今の自動車修理業に移って5年間は
何も分からずに ただ動いているというような
状況でした


当時は 懐かしい今では蘇りつつある
(アベノミクス)
元祖バブル時代でしたのでイケイケでした

飲み屋さんの終了間近
午前0時を過ぎると途端に事故が多くなります。 
それも皆様  かなりの酩酊状態(お酒に飲まれている状態)
で車を運転するものだから。
 事故ってしまうと凄まじい現状なのです。

今はそんな事はありませんが
一度現場に赴くと 帰りは太陽が登り始めている
状況でした。

会社に勤めたこともなく
もちろん社長なんてやれるわけがなく

途方にくれた5年間でした

 ようやく会社というものが分かり始めたのは
6年目に入ってからだと思いました

なぜなら「石の上にも3年」 

というのは嘘で 5年だなと感じたのです

ご近所での噂は 「何年で倒産するかかけよう!!」
「素人がそんな簡単に会社経営出来るわけがね~。」

当然です。

今またヤレと言われてもできません

でもその 倒産の賭けの事を知った僕は

 燃えたのです (#^.^#)。



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小さい頃から 親の跡取りとして
農家を継ぐものと思っていました

船橋でも農村地区(今では市街化に)
周りの友人達も疑いもせずに
農家を継いでいました。

若い頃
何も怖い事は無く
あすに向かってつっ走れ

未来は明るい

世界は自分のためにある~

と背伸びの毎日だったと今は反省もしています

私は18歳で高校を卒業して
育種の会社に2年研修生として通いました。


そして20歳で温室を600坪(2.000平方メートル)
借金をして(その頃から借金が大好き)
温室経営を始めたのです

30歳まで温室経営をしていたのです。
キュウリ、トマトと美味しいものが出来始め

ちょうどその頃

叔父さんの経営する中古車センターが
 自動車修理工場をはじめるに当たり
父が資金を出してオープンしたのです。

子供のいない叔父さん
暇なときは手伝って欲しいと頼まれ
軽い気持ちでOKしていました

ところが1年ほどして
叔父の中古車センターはトーサン 
夜逃げは オジサン 

結婚式と重なってしまい

マーなんとも大変な時期でした

新婚旅行なんてすごく暗い気持ちで
行ったことを思い出します。

そして自動車修理工場には3人
社員さんがいましたので
その方たちを食べさせなければいけない
おトーサンの出した資金がパーになってしまう

そこでお父様の一言

明日からお前が社長をやれ  

そして聞くも涙 語るも涙が始まるのです。

 カップル、ツガイ、アベック(ちと古い?)
 
人生、本当にこの人と添い遂げることができて

幸せでした と思える人はどの位の率なのでしょうか

恋愛結婚でもお見合いでも神様 仏様の前で

「貴方はこの花子さんを永久に愛すと誓いますか

と誓った筈なのにどこかで「あれ?」と

思ってはいませんか?
 
二江川で何時も仲良く 二人  じゃない

2羽の鴨さん。

いつ何時も同じ行動をしています

見習いたいものですね~。

私の奥様とは、近所の幼馴染なのですが

赤い糸だったのでしょうか ??

1年程 お付き合いをしながら

もう結構 お歳な奥様は焦ってもいたのでしょう

ある日、狭い車の中で脅されたのです

気弱な私に、「結婚するの?シナイの?はっきりしなさいよ」と

脅かされて 話の成り行きで怖くなってしまい?

ハイ します

 と答えてしまったのです

何時も思うのです泣

触ったことはないのですが

髪の毛の中に ツノが(1本か2本)生えているはずです