーを浴びて1時ごろダニベッドで就寝。

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「トルコ人の営業について」

今日は本格的なトルコ観光の日。ファリというガイドに出会い(自称イスタンブール大学生)楽に世界遺産をまわることができた。しかし、やはり結局自分の関係の店(ブルーアート。店はとても綺麗)でものを売りたいをいう目的のガイドだった。偽物でも痛くない200ユーロほどできれいなキルヌを購入。ぼったくりかどうかの判断がとても難しいが、ファリは丸一日親切に案内してくれたし、金をせびるわけでもなく、終始紳士的な態度だったので信用はおけると思う。また京都の大塚家具と取引しているらしく(本当かな?)日本人のお得意さんも多い。名刺ブックや写真を見せてもらったが何百人(中には有名人も。)とあった。

これだけあれば信用してもいいと思ったが、絨毯で悩んでいた友達が本物かどうか終始疑っていたのには、感心してしまった。繊維関係で働く人は触れば一発で状態を見極めることができるらしく、彼は自分にはその目がないから判断を下せない、だから買うかどうか迷っている、と主張。大概の日本人はまあええかで済ますが、彼には、合理的で明確な答えをあくまで求める姿勢がある。ファリが口にツバを溜めながら何時間も熱弁(ブルーアートは原料代を工場に払う為の現金が欲しいらしい)し半額まで値下げしたが、彼は結局ノーの返事をした。最大の原因は自分には鑑定の知識がないから、ということ。

ブルーアートは本当に現金が必要らしく、オレの時も四時間ほど保留していたら半額以下まで下げてくれた。真偽は別として記念として残せるモノであること、購入可能額の範囲内だったこと、デザイン的に実家で使えそうなこと、がオレの購入理由。ファリは友達がノーと言ったときは、ことのほかグッタリとしていた。とても手強い相手だったろう。しかし、ブルーアートはフェアな営業で、発展途上国にありがちな押し売りやボッタクリも一切なかった。日本人の気質を理解していた。「信用」を大切にしていて、口コミの強さも認識している。悪いものを持って帰って欲しくない。そんなものを売っていると思われたくない。というのが基本姿勢だった。少し学んだ気がする。


「トルコでの驚愕」

トルコで驚いたこと。俺はトルコ人にモテる。異常にモテる。三人で歩いていても女の子はみんなオレに手を振ってくる(他の二人も大いに認めてマス)。なかにはオレの写真を撮りまくる子もいて、なんじゃこれ!?状態。なぜか不明。まさか、人それぞれ人生で三回はあると言われている「モテ期」がトルコで来るとは思わなかった。生まれてくる国を間違えたか!なにはともあれトルコの若年層はとても元気がある。投資家のジム・ロジャースが「トルコはこれから伸びる可能性がある。若い人に活気がある。」と言っていたのがよくわかる。元気で、明るくて、熱意があるように感じた。トルコはこれから変わるかも。豊富で安い労働力があふれている。


トルコ大地震の影響はまだ残っていたが、それをきっかけに変わりつつあるトルコ。
また訪れたい。

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酒好き三人で、吐くまで飲もうホトトギス大会をしたら見事に三人ともオレの部屋で吐いた。グラスは割れ、部屋はメチャメチャ。すっぱいニオイでめっちゃ臭い・・・。

News
・UFJ銀行元副頭取ら3人逮捕
・「ブログ」が最多の検索語 米
・曽我さん一家、3日に佐渡へ

トルコ!~パート1

                  アヤソフィア

*この写真は以前、ブルーモスクと紹介しておりましたが、その真向かいにある「アヤソフィア」の間違いでした。指摘してくださったfirdevsさん、ありがとうございます。

寒い。寒い。サムイ。作務衣。本当にサムイ。





今日はトルコ日記!



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11月2日の続き。
15時フランクフルト発の飛行機でイスタンブールへ。空港で飲んだドイツビールが美味しすぎてほろ酔いで機内へ。機内でイラン人のデヴィッドと知り合う。テキサスからきて途中トルコで乗り継いでイランに帰るらしい。18時到着。路面電車で旧市街地へ。世界遺産の目の前のクソ汚いユースホステルにチェックイン。10ユーロぐらい。夕食はトルコならではのケバブ。露店のおっさん・アリに紹介された「DOYDOY」という店で。4,000,000トルコリラ(約400円程)。その後、モスクの周りを散策。ラマダン(絶食日)なので祭りのように賑わっている。そのままホステルに帰って汚い水でシャワーを浴びて寝る。

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今日はトルコ・イスタンブール!
ヨーロッパとアジアの中継地点の国なので歴史も古くとても興味深い。しかし飛行機でついたとたん、ヨーロッパから中東にきたとまざまざと感じる。タクシーの客引きがおるし、エスカレーターがめっちゃ遅いし(止まってると勘違いするぐらいのスピード)、なにより俺ら日本人が通るとほぼ全員が見てくる。声がでかい。ほこりっぽい。なんか暑苦しい。温度的にも、雰囲気でも。良く言えば活気がある、悪く言えばドキツイ。

