「すきでいてもらえてるか」を考えるより
「すきでいられるか」を意識してみようと
誰かを厭になったとか、なりそうとかそんなではなく
むしろ逆
自分の何を侵されたり否定されたり嫌がられたりしたときに
誰かを憎んだりうっとうしく思ったりするのかなと
もちろん全否定とか嫌われたりとか憎ましまれたりとかはなしでw
よくある、「あきらめられること」は嫌は嫌だけど、裏側にある覚悟と思いを感じたりするので
無条件で嫌ではなかったり
マイペースって言われたこともショックというかなんというか
わかってるんだけどねー
誰かのペースに合わせるとイライラしたりもするしw
ただ、わたしだって合わせてでも一緒にいたい人ってのは1人くらいいたりするわけで
察したいし察しろというのもわかるし、言ってくれればいいと思う気持ちもあるし、言わないでもわかってという気持ちもわかるし
言ってって思うのは甘えというのもわかるし、察しろってのも甘えな気がするし、うーむw
でも、どっちかというとわたしが甘えてはいけないのだよなーとかとか
ほら、裏側から見ただけでこんなにすっきりしたwww
土台・基盤が違うというけどそれはほんとにそうで
でもそこから新しい基盤が生まれて、その上で寄り添っていれればいいなーと
わたしらがこれからやろうとしていることはほんとにそういうこと
だからその努力は惜しまないし、時にはうざいかもしれないけど、それにはやっぱりあなたを正しく理解しないといけないと思います
話がずれすぎたけど
最初の問いかけにそれっぽい答えはあって
今まではおかげさまでそのことを大切な人に言われたりしたことはないです
いつかそういうことを言われたりしたときにも
ちゃんと、そばにいたいと思っていたいなぁ
もっと、もっと、ずっと、ずっと