まず最初に驚いたのは、トルコリラの弱さだ。空港で換金しようと100ユーロ(約1万三千円)ぐらい出すと札束が五・六個出てきた!こんなんもてへん!と言うことで小出しで換金することにした。1,000,000トルコリラを1ミル(ミリオン)と呼ぶ。だから5リラとか持っていてもまさにゴミ以下の価値。こんど1ミルトルコリラを1トルコリラにするらしい。そうしてくれ。ややこしい。自分が金持ちなのかどうなのか混乱する。

飛行機で知り合ったデヴィッド(38歳)は、テキサスに住んでいるらしい。簡単に言えばルックスは汚い格好をしたサッカーのラモス。ボーっとした顔でヘコヘコ歩く。行動一つ一つ遅いので、せっかく乗務員が荷物を置くスペースを空けてくれたのにスーツケースの取手をしまうのに手間取り、軽く横取りされる。機内食のアルミのフタを開けられない。空港で荷物を引き取るときには、自分の鞄を見つけられない。ヤク中なのか??結局よくわからない奴だった。

路面電車から見える町並みは、夜ならば絶対歩きたくない感じの危険な香りがしていた。車内でもジロジロ見られるし、警戒心は最高潮。電車を降りるとかなりの人数にキャッチっぽく声をかけられる。すべて無視。この時期はラマダン期間らしく、中心街は夜は祭りみたいに賑わっていた。ケバブの店を聞いた露店のアリ(推定40歳)はしゃべってみると良い人。ラテンなまりの英語。とても歓迎してくれている。大事なお客さんとしての扱い。

ホテルはかなり汚い。水道の蛇口をひねると、鉛混じりの白く濁った水。においは塩水。シャワーもお湯が出るだけましで、常に塩水の味が…。うーん、カルチャーショック。ダニの多そうな布団で就寝。

トルコには二泊三日の予定。



トルコは活気だけはエグイッ!活気だけはエグイッ!(も一回)活気だけはエグイッ!

(パート2に続く)





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ドイツ!

                 フランクフルト中央駅


今日の疲労。  一ヶ月ぶりのバイト。年末近いし人多い!
今日の感動。  一ヶ月ぶりの味噌汁。オレは日本人だ。



旅行中につけていた日記をもとに加筆してレポートを書くか。



今回は最初の訪問地、ドイツのフランクフルト。

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11月1日。
関空を朝10時にでた飛行機は12時間ほどのフライトでフランクフルトに。
現地時間15時到着。電車でフランクフルト中央駅。徒歩でユースホステルへ行き交渉してチェックイン。その後、夜は近くのチャイナレストランで。パブに移ってバイツェンビールとソーセージ。ホステルに帰る途中、ドイツ人カップルの壮絶な喧嘩目撃。その日は夜一時ぐらいに就寝。

11月2日。
次の日は七時に起床。サラミ・チーズとパン・コーヒーで朝食。その後、街を散策。教会・旧市街など。駅のどまん前に無数の風俗を発見。お土産のソーセージを買って空港へ。次はトルコ・イスタンブール!

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フランクフルトはきれいな街だ。川沿いのライトアップがヨーロッパっぽい。ユースホステルは20ユーロ(2400円程)だった。イギリスにいたころにもユースは利用していたのでワクワク感の記憶がよみがえった。ヨーロッパの建築様式は好きだ。ただし、ドイツ語が全くわからないので地図や案内を読むのが大変。

ホステルでは英語。客は多国籍。日本人もいた。ドイツ人も若い人は英語ができる。受付の男は二十代中頃かと思いきや、二十歳であることが判明。年下やんけ!そうそうこっちの人はとても大人びて見えるんやった。国の義務で社会奉仕としてフランクフルトで働いているらしい。イギリスの時も16歳のスイス人が30前に見えた。しかし、ドイツ人でけーなー。ごついなー。満員電車で埋もれてしもたし(ちなみにオレは170弱)。

あとカップルの喧嘩がすごかった!スキンヘッドのムキムキ男がマジ切れしてて、軽自動車から飛び出したと思ったらいきなり怪力でドアを閉めた!軽、横転するか思った(彼女は車内でおろおろ)。そしてボンネットの方に行ったと思ったら渾身の力でフロントライトをマジ蹴りしはじめる!(自分の車ちゃうん!?)あたりに飛び散る破片。揺れる軽。彼女が出てきてからも罵声・罵声・罵声。なんかええもん見れた…(?)。

しかし、この国の風俗事情はどうなってるんやろ?中央駅から少し歩けばすぐにポルノ映画とか大人の玩具の店とか立ち並んでいたしなー。しかも朝の10時ぐらいから風俗開いてるし。玩具の店が本当に多い。この国の人はアブノーマルが好きなんか?謎…。



ま、旅がはじまった!友達のデジカメモニターがいきなり潰れたけど、良い感じ!!


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